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2019.3.1

「定住者の声 No.13」外国籍県民かながわ会議の委員として

 外国籍県民かながわ会議とは、外国籍県民の県政参加を促進するため1998年に神奈川県が設置したもので、外国籍県民に係る施策及び外国籍県民の視点を生かした地域づくりについて外国籍県民から選出された委員が協議し、知事へ提言を行うことを主な活動としています。第2期委員の沢井律さん(カンボジア)にその概要や、日本の生活、コミュニティー団体「カンボジア文化会」の副代表としての活動等についてお話しを伺いました。

カンボジア文化会のメンバー 下段左から2番目が沢井律さん 私は1981年カンボジアからタイの難民キャンプへ脱出しました。難民キャンプでは英語が話せたこともあり、医療チームの通訳ボランティアやアメリカ等第三国への出国待機している人たちに対して英語の講師をしていました。その後日本NGOの通訳に携わったことや、日本の経済成長に注目していたこともあり、定住先を日本に希望し83年に来日しました。日本では大和定住促進センターでの3ヵ月間の言葉と生活の勉強だけで、社会に出ることになりましたが、英語やフランス語などを話せるだけでは十分な生活ができないと分かったので日本語を勉強することにしました。しかし、日本語を基礎から勉強するというのは楽しくないので、会社で使用する専門用語を覚えたり、車の免許を取るための日本語を勉強するといった実益を兼ねた勉強方法を考え実践しました。

 私はこうして独学で勉強しましたが、アメリカでは2年間勉強してから社会に出るような仕組みになっており、また、難民の一家族ごとにスポンサーがつき、加えて国からの援助も受けながら生活し、社会に出る準備が十分にできたとスポンサーが認めた場合に自立するような仕組みになっています。3ヵ月(現在4ヵ月)の日本語の勉強だけでは日本社会への適応も十分できていないので、会社に入っても迷惑をかけて「くび」になってしまう人も多くいます。そうした人は定住促進センターからも、十分な援助を受けることができないとも思いました。日本で暮らすカンボジア難民定住者は、長期間の戦争や同国人同士の争いが原因で今でも精神的に傷ついている人が多くいます。また、家庭内の問題として、難民の親はすぐに日本の社会に出て働かなければならなかったので、日本語や日本社会についての知識があまりなく、一方、子供たちは学校で日本語も日本社会についても学んでおり、親子のレベルに差が出てきています。その結果、子供が親に相談できない状況、特に、中学や高校卒業後の進路について相談できないことが問題となっています。これらの問題を解決し、皆が精神的に安定した生活を送れること、将来に希望を持って生活できることを目標として「カンボジア文化会」というコミュニティー団体を設立しました。主にカンボジアの正月のお祝いやお盆の祈りといった文化継承の行事を行っていますが、今後は日本社会についての勉強会を開催するなどを企画していきたいと考えています。

 また、自分たちが日本社会を学ぶだけでなく、日本の人たちに在日カンボジア難民がどのような暮らしをしているか、難民とはどういう人たちかということを理解してもらうため外国籍県民かながわ会議の委員に立候補しました。難民は、国を出たくて出たのではなく、政治的な要因があって出てこなければならなかったということを理解してもらいたいです。そして日本人とカンボジア人がお互いに歩み寄って理解し合い、外国人が暮らしやすい社会にすることが共生社会に向けて必要だと思います。

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