2019.3.1
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「定住者の声No.17」家族とともに
ペットソンプー カムワンさん(ラオス)は、1985年にタイの難民キャンプから母親、妻、長女、そのほかに弟、妹と来日しました。現在は神奈川県座間市の県営住宅に母親、妻、長女、日本で生まれた長男の5人で暮らしています。日本での生活の苦労、子供のとのコミュニケーションギャップ、高齢者のケア等についてお話を伺いました。
日本に来た当初の生活環境はどうでしたか。
大和定住促進センターを退所したあと、勤務先の会社が紹介してくれた神奈川県海老名市にあるアパートで家族5人の生活は始まりました。部屋は4畳半と6畳の二間しかなく、とても狭い間取りでしたが、私と妻の2人が働きながらどうにか生活することができました。
印刷機械の部品を製造する会社で旋盤工として働いています。当初会社を選ぶときに、家族を養いながら生活していくためにはどのような職種に勤めたらよいかラオス人の友人に相談しました。彼に旋盤工が一番いいと勧められてこの会社に勤めることに決め、仕事中にけがをしたり、機械に指を挟まれそうになったりと危険な目にも遭いましたが、勤続年数は16年になります。
ラオスから難民としてタイに逃れたころ、私はちょうど高校を卒業したときで、大学に進学し社会学や経済学を学びたいという夢をもっていました。しかし、タイの難民キャンプ、日本への定住と生活が大きく変わっていく中で、将来への夢は全てなくなってしまったのです。自分の目指していた夢と現実のギャップ、また、今まで機械について勉強したことがなかったために、機械操作の手際が悪かったり、覚えが遅かったりと自分でも仕事に納得いかないこともあり、就職した当初は大変なストレスを抱えていました。
子育てについて考えていることは何ですか。
私が大学で勉強できなかったので、子供には大学に進学して教師か国際機関に携わる仕事に就いてもらいたいと思っています。教育の面ではつらい思いをさせたくない気持ちで、長女が小学生だったころボランティアの方が開いている日本語教室に連れていったり、学習塾に通わせたりもしました。彼女は高校3年生となり、現在大学進学に向けて受験勉強に多忙な日々を送っています。中学2年生の長男についても同様で、家計はギリギリですが2人とも高いレベルの教育を身に付けさせることが親の役割だと思っています。
また、学校でのいじめがとても心配でした。保育園に通っていたころに、会社の人のアドバイスで名前をカタカナから漢字名に変更するなど、子供が差別を受けないように努力してきたつもりでしたが、長女が小学生、中学生のころに外国人だということでいじめを受けていたことを最近知り、かわいそうなことをしたと思っています。ただ、彼女はつらい経験を乗り越えて、現在では分かり合える友人を持てたので良かったです。
家庭内での会話は主に日本語です。95歳の母親が会話に加わる時はラオス語を使いますが、子供たちは言葉が理解できても、自分からラオス語で話すことはできません。ラオスの文化や言葉を教えたいのですが、学業がおろそかにならないためにも今は我慢して、子供たちが大人になって自分でルーツを知りたい、学びたいと思ったときに伝えられたらと考えています。
将来の不安はありますか。
母親が高齢なこともあり、妻が付きっきりで介護をしています。通院やオムツなどお金のかかることも多いのですが、母親は70歳で来日したために年金がでません。私が介護保険を支払っていますが、会社も仕事が減り残業がなくなっているので生活は大変です。母親の介護や子供たちの進学等、今まで経験したことのない事態にどう対応していいか分からないことも出てきました。困った際に何処に聞いてみればいいか分からない、情報が得にくい場合もありますが、会社の人やボランティア団体の人が相談にのってくれて大変助かっています。
以前からクリスチャンとして信仰生活を送っており、タイの難民キャンプから日本へ来られたこと、家族が幸せな生活をおくり、健康でいられることは、全て神様のおかげだと思って暮らしています。 |
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