2019.3.1
「定住者の声 No.10」 関西地域のラオスコミュニティー
かつて関西地域には姫路定住促進センターがあったことから、約120人(2001年4月現在難民事業本部調べ)のラオス難民定住者の人たちが兵庫県や広島県などで暮らしています。また、これらの人たちが母国から家族を呼び寄せたり、成人になった子供が結婚するなどして世帯は更に増えています。関西のラオス難民定住者で組織するコミュニティー「在日本ラオス協会関西会」会長のポンサパオ・ソンポーンさん(ラオス)から、日本での生活とコミュニティーの活動についてお話を伺いました。
私は、ラオスで農業の専門学校を卒業して農業などの仕事をしていましたが、政治が不安定だったためタイに逃れ難民キャンプに入りました。難民キャンプでは教師、溶接、通訳などをしていました。通訳ができたのは5カ国語が話せたからで、ラオス語とタイ語はもとより、ベトナム語、フランス語、英語は勉強して話せるようになりました。
難民キャンプで5年間過ごし、1990年4月妻と娘3人と共に日本に来ました。まず、姫路定住促進センターで日本語などを学んだ後、車の部品を鑞づけ(スズと鉛との合金で金属を接合すること)する仕事に就きました。数ヵ月だけの勉強では日本語も難しく、日本人にも慣れなかったので大変辛かったです。溶接関係の仕事は免許を持っているということで今でも続けていますが、かつては子供を養育するため少しでも収入の良い会社に転職したこともあります。住まいは兵庫県神崎郡にある雇用促進住宅です。近所の人も優しい人が多く、自分の畑で取れた野菜や果物を分けてくれたりします。おかげで家族全員に日本人の友だちがたくさん出来ました。現在妻は促進住宅のゴミ置き場の管理を担当しており、上の娘2人は就職し、末娘は高校に通っています。
2000年から約130人の会員がいる在日本ラオス協会関西会の会長となりました。その活動は、会員の冠婚葬祭や入院の際に援助金を支給する互助制度、お正月を祝う会の開催、国際交流などのイベントにおける民族舞踊の披露などがあります。また、子供たちにラオスの歌や踊りといった母国文化を継承するため、イベントの前には週末ごとに指導者を招いて伝統芸能の講習会を開いています。2000年11月には促進住宅の管理主事の方が発起人となり、中国人、日本人、ラオス人などが集まった交流会が開催されました。町のゴミ拾いと町内探検、各国料理の試食会、「だるまさんがころんだ」ゲーム大会という内容でしたが、今後も、積極的に日本人とラオス人、また、日本に住んでいる外国人との交流を深めるような場を設けていきたいと考えています。
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