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パネルディスカッション
基調報告「日本における難民支援の経緯と現状」
福川正浩 難民事業本部長

福川正浩 難民事業本部長

 皆さん、こんにちは。難民事業本部長の福川です。まず私から、これから行われるパネルディスカッションの討議の前提として、日本の難民受け入れと支援について、政府の委託により難民事業本部が行っている事業を中心に、これまでの経緯と現在の状況についてご報告をしたいと思います。なお、これから述べる中で意見にかかわる部分については、私個人の見解であるということを、はじめにお断りしたいと思います。

1.日本の難民受け入れの経緯(インドシナ難民と条約難民)
  はじめに、日本の難民受け入れの経緯です。日本が難民を受け入れる契機となったのは、1975年以降のベトナム、ラオス、カンボジアからの難民の大量流出です。ベトナム、ラオス、カンボジアのインドシナ三国では相次いで政変が発生し、新しい体制の下で迫害を受ける恐れや、国の将来に不安を持った人々が、周辺の国々に脱出し始めました。これらの人々を総称してインドシナ難民と呼んでいます。こうした人々がいわゆるボート・ピープルやランド・ピープルになって、祖国を出ることになったわけです。こうした状況を受けて、国連では1975年の総会において、インドシナ難民への人道的援助をUNHCR(国連難民高等弁務官)に命ずる決議を採択しました。そして世界各国が、インドシナ難民の援助に協力することになりました。

 インドシナ難民が日本に初めて到着したのは、1975年5月のことです。ベトナム難民のボート・ピープル9人が米国船グリーン・ハーバー号に救助されて、千葉県に入港しました。当初これら日本に到着した難民が日本に定住することは認められませんでしたけれども、その後もこういったボート・ピープルの流出が続き、事態が深刻さを増してきたために、1978年に至って、日本政府は500人の定住受け入れ枠を決めました。その後、ほぼ毎年、この難民の受け入れ枠を順次拡大していって、1985年には1万人に、94年には定住枠も撤廃されて、現在に至っています。現在までに日本には、約11,000人のインドシナ難民が受け入れられています。難民事業本部の定住促進センターが所在していた場所を中心に、神奈川、兵庫、埼玉、東京などに多く定住しています。

 また日本は、1982年に難民条約に加入しましたが、法務大臣によって難民認定された、いわゆる条約難民は、昨年末までで330人が日本にいらっしゃいます。そのうち約半数の152人はインドシナ難民で、申請の結果、条約難民としても認定された人たちです。なお、昨年1年間の新規の難民認定申請者は、426人でした。他方、昨年1年間に条約難民として認定された人数は、15人でした。

2.難民事業本部の定住支援
  続いて、難民事業本部の定住支援の事業について触れさせていただきます。難民事業本部は、日本が受け入れたインドシナ難民の定住支援を行うための、日本政府の事業を実施する組織として、1979年11月にアジア福祉教育財団の下に設置されました。1980年代前半までに、兵庫県姫路市と神奈川県大和市に「定住促進センター」を、長崎県大村市にボート・ピープルのための「難民一時レセプションセンター」を、そして東京都品川区に「国際救援センター」を開設しました。その後90年代に入って、難民の数がだんだん減少してきたことから、90年代の後半には大村、姫路、大和の各センターを順次閉所しましたが、今日まで地方公共団体、UNHCR、NGO団体などとの協力によって、インドシナ難民に対し、また近年は条約難民および、難民認定申請者も対象に支援事業を行っています。

 現在、日本に定住することが決まった難民の方は、ただ1つ残っている東京都品川区にある国際救援センターに入所して、そこで約6ヵ月間、日本語教育、日本の社会生活に適応するための指導、就職あっせんなどの支援を受けることができます。近年センターに入所する人は、既に日本に定住したベトナム難民に呼び寄せられた家族と、ベトナムに一時滞在しているカンボジア難民が中心になっています。条約難民については、1998年より特別措置として受け入れていましたが、2003年度には正式に日本政府より委託を受けて、これまでミャンマー、イラン、アフガニスタン、イラクからなどからの条約難民、計24人が入所しています。

 難民が日本で生活していく上で、最も大切なことは言葉の習得です。国際救援センターでは、日常生活で最低限必要な日本語の読む、書く、聞く、話す能力、および職場や近隣の日本人とのコミュニケーション能力をつけることを目標に、日本語教育を行っています。期間は約4ヵ月間で、授業時間は月曜から金曜日までの1日6時限、合計572時限になっています。授業は原則として日本語のみを使用する直接法によって行っています。

