2019.3.1
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おはようございます。五十嵐亜紗美です。 10年ほど前にラオスから来日しました。 日本での生活を始めて10年が過ぎますが、 まだまだ分からないことがたくさんありま す。特に苦労しているのは漢字の読み書き です。漢字を読むことはできますが、書く ことがなかなかできません。私はよくテレ ビを見ます。テレビは日本語を覚えるためにもっとも効果的な手段です。しかし、番組で使われている日本語は私にとってまだ難しいことが多いので、内容を理解することはひと苦労です。
日本に来たばかりの時は日本語が理解できず、「これから私、日本で生活していけるんだろうか」と不安でいっぱいでした。両親もまた、日本語を話すことも書くこともできなかったので、私の周りには頼る人が誰もいなかったのです。そんな不安でいっぱいだった時に家庭教師ボランティアと出会いました。家庭教師ボランティアとは、上智短期大学の学生が10年ほど前から行っている活動で、日本語が不自由な人たちに、日本語や学校での勉強などを各家庭に教えに行くというものです。私は彼女たちに日本語を教えてもらうことができたおかげで、日本語が少しずつわかるようになりました。今は日常会話を問題なくできるようになり、就職ができるようにまでなりました。今も漢字を覚えるために、彼女たちと一緒に勉強をしています。
日本の生活の中で感じたことは、親子の在り方です。私たちラオスの人は、家事全般を子供たちがするのがあたりまえですが、日本ではそれがあたりまえではないという文化の違いを感じました。日本人の友人は家で両親の手伝いをしないのです。それぞれ文化は違うと思いますが、自分の両親を敬うことは大切だと思います。文化の違いや敬語の壁がある日本ですが、私はこの日本が大好きです。
ありがとうございました。
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皆さん、おはようございます。私は、 チュープ チャンダラプットと申します。 17年前に家族とカンボジアから日本に難 民として来ました。
当時、私は日本のことが全然分かりませ んでした。私は、大和定住促進センターで 日本語と日本の文化、生活、習慣などの教育を受けました。その後、就職しセンターを退所して現在に至りますが、その間、苦しいこと楽しいことがたくさんありました。職場で、センターで学んだ丁寧な日本語を使うと同僚に笑われました。今では同僚と話す時は、友達言葉を使っています。
雨や雪の中を毎日、妻が保育園に二人の子供を自転車で送り迎えすることは大変なので、運転免許を取ろうと思っていました。しかし、仕事に追われて、ボランティアの日本語教室に通う時間がありませんでした。日本語が完全にできないため、一人で日本語の勉強をしました。わからない言葉があるとき、辞書で調べたかったのですが、日本語・カンボジ語の辞書はほとんどなく、和英辞典で調べなければなりませんでした。しかし、がんばって日本語を一生懸命覚えたので、運転免許を取ることができました。
職場での仕事や日本の生活などに慣れたころ、カンボジアの仲間たちの世話や相談、また、生活上困難なことやカンボジア人同士の交流などにかかわり、今はカンボジア関係のNGOの在日カンボジア人調整委員会で3年間活動し、カンボジアのお正月、花祭り、お盆、日本語スピーチフォーラムなどのいろいろなイベントを行っています。在日カンボジアセンターの設立の計画が出てきていますが、まずは募金を集める必要があると考えています。この3年間、短いようで長くて大変でしたが楽しくもありました。難民定住者とのつどいやアースフェスタなどの手伝いもしてきました。忙しい日々を送っています。こうして、少しでもカンボジア人の役に立っているのも、家族が健康で子供も無事に育ち、なんとか家庭が安定しているからだと思います。
人は年をとって勉強ができないということはないと思います。日本には「50の手習い」という言葉があり、私もそれに習ってずっと日本語の勉強も続けています。こうして、ここで皆さんにお話できるのも、17年間、日本で生活してきて、日本語が不自由なくできるからです。これからも日本語に磨きをかけ、ブラッシュアップに努めていこうと思います。簡単ですがこの辺りで私の話を終わります。
ご清聴ありがとうございました。
みんなで考えれば
トルオン ティ トゥイ チャン(ベトナム)
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シンチャオ。こんにちはチャンです。私 の国では、目上の人に挨拶をするときは、 腕を組んで「シンチャオ」と言います。こ れは、相手のことをすごく尊敬していると いう意味です。日本で腕を組んで挨拶をし たら、「失礼だ」としかられます。
私は22年前、8人家族と一緒に平和と自由を求めて日本に来ました。政治難民の私たちは、自分の母国に戻ることができません。日本を第二の母国として暮らしていくことになります。
私は現在、保育園、小・中学校、医療機関、区役所などの外国人相談窓口の相談通訳として働いています。22年間、家族を取り巻いた環境と私が感じた三つの問題をお話しします。
一つは家族・家庭の問題です。ほとんどの外国人の家庭は、夫婦で共働きをしないと、生活は成り立ちません。仕事の面では言葉が分からないということで、単純労働、肉体労働ばかりです。ベトナムでは、学校の先生、医者、弁護士、技術者、あるいはリーダー的な人がこれらの仕事しか見つけることができません。旦那さんは、言葉の問題などで毎日ストレスをため、家族や奥さんにあたります。奥さんもストレスを発散できず、子供にあたります。子供は学校で、外国人、カタカナの名前というだけでいじめられ、自信がなくなります。そして、ベトナムの名前を隠したり、ベトナム語を使いたがらなくなり、両親とも会話がなくなって、家族はばらばらになってしまいます。
二つめは学校の問題です。子供は上手に日本語を話せても、勉強の内容をよく理解できないことが多いです。母国語もうまく話せない、いじめなどを乗り越えられないといったことで不登校になります。これらは、学校における子供の問題です。
三つめは行政の問題です。私たちには、行政が出している情報がほとんど届きません。たとえば、健康保険のことです。健康保険を持っているメリットを理解できないため、「保険料が高い」と思って健康保険に加入しません。すると医療費が高くなりますが、「日本語で自分の病状を伝えられない、お金もたくさんかかる」と思い、我慢して病院に行かず、病気を悪化させるという非常に深刻な状態をつくりだしています。また、先ほど話したように、仕事の選択肢も少ない、住宅を借りることができない、ローンを組むことができないなどの問題もあります。
これらの三つの問題を考えるとき、私は問題を解決するためには、ハード面と私たちの努力が必要だと思っています。しかし、これらの問題を解決しても、私たちにはどうしても乗り越えられない問題が大きく横たわっています。それはソフト面の問題、すなわち差別の問題です。ハード面とソフト面は相互に関係していると思います。アメリカでは、会社で黒人の雇用数が法律で決められています。また、公の場での差別的な言動は法律違反になります。これらのハード面、ソフト面が相互に作用して、アメリカでの差別は表面的には劇的に少なくなっているようです。日本にも銭湯で「外国人おことわり」や就職や家を借りるとき差別がありますが、憲法だけではなく、罰則を伴う法律の制定などを考えていただきたいと思います。ハード面については皆さんにお話しすることができますが、ソフト面については一言では言うことができません。これらのことは、今後、皆さんと一緒に討論などでお話ししたいと思います。
22年間、ほとんど変わらない私たちを取り巻く環境を皆さんと共に考え、行動し、日本人にとっても外国人にとっても住みやすい社会になるようにしたいと思います。
ありがとうございました。
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