「難民定住者等の日本語教室の設置運営コーディネーター」レポートvol.1 −特別日本語教室−

「難民定住者等の日本語教室の設置運営コーディネーター」レポートvol.1 -特別日本語教室-

  特別日本語教室は、難民認定申請の結果を待っている人(申請者)たちを対象に、これらの人たちが一時的に住んでいる難民事業本部の施設で開かれています。教室は1回2時間、1カ月に6回、ボランティアの日本語指導経験者が指導しています。
生徒の中には、既に簡単な日本語でコミュニケーションできる人から、全く日本語がわからない人まで様々なレベルの人がいます。そのため日本語のレベルによって大まかに4つぐらいのグループに分けられています。
クラスでは、コミュニケーション能力の向上に加え、平仮名・片仮名の読み書きも学習しています。病気の表現、病院での医師とのやりとり、住居探し、求人広告を読むことや就職の面接の練習などは、教室内だけでなく、教室外で実際の場面での体験学習を行っています。たとえば、災害時の緊急避難のための場所に行ってみたり、防災訓練教室に参加したりしています。
また、文字の読み書きは就職活動で大きな力を発揮します。就労資格を持つ生徒に対しては、ハローワークに行き、求人情報を得たあと電話で雇用主に面接の交渉をするなどの就職活動の体験学習も行いました。この体験学習のあと、日本人に頼らず自分の力だけで求人広告に応募し、面接までこぎつけた人もいます。
本教室のボランティア教師は、生徒が少しずつでも自分の力で日本語でコミュニケーションがとれるよう工夫しています。
このように、地域に根ざし活動するボランティアの方々の思いやりと熱意が多文化共生を支えているのだと改めて実感させられました。

日本語教育相談員レポートVol.2

日本語教育相談員レポートVol.2

 

西日本地域に暮らす難民(関西支部)

 関西支部では愛知県以西に暮らすインドシナ難民、条約難民およびその家族、また難民認定申請者から寄せられるさまざまな相談に対応しています。西日本地域には、東日本地域に比較すると条約難民の定住者数が少なく、相談者別ではインドシナ難民とその家族の占める割合が大きいです。
 難民が日本に来てまず直面する大きな壁は日本語の問題です。日本語でコミュニケーションが取れないと、日本社会で生活していくことが困難になります。なかでも、すでに日本に定住している難民の家族に呼び寄せられて本国を出てきた学齢期の子どもたちは、新しい文化や家庭環境に順応しながら、日々の生活を通じて日本語を習得すると同時に、学校では日本語で教科を学習していくという大変負担の大きい状況に置かれています。そのような中でも夢を持って努力し続ける子どもたちも多くいます。現在20歳の兵庫県在住のベトナム人女性の場合、父親に呼び寄せられて来日したのが16歳の時でした。国際救援センター(平成18年3月閉所)にて日本語教育を修了した後、学年を一つ下げる形で、定住先の中学校へ入ることができましたが、日々の勉強についていくのは並大抵のことではありませんでした。しかし、その後は本人の猛勉強の甲斐あって日本人と同じ一般入試で公立高校進学を果たし、現在、大学進学を目指して頑張っています。
 その一方で、アルコール・薬物依存症や精神疾患など重い課題を抱えて暮らす難民定住者がいます。その多くは日本語が十分に習得できていません。日本語で意思疎通ができないということで周囲から孤立してしまう可能性も高くなり、職場や地域でトラブルに巻き込まれたり、周囲の人たちとの軋轢を生む原因となったりすることが少なくありません。このような場合には、日本語学習の機会を得られるように、そしてその後も継続して学習が続けられるように、地域の日本語ボランティア教室を紹介するなどの支援を行っていますが、いきなり教室に通うことに不安や抵抗を示すようであれば、難民事業本部が実施している難民定住者対象の日本語教材援助事業を利用し、まずは独習するための辞書やテキストを提供するなど、導入的な支援から始めています。
 条約難民が日本語学習を希望する場合には、東京にある「RHQ支援センター」への入所を案内します。しかし、すでに居住地域で生活基盤を築いている場合には、仕事や家族などの都合から、たとえ一時的でも東京へ移り住むことが難しいのが現状です。このようなケースでは、自宅から通える範囲にある日本語教室や、国際交流協会など地域の日本語学習相談窓口を紹介しています。また、最近増えている難民認定申請者からの日本語学習相談では、日本語がほとんど理解できず、同時に経済的に困窮しているケースが多く見られます。教室情報を提供する場合は、交通費や受講料などの負担についても配慮が必要で、できるだけ近場で無料の教室を紹介するようにしています。
 このように相談者の背景は実にさまざまです。そして相談者一人ひとりに対するアドバイスや支援の内容も多岐にわたります。そのため日本語教育相談員は、生活全般の相談を担当する難民相談員、仕事の相談を担当する職業相談員と連携しながら、相談者の置かれた状況を把握し、多角的な視点から日本語学習のアドバイスを心がけています。また、活用できる社会資源について幅広く情報収集を行う必要があり、行政や関連団体との連携も重要な役割となっています。

