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2019.3.1

「日本での生活」
ソー ヌン
在日14年・カンボジア

ソー ヌンさん
僕は、インドシナ難民としてカンボジアからタイの難民キャンプを経て、両親や弟と7歳のとき日本に来て14年になります。日本政府をはじめ、神奈川県やボランティアの方々のご支援により、僕の家族はようやく落ち着いた生活を送ることができています。しかし、すでに定住生活20年以上になる人もいますが、老後の生活に不安な人もいます。それは、母国カンボジアには、年金制度がなかったので、よく分からず、年金について通知が届いても難しくてそのままに放り出され、加入しなかったり、加入していてもカラ期間を含んで支給されるので、支給額は生活するには不安だったり問題を抱えています。
日本では、地域の助け合いがありません。祖国のカンボジアでは、年金制度がありませんが、お寺のお坊さんを中心に地域社会が助け合います。人々は、毎日のお坊さんへの托鉢やお寺への寄進で支えています。
僕たちは日本の学校を出たので日本語ならば分かりますが、母国の混乱の中で教育も十分に受ける機会がなく、難民キャンプでの生活の長かった両親の世代が分かるように社会制度などについてカンボジア語で説明することは僕のカンボジア語の力では困難です。
そこで、政府や行政の広報はビデオテープなどをカンボジア語で、地域の役所に貸し出しで置いてほしいです。
世界はますます近くなり、人々の交流が盛んです。外国籍県民、市民の生活しやすい社会にしてほしいです。

「親子」
ペットソンプー アンポン(川村愛)
在日18年・ラオス

ペットソンプー アンポン(川村愛)さん

 私が今回ここでスピーチをしたいテーマは「親子について」です。いざ、スピーチを始めるとなると、何を先に言っていいのか迷いますが、まず、私の両親を紹介したいと思います。私の父ペットソンプー カムワンは、ラオス出身で性格はとても頑固で昔の日本のお父さんみたいな人です。母の方は、ペットソンプー ブワソンもラオス出身です。母の方は父に比べるとそんなに頑固ではないのですが、頑固の部類に入ります。
ラオスやベトナム近辺は親の言うことは絶対で反抗、ましてや口答えも許されないという家族の文化があるから、そういった親の背中を見てきた子供たちもまた、頑固な親へとなっていくような気がします。子供ですから、思春期という時期があって、世の中の矛盾や大人、親の矛盾に過剰に反応して、それをどうしてもその相手にぶつけたくなります。そのときは、頭ごなしに叱らず、子供の存在を否定せず、大きな心を持って子供のひとつひとつの言葉に耳を傾けてあげてほしいです。その子が自分に何を伝えたいか感じとってあげてください。そして、そのことについて、怒らずに話し合ってみてください。そうすればきっと、頭ごなしに叱るよりもその子供は心がずっと成長していくと私は思います。
また、危険な道へ行きそうなとき、どうか無理やりに自分の元へ戻そうとしないでください。無理やりに元へ戻そうとすれば、またその道へ子供は走っていくでしょう。子供が聞く耳を持った時にさりげなくその道の危険さを話してあげればちゃんと、今自分のいるポジションについて考え直してくれるはずです。なんだかんだ言って子供は結局、親の愛、助けが必要なのです。どうかそのサインを感じ取ってあげてください。そんな時のことを子供は、ちゃんと覚えています。その数が多ければ多いほど親に対する感謝の気持ちは大きいはずです。そのやりとりができてこそ、親子それぞれの立場が成立してくると思います。
最後に、お父さん、お母さん、今まで育ててくれてありがとう。心配や迷惑をたくさん、たくさんかけっばなしで、何一つまだ親孝行できていません。これからも何かと迷惑をかけて苦労させたりするかもしれないけれど、この先、絶対親孝行して幸せにします。これからもよろしくね。そして、最後まで聞いてくださった皆さん、ありがとうございました。

「多文化共生」
チン ケンリアン
在日19年・カンボジア

チン ケンリアンさん

 最近外国籍市民が増え、日本人社会との共生、共存のあり方が問われています。これは、単に、日本社会の受け入れに限らず、外国籍市民もどのようにしたら日本人社会との共生ができるか問われていることと思います。
私たちカンボジア出身者は、コミュニティーすなわちクメールボランティア協会では、日本人社会との調和を図るため、日本人との国際交流の機会を多くもっています。また、自分たちの子供の世代にもカンボジアの文化・習慣を理解と継承の努力をしています。例えば、正月やお盆行事の開催、古典舞踊の公演などです。しかし、私たち協会は文化伝統の維持・継承に、経費面などで苦労しています。しかし、コミュニティーのためにも皆さんに理解していただくためにも、これからも努力したいと思います。