 日本語教育修了後に約1ヵ月間、社会生活適応指導を受けます。ここでは日本で生活するために必要な社会保険や年金、税金などの諸制度や、在留資格、外国人登録など身分事項に関する知識、生活習慣などの基礎的な知識を学びます。また、公共施設の見学や体験学習を行って、日本社会に適応するための知識を身につけています。

 生活の基盤となる就職も大変重要です。センターでは就職を希望する人に、職業相談員が本人の職業経験や学歴、家族構成、希望地域などを考慮しながら、就職のあっせんを行っています。難民を雇用する企業に対しては、職場適応訓練の援助金などの支給を行っています。近年就労している難民の方の主な分野は、プラスチック・ゴム成型、金属加工、電気機械器具組立修理などになっています。

3.難民定住者の状況と難民相談及びコミュニティー支援
  続いて、難民定住者の状況についてお話したいと思います。多くの難民定住者は職業に就き、または学校に通うなど安定した生活を営んでおられ、中には奨学金を得て大学へ進学した人や、看護師など手に職をつけて働いている方もおられます。また、日本で暮らす同胞のためにコミュニティー団体を立ち上げ、問題の解決や相互扶助を行う人たちも出てきています。コミュニティー団体の主な活動は、お正月などの文化行事の実施、日本社会の制度に関する研修会、ニュースレターの発行や、母国語教育、民族舞踊、民俗音楽などの母国文化の継承などです。さらに、個々には、学校や国際交流協会、各地で行われる行事に通訳やスタッフとして活躍する人たちもおられます。

 しかし他方、言葉や生活習慣の違いなどから、さまざまな問題を抱えている難民定住者も少なくありません。難民事業本部が過去に実施した生活実態調査によれば、定住者は日本語、経済困難、住居、役所の手続き、仕事、職場など、多くの分野で問題を抱えていることが明らかになりました。このほかにも、言葉や文化を子どもに伝えることの難しさ、親は日本語を十分に習得できず、子どもは日本語のみを使用するといった問題から生じる親子間の意思疎通の欠如、コミュニケーションギャップの問題も生じているようです。

 日本での生活で遭遇する諸問題に対して、いろいろな情報提供やそれぞれの状況に応じた個別対応を行うため、難民事業本部の難民相談員が定住者の相談に応じています。横浜市や姫路市など、定住者が多く暮らしている地域の地方公共団体の行政窓口には、定期的に難民相談員と、母国語で対応するための通訳が派遣されています。このほかに定住者の生活をサポートするために、生活の中で体験するであろう事柄、例えば法律手続き、教育、病気、事故、仕事、年金、税金などについて説明したり、手続きの方法を紹介した「生活ハンドブック」というものを発行しています。これはベトナム語、ラオス語、カンボジア語、英語、ミャンマー語と日本語の併記で作成して、無料で配布しています。また、日本の病院などで必要になる用語や、医療関係者と交わす会話など、医療に関するさまざまな場面を想定して作成した「医療用語集」を、ペルシャ語も含めた6ヵ国語と日本語併記で発行して、無料で配布しています。さらに国際救援センターを退所した後も、引き続き日本語を習得できるように、難民事業本部で開発した教材を無料で配布したり、ボランティア団体が実施している日本語教育活動を援助したりしているほか、日本語教育相談員を関西支部と国際救援センターに配置して、難民定住者や支援者、日本語教育ボランティアなどからの相談に応じています。また、難民定住者のコミュニティー団体の活動を積極的に支援していて、これらの団体が実施している各種の行事、スポーツ大会の開催やコミュニティー機関誌の発行などに対して、企画、実施、資金面で支援を行っています。

4.難民認定申請者に対する保護措置
  次に、難民認定申請者に対する保護措置について触れたいと思います。条約難民として認定されるためには、日本に入国した後、法務省入国管理局に申請しなければなりませんが、面接や証拠物件の提出などを行い、母国において迫害を受ける恐れがあることを説明する必要があります。したがって、期間はケースバイケースで異なりますが、これら申請期間に数ヵ月から1年以上かかることがあります。申請が却下された場合は、異議申し立てをすることができます。それがまた理由なしとされた場合でも、新たな理由に基づいて再申請するケースも多くあり、結果として申請過程は数年におよぶ人も少なくありません。その間、こういった難民認定申請者は日本で生活していかなければならないわけですが、就労資格がなく、日々の生活費にも事欠く場合があります。このような生活に困窮している難民認定申請者に対して、難民事業本部ではその当人の申し出と、私たちが行う面接調査に基づいて、保護措置として生活費、住居費、医療費について援助を行っています。昨年度については136人の難民認定申請者に対して、約4,700万円の保護措置が行われました。

