「パレスチナ難民は今」講演概要
1. パレスチナ難民とは
1948年のイスラエルとアラブ人との間に起こった戦争をきっかけに、イスラエルから逃れた人々を指す。したがって60年近く難民生活を続けている人々を指す。また戦争の性格から、宗教戦争のように語られることが多いがパレスチナ問題とは、宗教対立ではない。
支援活動はガザ地区、ヨルダン川西岸地区、ヨルダン、シリア、レバノンで行われている。これらの地域に59の難民キャンプがある。UNRWAに登録している難民は、1950年:91万人、2003年:400万人。同国連機関に登録されていないパレスチナ難民も約150万人いると推定されている。
2. 難民の帰還権
国連決議194号には難民が故郷に帰国する権利を明記しているが、パレスチナ難民とはパレスチナが存在する以前に難民となった人々であるため、彼らには帰国する国が無い。このことがパレスチナの難民問題の解決を難しくしている。
3. 難民支援の現場から
ガザ地区南部のラファ(エジプト側に位置する):人口の59%はパレスチナ難民というこの町は、2004年春に軍事侵攻をうけ、大規模な家屋の破壊にみまわれた。同時にたくさんの人々が家を失った。日本国際ボランティアセンター(JVC)が支援する幼稚園に通う児童の一人が命を落とした。この事件によって、登録されて難民になったというよりも、その状況がまさに難民と呼べるような状況にある人々が大量に生じた。 過去においても度々、このような難民が発生している。シャロン首相のアラクサモスクへの入場を契機として始まった第三次中東戦争においても、多くの難民が発生した。当時合計で6千万ドルに相当する家が壊され、子供を含む多くの人々が死亡した。同地におけるこれまでの戦闘の中で、最も破壊が激しかったと言われる。
(1) JVCの支援活動の中で思うこと
ラファ地区の周りの地区(ショウカ)も含めて、家を失った人々、栄養失調児と母親や、栄養失調児を抱える貧困家庭を対象に、栄養・保健指導を行った。周囲の地区も間接的な被害者であるということを認識することは重要である。人道支援だけでは、問題の根本的な解決にはならない。紛争そのものを解決する必要がある。
(2) ガザ地区における現状
8つの難民キャンプが存在する。60年間にコンクリート造りの建物が並ぶ一つの街のような外観に成長し、世界一人口密度の高い街と言われる。 当初UNRWA等の援助団体から難民に与えられたのは、3メートル四方の住居だった。
第三次中東戦争以降、当地はイスラエルの占領下に入る。難民キャンプに住む人々の多くはイスラエルへの出稼ぎで生活している。イスラエルにとって難民キャンプは、安い労働力の供給源ともいえる。同時にイスラエル側は、当地内部において産業が興ることを妨げるような政策を続けてきた。
2005年のイスラエル軍のガザ撤退によって、イスラエルによる当地の占領は終わったと言われているが、空海からの監視が続いていることに加えて、ガザ地区の外へ通じる道路は2カ所のみに限られている。イスラエル当局によって、引き続きモノおよび ヒトの移動が管理されている状況といえる。
オリーブの生産など、地域に合った作物を商業ベースでつくる農業をはじめとする産業が興っているが、モノ及びヒトの流れが管理されていることによって、その発展への悪影響を否めない。
自治政府ができたことで、交通警察や自治政府職員など雇用が生まれていることは歓迎すべきことである。
難民として生活する人々は、子供たちへの期待、教育への関心が高い(NGOのセーブ・ザ・チルドレンによる心理調査によっても語られている)。
JVC は、当地で1992年から活動してきたが、弱い立場にある人々が対等に和平交渉など進められるようになることを願っている。
4. ヨルダン川西岸地区における分断壁の建設
ヨルダン川西岸地区とイスラエルを分断する高さ8mの壁の建設が進んでいる。 パレスチナにおけるテロリストのイスラエルへの侵入を防ぐ目的とされている。 国際法上は違法だが、既成事実の積み重ねとして建設が進んでいる。国際司法裁判所は建設の中止を忠告しているが、未だ建設は中止されていない。西岸地区内では、道路封鎖や巨大な検問ターミナルの設置が見られ、移動検問所などを通らないと、隣町への移動すらできない状態である。
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