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2019.3.1

「相談員の声 No.6」 引きこもりを9年間続けたラオス人

国際救援センター難民相談員 新岡史浩

 2004年3月の夜8時半頃、東京都目黒区内の警察署よりラオス難民T氏について国際救援センターに救助依頼の連絡があった。

 T氏は1981年に入国。大和定住促進センター退所後、中国系レストランで16年間働き、腰痛を患い仕事を辞めた後貯蓄だけで生活していた。具合の悪そうな外国人がアパート周辺をいつもふらふらしているとの通報を受けた警察署が職務質問したところ、1995年6月から在留期間の更新がされておらず、また日本語での会話も不自由なため国際救援センターに協力してほしいとの依頼であった。

 4月に私がT氏のアパートを家庭訪問すると、そこは1Kの単身者用の部屋で何年間も掃除や整理がされていないままだった。T氏は肥満のためか歩行も困難な様子だったので病院での治療を勧め、在留手続きをしないと日本で生活できないことを伝えた。この時点のT氏は思考能力も低下しているように見え、すべての判断ができない状態で、私が付き添ってこれからの手続きを援助すると話しても、余計なことを言うな!何をしに来た!とばかりそっぽを向いてしまう。

 T氏の両親は既に死亡していて、きょうだい4人の内、次男はアメリカに、三男と妹はラオスに在住していた。日本で生活していた従弟と叔母など連絡できるところはすべて連絡をとる。

 6月に入って、T氏を心配してくれた警察署がワゴン車を出してくれたのでT氏をなんとか男性3人がかりで車に乗せ、東京入国管理局で在留資格の手続きをし、その後、国立病院機構東京医療センターで入院手続きをとった。

 7月には、連絡を受けた弟、妹がラオスからT氏の入院先に見舞いに来た。T氏はきょうだいとの付き合いも疎ましく思っていたようで、彼らからのアドバイスも素直に聞き入れない。今後の生活をどう支えるかという点にはきょうだいともそれぞれ日本に住居がなく、自分の生活で精一杯なため金銭の援助はできないとのことなので、日本での在留を希望するために必要な書類(1)外国人登録証明書(2)アパートの契約書(3)銀行の残高証明書(4)病院の診断書などはすべて本人に代わって東京入国管理局へ提出した。

 当初入院は1ヵ月の予定だった。本人は誰にも世話にならず貯蓄で暮らすことができると考えていたようで、近寄る者に全く心を開かずにいた。しかしその時点で預金通帳の残高は22万円余。これでは1日も早く在留資格が取得されなければ入院中の治療費、退院後の生活のめどが立たない。そうした中、きょうだいは病院を見舞った後離日してしまった。

 T氏は体調が快復してくると退院後の生活に不安を覚え、退所後は国際救援センターに再入所して世話をしてもらいたいと言うようになり、外出許可をもらってセンターに行きたいと頻繁に主治医に訴えるようになった。

 T氏の在留資格については、不法滞在の現状をなんとか正規の資格に復帰できないものか関係各署に働きかけた。その結果8月に在留特別許可が与えられた。

 その後、T氏には10年前から手付かずの預金があり、転居によって通帳は紛失してしまったものの定期預金300万円、普通預金50万円があることが分かった。こうしてT氏は3ヵ月の長期入院を経て無事退院。さまざまに放置していた公的手続きを済ませ、2週間ごとの外来通院をしながら安定した生活を営むことができるようになった。

 私は、ラオス語通訳と難民相談員を兼務しているが、同国人のこうした複雑な問題に取り組んだ結果、原状回復ができたことはまことに嬉しいことであった。孤立した生活があまりにも長かったために偏屈になったT氏の言動に惑わされず、本人にとって必要なケアを行ったところ最後には「あなたのお陰でこうして元気になった。ありがとう」と以前では考えられないやさしい言葉をかけられたことは忘れがたいものとなった。

アジア福祉教育財団機関誌「愛」2004年12月発行より転載

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