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2006.10.22
第27回「日本定住難民とのつどい」
2006年10月22日(日)、東京都品川区立総合区民会館「きゅりあん」において、第27回「日本定住難民とのつどい」を開催しました。この催しは、品川区をはじめ関係省庁、ハウス食品等各方面のご支援、ご協力の下開催しています。
第一部式典は、濱野健品川区長、西正典外務省総合外交政策局審議官、稲見敏夫法務省入国管理局長からご挨拶を頂いたほか、多数の難民支援関係者にご列席いただきました。日頃から難民の定住促進について深いご理解を頂いている難民雇用事業所4社ならびに支援協力者3者に対して感謝状が贈られたほか、日本に定住し、他の難民の模範となるベトナム、ラオス、カンボジアからのインドシナ難民及び条約難民の合計11人に模範難民定住者として表彰状が授与されました。
難民雇用事業所を代表して、兵庫県小野市のトミタテクノス(株)代表取締役会長の冨田久次氏より頂いた挨拶では、「かつて20年前に兵庫県の姫路定住促進センターからベトナム難民の方の紹介を受けたのをきっかけに、以来難民出身の従業員の雇用は増え続け、現在17人のベトナム人が働いてくれている。今では会社の業績向上に大きく貢献して頂いている」との言葉を頂きました。続いて支援協力者を代表して、ベトナム語教育センター「ファン ボイ チャウ」代表のハー アン ボー女史の挨拶には、「ボート・ピープルとして入国し国際救援センターで日本語教育や日本社会での生活マナーなどを学べたことに今でも感謝している。今は生活も安定し、藤沢市の教育委員会で働きながら、その傍ら、ベトナム語を知らないベトナムの子供たちに言葉や文化を伝えていく活動をしている。日本で安心して暮らせることに感謝している」との言葉がありました。模範難民定住者を代表して、ベトナム、ラオス、カンボジア、ミャンマー出身の難民の方々から、日本に定住してから今までに経験した苦労やこれからの夢など、日本に定住していく強い決心の言葉が披露されました。
第二部アトラクションは、初出場となる関東学院マーチングバンドによる力強く、華麗な演奏、演技に続き、ビルマの民族舞踊、少数民族のファッションショーでは珍しい衣装が披露されました。また、ベトナム、ラオス、カンボジアの民族舞踊では、インドシナ情緒あふれる歌や、寸劇を取り入れた踊りが舞台狭しと繰り広げられました。恒例となった難民定住者によるトークショーでは、「難民コミュニティー活動のあゆみとこれから」をテーマに、図書館や文化センターなど独特な活動を展開する各コミュニティーの取り組みについて、リーダーたちから今後の活動の抱負などを語って頂きました。
今年はビルマコミュニティーからの多数の参加を得て、会場は大盛況となりました。日本に定住する難民の方たちの状況や関係団体をはじめとする日本政府の支援活動を広く皆様に知って頂くよい機会となった一日でした。
受賞者代表あいさつ
まずはみなさんに、御挨拶いたします。私は、田仲清ことNGUYEN QUOC TUNG(グエン ゴック トウン)です。
本日はこの場所に立ち、このような素晴らしい賞を頂きまして、まことにありがとうございます。今日はとても感謝、感激でいっぱいです。
私は日本に住んで、もう20年以上になります。20年間株式会社大和照明製作所という照明関係の会社に勤めており、そして現在もまだ勤めております。今一度思い出して見れば、当時何十人かの人達と一緒に、漁船に乗り、自由を求めてベトナムを離れました。何カ月も海の上で食料もなく、生と死をさまよい、死にたい時もありました。もうだめかと思った時日本の船に救われ、希望が見えました。そして日本に着いた時は、初めて新しい国に足を踏み入れ、右も左もわからず、とてもつらい毎日でした。
これから自分はどうなるんだろうという時に、現在の会社の社長様に目をかけてもらい、そしていろんな面で助けてもらいました。もし社長がいなければ、今日この場所に立ってこのような素晴らしい賞を受けられなかったと思います。社長にはとても感謝しており、そしてこれからも一所懸命会社に勤め恩を返したいと思います。会社だけではなく日本の社会にも貢献していきたいです。ベトナム人としての誇りを持ち、そして恥じることのないような人間として生きたいです。
最後になりますが、本日は本当にありがとうございました。皆さんにはとても感謝しております。今日は本当にありがとうございました。
わたしは、ラオス人のルーシハチャック ブアラパンといいます。
1991年9月に、日本に来て、15年になります。姫路定住促進センターに入所して、半年間勉強をしました。
その後、広島で2年間自動車関係の仕事をしました。
縁あって兵庫県加西市に移り住み、13年になります。今、市内の木工関係の会社で働いています。自分の仕事に誇りを持って働いています。
子どもたちの学校生活をつうじて、地域社会の方々のあたたかい支援と、同胞の励ましがありました。
わたしたち家族が、日本で恵まれた生活ができるのは、今日ここにおいでくださった皆様はじめ、たくさんの方の援助があったからだと、感謝しています。
