INFORMATION

2013.2.26

このページをとじる
自動車メーターパネルの検査をするベトナム人定住者

定住者の職場を訪ねて〜定着指導・雇用状況調査の実施

 難民事業本部では、インドシナ難民定住者の就職あっせんに資するため、毎年数回、難民定住者が勤務する事業所を訪問し、その勤務状況を確認するとともに、職場への定着状況について事業所の担当者と懇談を行うほか、関係の公共職業安定所において管轄の雇用失業状況について意見交換等を行っています。今回は、2002年5月23日、24日に静岡県浜松市所在の2社、滋賀県彦根市所在の1社の事業所と彦根公共職業安定所を訪問しました。
 
 浜松市には、当事業本部の調べによると245人のインドシナ難民が定住しており、約50社に120名程が就職しています。浜松駅より車で30分程の高丘北地区にある事業所は従業員30名の規模で、訪問した日は自動車メーターパネルの検査作業者数人に混じりベトナム人女性1名が働いていました。彼女は20年前にボートピープルとして日本に上陸した後、民間支援施設を経由し、難民事業本部の運営するセンターで日本語等の教育を受けました。現在は家を持ち、4人家族で安定した生活を送っています。職場は時給680円で低賃金ですが、軽作業のため体力的には負荷の少ない仕事と思われます。しかし、会社が受注する仕事量は変動が激しく、時期によっては仕事がない日があるとのことでした。
 このような厳しい雇用状況について、現在国際救援センターで教育を受けている人たちに理解してもらうとともに、今後行う就職活動の参考にする必要性を痛感しました。また、都田町にある事業所は、高級床材の木目を加工・製作する従業員17名の事業所で、ベトナム人3名、中国帰国者2名が働いていました。一般的に近年、住宅は日本間より洋間が増え、床材の需要も多いと思われますが、全体の建設数が減っているのでこの事業所でも受注が減少し、かつては50名いた従業員が17名まで減ってしまったとのことでした。ベトナム人のうち2名は国際救援センターから就職あっせんを受け今年3月に勤め始めたばかりで、現在6ヵ月間の職場適応訓練中です。まだ日本語が十分に理解できないため作業の速度は遅いのですが、同社に10年以上勤続しているベテランのベトナム人女性が、作業指導などの通訳も行っているので、徐々に仕事に慣れているとのことでした。
 
 滋賀県では、彦根公共職業安定所と犬上郡多賀町の事業所を訪問しました。
 彦根公共職業安定所の説明によると、彦根市は大阪と名古屋の中間にあり、比較的目立たない地域ですが、都会ずれしてない住みやすい土地柄が好まれて人口増加率は全国一高いところです。しかし、他地区への通過県ということもあり、都会的犯罪に巻き込まれることも徐々に増えてきている面もあるようです。産業面では電気や電子系製造業を中心に大手の工場が多数あり、携帯電話の最盛期には県外から多くの労働者が流入してきていました。しかし、それも最近は下火傾向で業務が縮小されているほか、地場産業である仏壇や水道バルブなどの製造も一部は中国やマレーシアに製造拠点が移っていき、求人数は他地区と同様に減少傾向にあるということでした。
 多賀町の事業所は、最近採用したベトナム人を含めて従業員45名です。電気器具部品の製造下請けが主な業務でしたが、元請業者が中国へ移転したため仕事がなくなり、新たに開拓したのが、現在難民定住者が従事している自販機用品の検査業務です。これまでは人材派遣会社と契約して日系ブラジルを雇っていましたが、公共職業安定所の紹介で初めてベトナム人の家族4名を採用しました。そのうち1名は日本に既に10年以上住み、帰化した者で、呼寄せした家族の3名とともに採用されたのです。帰化した女性は日本語が上手なため他の3名の通訳になるなど、仕事上での意思疎通は問題なく、彼女らの上司もきちんと挨拶できることを、いまどきの日本の若者よりも立派だとほめていたほどでした。
 滋賀県にはインドシナ難民の受入れが始まった1979年ごろから定住している難民もいますが、現在はそれほど多くの難民は暮らしていません。今回の訪問を通じて比較的落ち着いた、住みやすい土地柄であることが印象に残りました。今後は雇用主の協力を得てこの滋賀県にも難民定住者の職場を開拓していければと考えています。

 

このページをとじる
 

関連記事

PAGE TOP