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2019.3.1

「第31回日本定住難民とのつどい」受賞者代表あいさつ
ベトナム出身 ファム タン トアン氏

 こんにちは。私は、ベトナムから来ましたファム タン トアンと申します。

 1993年7月7日に日本に来ました。兵庫県にあった姫路定住促進センターに入所し、そこで6カ月間、日本語を勉強しました。センターを退所後、八尾市(大阪府)に引っ越し、八尾市にある阪口製作所に就職してから約17年間働いています。私は主にプラスチック部品を作っています。日本に来たばかりのときは日本語と日本での生活はとても大変でした。現在は安定した生活を送っています。これからも頑張ります。

 今までいろいろ支援をして下さいました皆様及び難民事業本部に感謝を申し上げます。

 ありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。

 

 

カンボジア出身 スワイ チャンリッ氏

 皆様こんにちは。私はカンボジアのSvay Chanrithと申します。本日は私どもこの栄誉ある表彰をいただき、誠に有難うございました。

 私は政治避難者で来日して27年経ちました。難民として第三国への定住したい国を選べる権利がありました。私は日本が好きで、同じアジア大陸の日本を選びました。

 大和定住促進センターに入所して解ったことは他の大国と難民受入れシステムは異なってセンターに居られるのが日本語とカルチャーを勉強する期間の3カ月間だけでした。ウエルフェアが無い制度で右も左も知らない異国にその後どうやって暮らすのか悩みました。6月に入所し、予定通り10月上旬に電気工事会社に入社、翌年の5月に税金請求書が来ました。内容を読んだ後怒りました。家族4人安い給料で補助金もない難民が税金も払うのか?仕事をしながら振り返って考えると、私の周りの日本人が一生懸命朝から晩まで働いています。と言うことは私も自立しなくてはならない。難民ではないのだ。日本は私のことを市民の一員と認めている証しだ。皆平等だと思って嬉しかった。これからは本当の自由を手にし、全て自分の力で何でも可能と考えました。

 自分で日本語を勉強して一年後自動車運転免許を取得しました。プラスチック成型機メーカに入社、通信教育終了後技術部電気設計課で勤め、現在技術者で大型空調機械の最新技術制御盤を設計しています。同時に、外務省研修所の講師として、カンボジアに派遣される日本人公務員に対し、カンボジア語やカンボジアの地理、社会情勢の講義を担当して21年になります。

 その一方では、難民同士を助け合うため25年前からボランテア活動をしています。難民同士しか知らない精神的体力的に苦しんでいる仲間たちに、一日も早く日本の社会に慣れるように出来る限りイベントなどを行っています。今年5月に平塚市(神奈川県)で55周年日本カンボジア友好条約のセレモニーも行いました。現在私は在日カンボジアコミュニティ会長を務め、正直いって大変な大役ですが、まずは基本的にカンボジア人が日本で円滑に生活できるため日本語及び日本社会を理解できるよう活動しています。2000年から2004年に外国籍県民かながわ会議カンボジア代表委員として、県民暮らしやすい環境作りの会議、2005年から2007年に神奈川県教育委員会会議外国籍代表で県民の子供たちの教育方針会議に参加し、両会議で決定した提言を知事に提出しました。県議会でその提言が決断され各市町村に実行することになりました。私が目指すのは世界平和です。

 難民事業本部初め各地域のボランテア団体の力で現在定住者は20年以上前に比べてみると安定しています。それは皆様の助け合う気持ちと協力のおかげです。

 本日の喜びを一生忘れることなく私たちの胸に、そしてこの国際的なイベントは人々の喜びとして、暖かくて平和で難民たちや参加している皆様にとって良い思い出となり、そして世界平和に繋がるでしょう。

 理事長初め役員、職員及び関係者皆様に感謝しています。

 どうも有難うございました。

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