今日の喜びを忘れることなく、同胞の方、会社、地域のみなさんと仲良くがんばりたいと思います。
ありがとうございました。
わたしは、カンボジア人のトラン タイ ボーです。今年の3月に帰化できたので、今は、中田武といいます。
わたくしが日本に来たのは、1987年の2月で、18歳でした。暑いタイの難民キャンプから真冬の大和定住促進センターに、単身で入所しました。寒さと将来への不安でいっぱいだったことを昨日のことのように覚えています。
センターを出てから、職場がつらかったこと、さびしかったこと、日本語がむずかしくてこまったこと、くやしかったことなどいろいろありましたが、いつも、皆様にはげまされてがんばってきました。そして、今の会社には18年働いております。
一人でセンターを出た私は、その後、家族を持ち、妻と子どもたちのために新築のマイホームも持てるようになりました。そして現在、娘も結婚をして独立した家庭をもっています。
わたしたち家族が日本で幸せに生活できるのは、皆様のおかげだと思います。
皆さん、ありがとうございました。
皆様こんにちは。
私はビルマ連邦出身のチン族でThang Nang Lian Thang(タン ナン リアン タン)と申します。この「日本定住難民とのつどい」におきまして、ビルマの少数民族を代表してご挨拶する機 会を頂き、大変光栄に存じます。
ビルマは古くからさまざまな民族が共に暮らしてきた国です。そして、少数民族の中にはビルマ族の人々と同様に日本で暮らしている人もいます。それらの人々が集まって、私たちの団体であ る「在日ビルマ連邦少数民族協議会」を結成しました。この協議会を構成する八つの民族をご紹介します。
カチン族、カレン族、チン族、ナガ族、パラウン族、モン族、アラカン族、シャン族です。
1. Democracy for Kachin National (DKN-Japan)
2. Karen National League (KNL-Japan)
3. Chin National Community -Japan (CNC-Japan)
4. Naga National Society (NNS-Japan)
5. Palaung National Society (PNS-Japan)
6. Punnyagari Mon National Society (PMNS- Japan)
7. Arakan League for Democracy (Exile)ALD (Exile) Japan
8. Shan National for Democracy (SND-Japan)
インドシナ難民の皆さんだけでなく、ビルマ難民の支援もしてくださっている日本政府と難民事業本部の皆様に厚く御礼を申し上げます。
トークショー
司会:
まず、初めに、ミャンマー出身のティンティン ウィンさんから、お話を伺いたいと思います。ティンティン ウィンさん、自己紹介をお願いいたします。
ティンティン ウィン:
はい、ティンティン ウィンです。どうぞよろしくおねがいします。
私は、ビルマで政治的な事情により軍事政権から迫害を受けたので、15年前、日本に来ました。
日本に初めてビルマの本を集めた図書館を自宅につくりました。
その図書館の代表をしています。
また、RHQ支援センターで、毎日、午前中に日本語の勉強をしています。
司会:
その図書館について話していただけますか。
ティンティン ウィン:
はい。図書館の名前は、モータウチェといいます。意味は明けの明星です。
私の部屋で開いています。
土曜日や日曜日、祭日にやっています。
6年前は、1500冊でした。今は、5000冊に増えました。メンバーも増えて来ました。
司会:
図書館を作った目的についてお話いただけますか?
ティンティン ウィン:
目的は、4つあります。
ひとつ目は、なかなか手に入らない本を集めて、みんなが読めるようにすること。ビルマでは、自由に本が読めません、出版禁止になった本もあります。
ふたつ目は、若い世代に、本当のビルマのすがたをおしえること。
将来、ビルマのため自覚をもつようになること。
みっつ目は、自分の国の文化をビルマの若い人たちに伝えること。
よっつ目は、図書館を利用する人たちが、ビルマとほかの国の違いを学ぶこと、理解することです。
以上が目的です。
司会:
ありがとうございました。
ティンティン ウィンさんは、韓国のソウルで開かれた図書館に関する第72回国際図書情報会議に参加されたそうですね。
ティンティン ウィン:
はい、8月に、出席しました。
世界中の図書館の活動の人たちが集まりました。お話を聞いて大きな力になりました。
夫がモータウチェ図書館活動の報告をしました。
それから、韓国に住んでいる、ビルマ人が活動をしている図書館にも見学に行きました。
司会:
ところで、ティンティン ウィンさんは、他にも活動をなさっていましたね。
ティンティン ウィン:
はい、ビルマ文学の勉強会も1年に1回行っています。去年は、アメリカから作家を招いて、勉強会をしました。
それから、機関紙の発行もしています。機関紙の名前もモータウチェと
いいます。
司会:
モータウチェは、月刊誌ですか?