「ベトナム人として」
トルオン ティ トゥ トラング
在日19年・ベトナム

トルオン ティ トゥ トラングさん

 皆さんこんにちは。私の名前はトルオン ティ トゥ トラングです。現在日本赤十字病院で看護師として働いています。ベトナム難民です。19年前に家族と小さな舟でベトナムを脱出しました。当時私はまだ5歳です。もちろんこれからどこに向かうのか、なぜベトナムを出るのか知りませんでした。
日本に来て今まで一番つらかったことは差別を受けたことです。義務教育の中では「難民」「外人」「ベトナム戦争」「国へ帰れ」と、同級生からの目に見える差別といじめにあいました。そして社会に出てからは目に見えない差別を受けています。数年前に看護師の試験に合格し、病院に就職活動をしたときでした。看護師の募集広告があり、電話をしました。電話での話し合いがスムーズにいき、最後に面接の日時を決めるのに「氏名と連絡先を教えてください」と言われました。そのときに、カタカナの私の名前を言いました。私の名前を言ったところ、「少々お待ちください」と言われました。数分後に「たった今募集が終わりました」と面接を断わられました。数分間の間で募集が終わることってあるのでしょうか。差別があってはならない医療現場でさえ、私という人間を知りもせず、私のカタカナの名前だけで私を受け入れなかったのです。
また、以前の病院で、ナースキャップを被り、看護師として働いている私に対して、患者さんは「日本語読めるの?漢字分かるの?」「仕事大丈夫?できるの?」「日本に稼ぎにきたんでしょ?国へ持って帰れば金持ちになれるよね」いくら私が難民ですと伝えても、「お金がいいもんね。看護師は」と言われました。看護師の国家試験に合格した私は、一人の看護師としてではなく、日本人ではない外国のよそ者でした。
私は患者さんを看護するにあたり、日本人だから、外国人だからとして看護したことは一度もありません。日本国籍にしてしまえば心無い一言に傷つくこともありません。しかし、私は国籍を変えようと思ったことは、今までに一度もありませんでした。なぜなら国籍を変えても私の体内に流れているのは両親からもらったベトナム人としての血だからです。
また、ベトナム人や外国人を色眼鏡でしか見られない一部の日本人の方々に、外国人も日本人同様の生活力や学習力、そして賢明に働くことができることを私のカタカナの名前で伝えていきたいからです。私は日本国籍を持たないベトナム人です。しかし、日本人と何一つ違いはありません。感情を持つ一人の人間です。
そこで、ここにいらっしゃっている皆さんにお願いがあります。私たち国は違いますが、同じ地球人です。同じ人間として私たち外国人を差別しないでください。そして、これからそのような日本の方がいらっしゃったら、どうか一言教えてあげてください。同じ地球人、同じ人間、文化が違うだけだよ、ということを伝えてください。お願いします。
ご清聴ありがとうございました。

「ラオス文化センターの建設」
ポンサワット ヌアントン(箱崎明弘)
在日22年・ラオス

ポンサワット ヌアントン(箱崎明弘)さん

 皆さま、こんにちは。まず私は自己紹介をします。私は、ラオス人で、1980年に母国を脱出し、タイのノンカイキャンプ(タイにあった難民キャンプ)を経て日本に来ました。平和なはずの難民キャンプでの生活もずいぶん苦労しました。毎日、タイの日本大使館に手紙を出してやっと4ヵ月後に日本に入国でき、大和定住促進センターに入って、約3ヵ月間、日本語を勉強させていただきました。しかし、大和定住促進センターの中でも、インドシナ三カ国一緒に生活することは、喧嘩等の問題が起きやすく大騒ぎになり、住民の皆さんにお騒がせしたこともありました。それ以来、評判を落とし、就職先や定住先を探すのに、どこへ行っても断わられたようです。私はセンターを出て2年後位から同胞と在日本ラオス協会で、活動を続けてきました。活動の初期は、互助活動と共に、タイ各地の難民キャンプにいる同胞に、いろんな物資を送る活動をしました。その後は、日本の団体と共に、母国ラオスへの学校建設やお寺づくりの活動をしてまいりました。
私は、在日本ラオス協会の副会長として活動は20年間になります。協会の目的や目標は、やっと昨年に明確になり、会員一丸となり資金集めを始めました。それは、私たちラオス人にとってラオス文化センターを建設することになったのです。行事のたびに参加者に、または成功した人たちに対して資金を集めました。やっと1,000万円ほど集まりました。今月から着々と書類上の手続きをし、6月にはスタートできそうです。
これから皆平和でいい生活が日本でできるように、このラオス文化センターを拠点に頑張っていきたいと思います。是非、皆さまにもご協力、ご指導をお願いします。
今日は、聞いてくださって、どうもありがとうございました。

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