  また、日本では、家を借りる時に敷金や礼金、保証人を求められることが普通ですが、難民認定申請者の多くはこのような支払いはできませんから、一時的に友人宅に同居したり、外国人用ゲストハウスに部屋を借りたりしている方が多くおられます。また、来日直後から所持金がなく、知り合いなどもいないために、野宿せざるを得ない方もおられます。このような人に対して難民事業本部では、緊急宿泊施設の提供ということも行っています。

5.インドシナ難民受け入れの終了と条約難民に対する定住支援
  次に、インドシナ難民受け入れ事業の今後と、条約難民に対しての支援についてお話ししたいと思います。これまで、日本の難民の受け入れはお話ししてきたとおり、インドシナ難民の受け入れが中心でしたが、2003年3月の日本政府の閣議了解によって、ベトナムからの家族呼び寄せのための申請手続きは既に終了しました。そして、来年3月いっぱいでインドシナ難民の受け入れは終了することに決定されています。したがって、これらインドシナ難民の受け入れを行ってきた品川の国際救援センターも、来年3月で閉所する予定になっています。来年4月からは、条約難民に対する日本語教育等の定住支援事業を行うために、新たに首都圏に通所式による定住支援施設と居住施設を設けることが決定されています。

 条約難民の方々は、認定を受けた時には既に、日本に来てから数年経過している場合が多くあります。したがって日本語の日常会話はある程度できる方が多いのですが、漢字を含めた読み書きは必ずしもできない方が多くいらっしゃいます。また、既に住居を持っておられて、仕事に従事していたり、お子さんについては学校に既に通学したりしているなど、生活基盤が確立されている方が多くいらっしゃいます。また、出身地域もアジア、中東、アフリカ等、さまざまな地域出身で、人によって言葉、文化的背景が大きく異なっています。このように条約難民の方々については、これまで日本が主に経験してきたインドシナ難民の方々とは、大きく異なる点がいろいろあります。このような多様な背景に基づく、多様なニーズの人々に対応した定住支援プログラムを、いかに策定することができるかということが、今われわれに求められているところです。

 条約難民の方は、一般的に、出身国で高学歴の教育を受けている方が多くいらっしゃいます。したがって、日本でもこのような高学歴を生かした職業に就くことを希望しておられる方が多くいらっしゃいます。しかし日本では、やはり日本語の読み、書き能力をつけないと、希望の職種に就くことは難しいのが実情になっています。それぞれの方の日本語能力はさまざまですから、能力別に分かれた日本語コースを用意するという必要も出てくるのではないかと思われます。

 他方、多くの方々は平日の昼間は働いているので、これらの方々が受講できる曜日、時間帯に教育プログラムを実施する必要があろうかと思われます。また各人の事情に応じて、プログラムの期間も柔軟に設定できるといったことも望ましいのではないかと思います。

6.インドシナ難民に対するアフターケア
  最後に、インドシナ難民の受け入れの終了後についてお話したいと思います。インドシナ難民の受け入れについては、来年3月で終了する予定ですが、日本に定住している11,000人を超える定住難民の方々に対するアフターケア業務は、引き続き実施していく必要があると考えています。

 インドシナ難民の方は、来日当初、難民事業本部の定住促進センターで3ヵ月ないし4ヵ月、日本語教育を受けたわけですが、学齢児童の方でその後日本の学校に進まれた方を除いて、大多数の大人の方は、その後すぐに工場労働等に従事していらっしゃいます。したがって、読み書きを含めた日本語能力は、必ずしも十分でない方が多いというのが実情です。そして、この日本語能力の問題が日本で生活していく上で、また仕事をしていく上でも、ハンディキャップになっておられる方が多くいらっしゃいます。したがって、難民相談、通訳業務などは、引き続き大変重要な業務であると考えています。難民コミュニティー、民間ボランティア支援団体、地方公共団体の方などからも、私たちのこういった支援の継続を強く要請されています。

 以上、簡単でしたが、日本の難民受け入れと支援の状況を報告させていただきました。ありがとうございました。

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