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2019.3.1

カンボジアコミュニティー

コミュニティー活動「日本語・カンボジア語スピーチコンテスト」を支援

 難民事業本部では、難民定住者のコミュニティー団体が実施する情報交換や地域社会との交流活動等に対して活動費等の助成を行っています。2005年10月9日には、在日カンボジア人調整委員会が主催する「日本語・カンボジア語スピーチコンテスト」を支援しました。

 スピーチコンテストには、在日期間が2ヵ月から十数年とさまざまなカンボジア人6名が出場し、将来の夢・日常の生活での出来事について自分の主張や意見を述べました。特に、このコンテストでは、日本語とカンボジア語の2ヵ国語でスピーチが行えたため、多くの聴衆が内容を理解することができ、日本語が分からないカンボジア人高齢者にとっても参加しやすい行事となりました。
 難民定住者の中には、長年日本で暮らすうちに言葉の問題から親子でコミュニケーションがとれなくなっている家族がいます。親と子が理解し合う場、またお互いが情報を交換したり共有したりする場として、日常の生活を豊かにするための機会となりました。

審査員長 在日カンボジア人調整委員会 コイ・パダラさん
審査員 かながわ難民定住援助協会会長 櫻井ひろ子さん
大和日本語教室代表 隈部和子さん
上智大学COE研究助手 ニム・ソティヴンさん
国際救援センター難民相談員 佐藤千恵子
そのほか観客から2名

ここでは出場者2名のスピーチを紹介します。

どんな話でも相手がある
ナウ・ソコムさん

 話はキャッチボールだ。
 電車の中で、若い女性が二人、楽しそうに話している。一人が次で降りるらしい。「頑張ってね」「ありがとう」「週末、飲み過ぎないようにね」「ええ、気をつけるわ。あなたもね」他愛のないやりとりだが、二人の間には、まさに話がとりかわされている。
 人は幼児期に言語を取得して、現在までずっと話をしている。普段はいたって自然に言葉を発し、口をきいているから、話すことぐらいだれでもできると思っているが、当たり前になりすぎて大事な点を忘れていないだろうか。どんな話にも、必ず相手がいるという点をである。
 おしゃべりに夢中という人たちの中には、相手のことなど忘れて自分のことばかり話している人もいる。
 話には相手があって、相手と言葉をかわすのが話なのだ。それはキャッチボールにたとえられる。

部活のこと
チュープ・ソムリティさん

 僕は今高校で部活をしています。知っている人もいると思いますが、ハンドボールというスポーツで、ボールを手で扱うスポーツです。
 しかし、僕はもともとハンドボールがしたくて今の高校に入ったわけではなく、ハンドボール部に入る前はサッカー部に所属していました。中学のころの実力が認められ、サッカー部の推薦で今の高校に入ることができました。しかし、サッカー部では予想以上のハードな練習についていけず、1年の途中で辞めてしまいました。
 サッカー部を辞めてからは何もすることがなく、ずっと暇な時間を過ごしていました。そんなときに友達に誘われたのがハンドボールでした。「大会で人数が足りないから出てくれない?」言われ、ルールを知らないながらも出ることになりました。初めは戸惑っていましたが、特にそのころやりたいこともなかったので、チャレンジしてみようと思いました。
 大会は人数が足りないということもあって、2回戦で負けてしまいました。もともと大会だけという約束で参加したのですが、負けた瞬間とても悔しく、このままでは終われないと思い、入ることになりました。どのスポーツでも負けることは悔しいです。
 そして今はサッカー部を辞めたことを後悔していません。ハンドボールというスポーツに出会えて、そして今のメンバーに出会えて、本当に満足しています。これからの残り少ない高校生活、全力で最後までハンドボールにチャレンジしたいと思います。
 ありがとうございました。

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