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2019.3.1

日本語スピーチフォーラム

 2005年5月15日(日)に、ベトナム、ラオス、カンボジアのコミュニティー団体などと難民事業本部の共催により、神奈川県立あーすプラザホールにおいて、「あーすフェスタかながわ」の行事の一つとして「日本語スピーチフォーラム」を開催しました。 ベトナム、ラオスの難民定住者をはじめ、オーストラリア、中国、フランス、インドネシア等からの外国籍の人たち計12名が日本語でスピーチを行い、意見や主張を率直に表明しました。 引き続き行われた討論会では、日本での生活と文化の違い、コミュニケーションの問題、日本語の学び方などについて、聴衆も参加して活発な意見交換がありました。 スピーチしてくれた難民定住者の人たちは、さまざまな人生経験を語ってくれました。ここに、その内容を紹介します。

実際のスピーチがお聞きになれます。

ダン トロン タオさん ドゥアンダラー タニオさん 日野 英梨さん

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僕の将来の夢 私の言いたいこと ダン トロン タオ(ベトナム)
ダン トロン タオさん
こんにちは、僕はベトナムのダン トロン タオです。僕は去年(2004年)の3月に日本に来ました。4月から10月まで品川国際救援センターに居ました。センターで日本語の勉強と日本社会の勉強をしました。10月にセンターを出てから相模原のお兄さんと一緒に住みます。今年の4月から相模原の中学校に行っています。2年生から勉強を始めました。 日本の中学校とベトナムの中学校について説明いたします。日本の中学校は建物がきれいです。生徒たちが多いです。ベトナムは中学校の周りに木が多くて、きれいでした。勉強は月曜日から土曜日まであります。午前は、小学校になって、午後から中学校となります。小学校は7時15分から11時までです。中学校は13時15分から16時30分までです。中学校は、国語と数学と社会と歴史と理科と地理と美術と技術と英語と音楽と体育です。僕の好きな科目は美術と音楽と体育です。一番得意なのは美術です。僕のお姉さんが毎日お弁当を作ってくれます。お弁当はおいしいです。 日本の中学生は大きくて背が高いです。それに親切な人です。僕は中学校にいると分かりませんが、友達と先生にいろいろなことを説明してもらいました。クラスで日本語の勉強は難しいです。でも、友達は面白いです。日本の中学校は9時から夜6時までです。僕は朝7時に学校に行きます。毎日7時40分からみんなで部活をします。部活の中でテニスとサッカーとバスケットと卓球があります。みんなは部活が上手です。部活がにぎやかで面白いです。8時35分に部活が終わってからクラスで本を読みます。9時から勉強が始まります。 日本の友達と話します。でも、時々友達の難しい言葉はちょっと分かりません。その時は辞書で調べたり、友達に聞いたりします。バスケットと卓球はベトナムの辞書に載っていなかったので、友達に聞きました。友達が教えてくれました。僕は嬉しかったです。今まで嬉しかったのは、友達が僕の名前をダンさんと言ってくれて、一緒に遊びませんかと言われました。国語はまだ弱いですので、昼休みに遊ばないで一人で漢字を勉強していました。中学校に入って、よかったです。皆様ありがとうございました。以上です。 僕の将来の夢 ドゥアンダラー タニオ(ラオス)
ドゥアンダラー タニオさん
皆さん、こんにちは。私の名前は、ドゥアンダラー タニオといいます。ラオスからきました。今は中学3年生で来年は高校生です。僕の両親はラオス人で、日本には私が2歳から3歳の時に来ました。ラオスのことは全然覚えてないのですが、母からその時の話を聞きました。ラオスは結構暑い国だそうです。母は日本の方がいろいろ物が安いと話しておりました。ラオスは食べ物がこってりしたものや辛いものが多いそうで、私の家でもラオスの人のお客さんが来ると、よく辛い料理が出ます。ラオスに居たころの私は皆と違って、辛いものが嫌いで全然食べず、果物くらいしか食べなかったと聞いています。よく親に辛いもの食えって言われました。日本で最初に来たのは姫路でした。お城が遠くから見えたのを覚えています。今は相模原に住んでいます。 今回は私の将来の夢について話したいと思います。私はいろいろ物を作ったりするのが好きなので、将来はコンピューターを使ってCG映画を作りたいと思っています。なぜかというと、かっこいいからもありますが、何よりCGは普通だとできないような映画が作れるからです。前に観たある映画にも憧れたということもあります。大学に入ったら何か簡単な作品を作りたいです。それで、将来は、全世界の人々に自分の作品を観てもらいたいです。それで将来有名にもなって、時間にも余裕ができたら、今まで自分はラオスに一度も行ったことがないので、行ってみたいです。そこで私は今中学生なので、今話したことを実現するために、まずは高校受験から頑張っていきたいです。今はあまり成績が良くないので、葦の会(日本語教室などを開いているボランティア団体)の方々にいろいろお世話になって、勉強を教えてもらっています。残り一年を切っているので、今までおろそかにしていた部分を取り戻して、行きたい学校にも行けるよう頑張ります。 ご清聴ありがとうございました。 日本に住む外国人と日本人 日野 英梨(ベトナム)
