2019.3.1
スピーチコンテストを開催しました (2000年)

今年は、「教育」をテーマにインドシナ難民定住者11人が日本語でスピーチを行いました。「マイノリティーの子ども達が自分らしく生きていける環境作り」を訴えたオン・ホアン・ミンツさん(学生の部)、「今という日を感謝して生きる喜び」を教えてくれた里親について語った下野きみさん(成人の部)がそれぞれ最優秀賞に輝きました。また、スピーチに続いて行われたフォーラムでは約100名の来場者も交えて、教育から国籍、名前などについて幅広く語り合われました。
学生部門最優秀賞「周囲に目を向けて」
オン・ホアン・ティ・ミンツさん(ベトナム)
日本の学校は立派で施設も整っており、勉強する気になればどんなことでも可能に見えます。それにもかかわらず近年では、いじめや不登校が多発して、さらには「学級崩壊」という深刻な社会問題にまで発展しています。本来楽しく学ぶ場所であるべきの学校は、一部の子供ではありますが、彼らにとっては恐怖の場・ストレスの場と化しつつあります。そして義務教育と高卒の資格を得るために仕方なく学校へ通っている子供もいるかと思います。一方で経済的に学校へ行きたくても行くことのできない子供たちがこの同じ地球上に何億人もいます。
今年の夏、私は12年ぶりにベトナムへ帰りました。そこで、路上で生活するストリート・チルドレンと呼ばれる子どもたちの姿を目にしました。
朝食を食べに市場へ出掛けると、6~7歳くらいの子供たちが宝くじを売りに集まってきます。お寺へお参りしに行けば、線香を売りに大勢の子供たちが来ます。それだけではありません。学校に行けず物乞いをして1日を過ごす子供もたくさんいます。そんな子供たちの姿を目にして、私は自分が今まで平穏な環境の中に育っていたのだと改めて痛感しました。というのも、まだベトナムにいた頃の私は、すぐ近くで学校へ行くことのできない子供たちがいるということに対して全く無関心であり、そしてそれが当たり前のことであるというふうに感じていました。それは私がまだ幼くて無知であったからかもしれませんが…。また、日本に来てからも自分のことで精一杯で周りに目を向ける余裕がありませんでした。しかし高校生の時にユネスコ活動に携わるようになって、物の見方が変わり、価値観が広がりました。実際にベトナムでそのような光景を目にして私は、そのような事態を改善するためにも多くの人々が周囲へ目を広げていかないといけないと確信しました。
学校で窒息しそうになっている子供たち、閉塞状況に陥って出口の見つからない子供たち、そして次世代を担う若者たち。彼らの視点をもっと周囲へ広げていかなければいけません。同じ時を貧困・戦争・虐待にうめきながら過ごしている同年代の子供たちがいるということに目を移して考えていけるようなそんな教育がなされるべきであります。そうすれば、彼らは自分というものを見つめ直すことができ、自分の良い所や新しい自分を発見することができるのではないでしょうか。なぜなら、他者を知ることによって初めて自分を知ることができるからです。他者に目を向けること、それは人と人とのつながりであり、世界へのつながりへと結びつくのであります。
国際化時代と叫ばれている昨今、我々外国人子女教育もまた見直されるべきであります。現在、外国人の多く住んでいる地域の小・中学校では、在日外国人生徒に対して民族講話や通訳の導入・個別抜き出し指導など様々な配慮がなされ、外国人子女の勉強する環境は改善されつつあります。しかしながら、学校の勉強についていけず不登校やドロップアウトをしてしまっている在日ベトナム人生徒がここ数年増えてきていると聞きます。その背景には経済的理由や人間関係の問題、生徒個人の勉学に対する関心の程度など様々な要因が挙げられますが、何よりも学校教育の゛環境?にあるのではないかと思います。というのも、高校では小・中学校のように生活全般においてのサポートをしてくれる学校は少なく、それまでと一変した環境に置かれ、適応できずに取り残されてしまうという現状があるからです。事実、私の知っている人でそれが原因で高校を退学した人がいました。
こういった問題を踏まえた上でこれからの学校教育における課題は、外国人の存在を明確にし、マイノリティーの子供たちが「自分らしく」生きていけるような、そんな環境創りが大切であると私は考えています。
社会人部門最優秀賞
「日本のおとうさん・おかあさん」教育について
下野きみさん(ベトナム)
私の人生第2の出発。それは1983年5月のことです。
姫路定住促進センターに入所し、私と妹は看護婦になりたいという夢を持っていたため和歌山県にある下野内科外科の院長の里子となりました。たった3ヵ月間のセンターでの教育では、日本語もまだまだ自信がありません。中学2年生に編入しましたが、自分の将来を考えるとますます不安を感じていきました。そして学校へいくのが重く怖くなってきました。
そんな私に力を与え、励ましてくれたのは私たちの里親である下野両親でした。勉強についていけない私たちに特別に日本語を教えてくれました。また時々は、日本社会での生き方、将来の考えなどを教えてくれました。休みの日に家族全員で畑に出て、無農薬の野菜を作りました。両親は私たちに自然の恵みに感謝するとともに、働く喜びを教えてくれました。下野家にはテレビがありましたが、そのテレビにはアンテナがついていません。ですから、もちろんテレビ番組は見ることができません。しかし、1週間に1度だけマンガのビデオテープを借りてきて、そのテレビで見せてくれました。そのマンガを見ることは何よりも嬉しく今でも忘れられません。
そして、毎月のこずかいは全くありませんでした。それは「子どもにお金を持たせるとお金にルーズな人間になる」という親心からでした。今の日本の国は、お金や物が中心で、生活の基準も他人との比較にしかおかず見栄・虚栄中心の家庭がほとんどで、外見的に恵まれていても子供たちの心は渇き、充たされることはありません。そんな中にあって両親は、信仰心の篤い人だったので私たちに「勉強していることの意味とは」「本当の幸せとは」ということについて、共に考え悩みそして「今という日を感謝して生きる喜び」を教えてくれました。
私は両親の教育によって、今日こんな幸せな人生を得ることができました。感謝で一杯です。ですから、私は両親の教育を尊敬し、教えられた貴重な体験を活かして、これから自分の子供たちに伝え実現していこうと考えています。また、私の子供は帰化して日本の名前を名乗ってもベトナム人としての誇りは忘れず、祖国の名誉を傷つけないよう、人の役にたつ人間を育てていきたいと思っています。
最後に、日本のおとうさん、おかあさん本当にありがとうございました。
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