ティンティン ウィン:
はい、1カ月に一回、500部発行しています。図書館活動や世界のニュー
スを書いています。
司会:
ティンティン ウィンさん、ありがとうございました。
司会:
それでは、カンボジア出身の西村明さんからお話を伺いたいと思います。
西村さん、よろしくお願します。
西村:
こんにちは、在日カンボジア人調整委員会代表の西村明です。
在日カンボジア人調整委員会に所属する「難民子ども会」の会長です。
日本に来たばかりの頃は、日本語も分からず不安でいっぱいでした。大和定住促進センターを出てすでに25年たちました。
司会:
難民子ども会では、どのような活動をしていますか?
西村:
先輩のカンボジア人に相談や指導をしてもらい、自分の子どもも含め、カンボジア人の若い世代の人たちに、母国の伝統文化を伝える活動をしています。
日ごろ練習している民族舞踊や歌で各地の国際交流会や学校行事に積極的に参加をしています。
司会:
つどいには、毎年出演なさって大好評ですね。
西村:
本日も最後に、羽衣天女という物語の踊りを予定しています。
司会:
そうですか、楽しみです。
つぎに、 在日カンボジア人調整委員会についてお話いただけますか?
西村:
はい、在日カンボジア人調整委員会には、たくさんのコミュニティー団体が所属しています。会則などはなく、年に一度、春のカンボジアのお正月をともに合同で開催するために7年前に出来た会です。
司会:
この写真は、何をしているところですか?
西村:
結婚式で、音響機器の設定をして、その後、着替えて、在日カンボジア人調整委員会の代表として、司会進行をして場を盛り上げたりしました。
司会:
西村さんは、神奈川県知事の諮問機関である外国籍県民会議の委員としてもご活躍でお忙しいですね。
西村明さん、ありがとうございました。
司会:
ラオス出身の新岡史浩さんから、お話を伺いたいと思います。新岡さん、よろしくお願いいたします。
新岡:
在日本ラオス協会会長の新岡史浩です。出身はラオスのビエンチャンです。在日27年、姫路定住促進センターの第2期修了生です。
司会:
新岡さん、 在日本ラオス協会での活動についてお話いただけますか?
新岡:
はい、現在、在日ラオス人は、およそ1500人ですが、そのラオス人
の互助団体として、在日本ラオス協会は、30年近い歴史があります。
在日本ラオス協会は、関西の西ラオスの会をはじめ埼玉や神奈川県内の各地に支部があります。
司会:
お寺での写真のようですが、説明していただけますか?
新岡:
はい、これは、在日ラオス人みんなで費用を持ち寄って作ったラオス文化センターです。
神奈川県の愛川町に二階建ての民家を購入して三年前の6月に開所しました。
ラオスから呼んだお坊さんが2〜3人常駐しています。
ラオス人は敬虔な仏教徒ですから、母国のお寺にお参りするように、ラオス文化センターを訪れる人でいっぱいです。ラオス人の憩いの場でもあります。
ラオス文化センターは、月に一度の難民相談会の他、年金や税金について講師を招いた講座や料理教室、民族舞踊の練習などにも活用しています。
司会:
新岡さんは、神奈川県の県央の外国人相談窓口でも、相談員としてご活躍ですね。
新岡さん、ありがとうございました。
司会:
ベトナム出身のトルオン ティ トゥイ チャンさんから、お話を伺いたいと思います。チャンさん、よろしくお願い致します。
チャン:
私はトルオン ティ トゥイ チャンと申します。平和と自由を求めて11歳の時難民として家族と来日しました。国際救援センターの修了生です。
学生の頃からボランティア通訳として活動をはじめました。
現在は、神奈川県内の市役所などの外国人相談窓口、教育機関、医療機関などの相談通訳として活動しております。
司会:
保育園や学校での活動についてお話いただけますか?