日野 英梨さん
こんにちは、日野英梨です。私の両親はベトナムに生まれ、父は留学で19歳の時に、母は祖父は日本人なので、16歳の時に日本にやって来ました。そんな2人の間に生まれた私は、日本の国籍を持ち、日本の人々と同じように暮らしてきました。日本の人々となんら変わらない生活をしてきた私ですが、ただ一つ違っていることといえば、日本に住むさまざまな外国人とかかわり、その外国人が持つさまざまな悩みを見たり、聞いたりしていたこと、またその反対に、日本人が持つ外国人のイメージなども小耳にはさむこともあります。そんな時、「お互いはあまり理解していないのだな」と感じています。今日は、そういったことを焦点に当てて、お話ししたいと思います。 在日外国人の一番の悩みとしてあげられるのは、日本人が待つ外国人に対する先入観です。「日本語が通じないのでは・・・」「きちんと仕事ができるのだろうか」「最近事件も多いし、少し怖い」という先入観を持っている人もいて、在日外国人に対して閉鎖的であまりいいイメージを持っていない人も少なくありません。ある女の子の話ですが、彼女は家庭があまり裕福ではなく、お風呂でさえ毎日は入れないという環境でした。それを知ってか知らずか、とても優しい女の子であるのにもかかわらず「不潔だ」と言っていじめられているのを見たことがあります。私の父と母も、ベトナム人のくせにと言われて差別を受けたことがあります。母の場合は、祖父が日本人なのでベトナムでは日本人のくせにと差別され、日本にやってきた時にベトナム人のくせにと差別をされた経験があって、居場所がなかったと聞いたことがあります。また、公共施設である温泉でも外国人禁止の温泉があると聞いたことがあり、とても心が痛みました。仕事に対しても少なからず先入観があるのではと思います。このような現状を見て、私は「昔より住みやすくなったといっても、まだ受け入れてもらっていない部分もあるんだな」と感じました。 もう一つの悩みとしてあげられるのは、職業の問題です。仕事に就けない在日外国人もいますし、たとえ仕事に就けたとしても生活が苦しい人が多いです。私は、一度かわったボランティアをしたことがあります。皆さんは、「いらなくなった冷蔵庫やパソコンなど、電気製品を無料で回収します。粗大ゴミの回収車です」という音声を耳にしたことはないでしょうか?私がやったかわったボランティアというのは、この回収車の音声を頼まれたということです。在日ベトナム人の男性から母をとおして頼まれたもので、話によると仕ことはしているものの生活が苦しいので、副職として粗大ゴミの回収を行いたいのだけど、日本語があまり話せず、音声カセットを買うのにもお金がかかるので、お願いしたいという事でした。音声カセット一個を買うのにもちゅうちょしてしまうほど苦しい生活ですが、彼は多くの在日外国人の親たちと同様に、子どもたちを良い学校に入れて、医者や弁護士になって在日外国人でも立派に生きてほしいと願っています。しかし、貧しさゆえに夢を断たれる在日外国人が居るのも現状です。 この二つの問題が存在するのは、始めに話したように「あまりお互いを理解していない」からだと思います。日本で暮らす外国人の数は、日本人の人口に比べてとても少ないので、こういった機会がなければ外国人とかかわることがそう多くはなく、個人を理解する前に「外国人は珍しい」「外国人は異種族である」という偏見を持ってしまうことは仕方ないことです。しかし、在日外国人でも日本人でも、日本で暮らしていても他の国で暮らしていても、同じ人間であることには変わりありません。この地球には、60億以上の人々が暮らしています。文化も言語も性格も姿形も、人それぞれで違っています。むしろ、違っていて当たり前だと思っています。大事なことは、なに人であるかということではなく、日本人と違った血を持っていても、個人個人を認め、同じ人間であることをお互いに理解することではないでしょうか。今日は、このようなことを皆さんに考えてもらいたいと思っています。まだ、理解されてない部分もありますが、ただ救いなのは、若い人たちが外国人に話し掛け、自分たちから歩み寄ろうという人がいるということです。少なからず今日ここに訪れてくれた皆さんも外国人のことを理解しようと思って来てくれたのだと思い、とても嬉しいです。これからも、自分から歩み寄ろうとする若い人たちや皆様のように、自ら外国人を理解しようとする人々が増えていってほしいと願っています。 これで、発表を終わります。ご清聴ありがとうございました。

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