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2019.3.1

「相談員の声 No.4」 条約難民、難民認定申請者の子どもたち

本部事務所 援護課

 1985年にインドシナ難民の定住に寄与すべく発足した難民相談員制度ですが、対象者の枠が更に広がり、2003年度から条約難民、2004年度から難民認定申請者への対応もさせていただくことになりました。本部事務所では相談専用の「フリーダイヤル」も導入し、よりアクセスしやすい体制を目指しています。どうぞよろしくお願いいたします。

 さて、本部事務所における窓口開設の7月1日以来、受け付けた相談の内容は、住まい、教育、医療、法的な手続や家族呼び寄せなど多岐にわたるものでした。いずれも在留資格などの壁があり社会資源の利用が難しいケースが目立ちます。特に、難民認定申請者の場合は不認定の決定後は在留資格そのものを失うことが多く、社会的により不安定な立場であるといえるでしょう。

 このような難民認定申請者に対する保護措置事業や相談業務のなかで、私たちが直接言葉を交わすのは成人の男性がほとんどです。正確な統計はないものの、難民認定申請者は比較的単身男性が多いからと思われます。しかし、母国での迫害を恐れて後から妻子などが来日することもあり、入国後の出生も多く見受けられます。幸い、子どもの教育、母子保健分野は在留資格を問わない公的サービスも少なくなく、家族全体がこれらのサービスを通じて教師や保健師などの地域の資源とつながることができます。言い換えると、子どもたちは日本社会と親を結びつける役割も果たしているのです。
 子どもたちは個々にその民族、文化、来日経緯、保護者の背景などあまりに多様であり、一般化することができませんが、いくつかのエピソードから子どもたちの生活のほんの一面をご紹介します。

  • 中東出身のある幼い少女は、先に来日した父親を追って母親とともに日本にやってきました。テレビを観て日本語を覚え、母親の通訳を時々務めています。
  • 南アジア出身のある家族は、父親がかつて不法滞在者として入国管理局の施設に長く収容されていたことがあり、母と子どもで生活していたことがありました。小学生の娘は父親が少しでも外出しようとすると「どこに行くの?」と追いすがるのだそうです。父親が再び戻ってこないのではないかと心配でたまらないのでしょう。
  • ある中東出身の少年は、父親を追って日本に入国しました。ほかの人の子どもとして入国したためにその後の生活にも不自由しましたが、今は地元の小学校に通えるようになりました。
  • ある中東出身の少女は、近所の日本人の友達と遊ぶうちに日本語が上手に話せるようになりました。父親自慢の娘です。しかし、母語があまり話せなくなってしまったので、母親との会話が難しくなってしましました。
  • ある中東出身の兄弟は、地域の多文化共生プログラムに参加しました。そして、高校生中心のグループを結成してリーダーシップを発揮しています。
  • ある赤ちゃんは、日本で生まれました。大使館に行くのは危険なので、親は出生届を提出していません。外国人登録証明書などの国籍欄には親の出身国の国籍が載っていますが、実際は無国籍です(本邦出生児はほとんどがこのケースと同様の状況と考えられます)。
  • ある東南アジア出身の女子学生は、海外で勉強を続けるという目標があります。在日の出身国コミュニティーの支援活動を献身的に続ける親も彼女を応援しています。
    (以上、内容に影響のない範囲で書き換えてあります)

 人生の始まりの部分で多少なりともユニークな経験をしたり、あるいは難しい立場におかれてしまった子どもたちもいますが、どの子どもにも「未来」があります。ボートピープルなどとして来日し、日本で育った方にお会いする機会がありますが、自らの多様な文化的背景や難民であった経験を「複雑なもの」ではなく「豊かなもの」と捉え、独自の視点から社会に貢献したいという思いを持っている若者も少なくありません。地球規模で「多文化共生」が望まれる今、こうした方々は日本社会の宝物のような存在といえるでしょう。いずれ、私が出会ってきた子どもたちがこの国か、あるいは別のどこかでそのような貴重な存在になってくれることを願っています。

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