チャン:
ベトナムの子どものいる保育園、小中高等学校などで国際理解についての学習などのお手伝いもしています。
日本で生まれたベトナムの子どもたちに、なぜ両親が日本に来なければならなかったかということやベトナムの歴史を教えます。
ベトナムの子どもたちにベトナム料理で「お母さんのベトナム料理はおいしいのよ」と自信をもたせます。
子どもたちが、ベトナム人であることのほこりをもってもらいたいのです。
小学校で、ベトナムの子どもと日本人の子どもたちにベトナム語をおしえます。お互いの文化を理解することから、お互いを認め合えるようになってほしいです。
司会:
講師として、講演をする機会も多いそうですね。
チャン:
はい、難民のことを理解してもらうために、各地で文化紹介、人権、平和と自由、ベトナム語や料理講座などを巡回して講演をしています。
司会:
そして、以前、神奈川県知事の諮問機関である外国籍県民会議の委員だったと承知しておりますが、現在は、いかがですか?
チャン:
現在は、「外国籍県民との共生のための地域生活支援のあり方検討委員会」と「神奈川県義務教育研究協議委員会」などの委員として活動をしております。
司会:
最近の活動についてお話いただけますか?
チャン:
相談員の仕事とは、直接関係ありませんが、今月6日に、先程の奥野理事長のあいさつにもありましたが、この品川区のみなとが丘ふ頭公園に、国際救援センター修了生の有志として「ハナミズキ」の木を植樹しました。
私たちは、国際救援センターが閉所してしまって、さびしかったのですが、何かの思い出のものを残せないか奥野理事長にご相談したところ、東京都の計らいもあって、公園に植樹させていただくことが実現したのです。
みなさん、ご存じないかと思いますが、当日は、台風のような雨と強風の中、政府の方やNGOの人たちにご出席いただいて、何とか無事に植樹ができ、関係者の皆様に感謝しています。
司会:
トルオン ティ トゥイ チャンさん、ありがとうございました。
司会:
皆さんからひととおりお話を伺って、現在、みなさんは、共通して、非常に、お忙しく充実した生活を送られていることがわかりました。そこで、今抱える、課題や近い将来の予定などをお話いただいて、今後に向けての展望を伺いたいと思います。
西村さん、いかがですか?
西村:
私たちカンボジア人は、以前から、難民の憩いの場としての建物の建設をしてほしいと国などにお願いをし続けてきましたが、なかなか困難なようです。
そこで、最近、自分たちの力で一部屋借りることから始めようとさがしました。場所は、狭いですが、管理運営できそうな平塚市内の商店向きのひと部屋がみつかりました。現在、準備を始めたところです。
司会:
ティンティン ウィンさんは、ご自宅の一室を図書館として開設し
て、将来の予定は、いかがですか?
ティンティン ウィン:
図書室なのに図書館といっているのは、やがて、独立して部屋を借りて、本当に、図書館として活動できるようにしたいと思っているから、現在も図書館と表現しているのです。
それに、本もどんどん増えていますから、一日も早く別の場所に本当の図書館として活動をしたいです。
司会:
在日本ラオス協会は、独自のラオス文化センターがありますが、何か問題がありますか?
新岡:
たくさん問題があります。
まず、管理運営に大変な負担がかかります。
また、ラオスから招聘するお坊さんのVISAが期間が短く度々の往復の旅費等の負担が大変です。
そこで、宗教法人にする方法やNPOとしてボランティアの登録など何度も検討し準備もしましたが、いろいろ問題があり、どちらも、まだ、登録はしてありません。
また、ラオス文化センターは、狭い民家ですから、大勢のラオス人が建物の中に入れません。
いまは、もっと交通の便利な広くて安い物件をさがす予定です。
司会:
ありがとうございました。憩いの場所があっても、問題があったのですね。
トルオン ティ トゥイ チャンさん、ひとことありますか?
チャン:
この会場の若い皆さんにメッセージがあります。
私たちは、難民として日本に入国して、平和と自由と人権を守ることができました。
もちろん、現在、安定した生活になるためには、乗り越えなければならないことがたくさんあります。
でも、それは、日本人であっても、困難を乗り越えると言う意味では、共通だと思います。
何でも豊かに物があふれたところで暮らすことは、誘惑もたくさんあります。
私は、自分の命をかけて船に乗って脱出したあの困難な時を片時も忘れないために、あの当時の写真を持ち歩いています。
今、こうして安定できているのは、自分の親が困難の中で日本に連れてきてくれたこと、また日本の国が私たちを難民として受け入れてくれたことの恩を忘れないようにしてもらいたいです。
この辛い難民体験よりひどいことは、この先ないだろうと思います。
私は、胸を張って、希望と夢を持って、皆さんと共に生きたいと思っています。
司会:
それでは、トークショーを楽しんでまいりましたが、時間も押し迫ってきました。
長いこと、みなさん、トークショーにお付き合いいただきまして、
ありがとうございました。