日本語教育相談員レポート

日本語教育相談員レポート

 

 難民事業本部日本語教育相談員は、条約難民対象の定住支援施設「RHQ支援センター」における生活ガイダンスの講座のひとつ「教育制度(小・中・高校、大学、専門学校)・奨学金等」において日本の教育制度や進路についての情報提供を行っています。6月23日(火)、平成21年度前期昼間コース入所者(7期生)を対象に行った同講座では、「日本の学校教育制度および職業教育制度について」、「教育にかかる基本的費用および奨学金制度について」、「センター退所後の日本語学習継続について」を大きなテーマとして、日本の義務教育制度、高校進学のためのスケジュールと費用、専門学校や職業訓練校と取得可能資格、日本語教室と日本語学校、大学進学に必要な日本語能力、日本語能力試験などについて通訳を介して説明をしました。RHQ支援センターに入所する条約難民とその家族の方々は、母国で高い学歴を持つ方が多く、子どもの教育にも、また自分自身のステップアップのための学習にも強い関心を持っています。今期の受講者は、20歳代から50歳代までの幅広い年齢層ですが、全員が自分自身の問題と捉え、熱心に耳を傾けていました。
 「子どもを公立高校に行かせたいけれど、公立高校は優秀な成績でなければ入学できませんか」、「私立高校の学費はどのぐらいかかりますか」、「大学に行きたいけれど、どのぐらい日本語ができれば行けますか」、「○○の資格を取るにはいくらかかりますか」、「母国で取った資格を生かして、日本でも同じ仕事に就きたいけれど、どうすれば日本で同じ資格が取れますか」、「ビジネス日本語能力試験でいい成績をおさめれば、正社員として雇ってもらえますか」、「家の近くにある日本語ボランティア教室を教えてください」など、受講者からは多岐に渡る質問が寄せられました。また、ほぼ全員がRHQ支援センター退所後も学習を続けることに意欲を見せていました。「子どもにはできるだけいい教育を受けさせたい」、そのためにも「自分自身がRHQ支援センター退所後も学習を続けて、経済的に安定した生活を送りたい」という切実な思いが伝わってきます。
 日本語学校や大学進学、資格取得などそれぞれの目標を目指して、センター退所後も日本で教育を受ける上で、大きな壁となるのが経済力の問題です。日本語教育相談員は必要に応じて奨学金の情報提供を行っていますが、種類や条件の合うものがあまりなく、退所後の教育には経済的な面でかなりの困難を伴うのが現状です。また、難民の中には日本語能力が不十分なことにより、仕事の選択肢が限られてしまう例が多く見受けられます。日本語学習を続けることは、就業の面からも大変重要です。そのため、働きながら日本語を勉強したいと希望する者には、地域の日本語ボランティア教室を紹介し、週に数回、日本語を学習する機会を確保できるよう支援しています。
 家族のために働きながら日本語を勉強する人、家族の協力を得て進学を目指す人など、退所後の学習環境はさまざまになりますが、今後は個別面談を行いながら、それぞれに合った形で学習が続けられるように支援していきたいと思います。

池田一人講師による「カレン民族について」の研修会を行いました

池田一人講師による「カレン民族について」の研修会を行いました

 2012年9月7日、難民事業本部会議室にて、第三国定住事業に関する理解促進の一環として、日ごろカレン民族と接する機会がある職員や相談員、定住先の自治体職員や地域定住支援員を対象とした研修会を行いました。講師にはミャンマー近現代史の専門家である東京外国語大学の池田一人講師をお招きし、カレン民族の形成史を体系的に説明して頂きました。
 カレン民族の文化や歴史的背景に加えて、長年タイの難民キャンプで暮らしてきたという特殊性を持つ彼らとどのように接し、地域での定住を推し進めていったらよいかという点が出席者共通の問題意識でした。池田講師からは「『カレン民族』とは何かと問うよりも、キャンプから来た人々は外部との交流が少ない田舎に住んでいる人々、或いは東南アジア大陸部に住んでいる上座仏教徒と共通の価値観を持っている人々なので、カレン民族という先入観や固定観念にばかりとらわれず、個々の人となりに対応して接することが彼らをもっともよく理解する術ではないか」とのアドバイスを頂きました。
 カレン難民の文化・背景への理解が深まると同時に、日ごろ忘れがちな支援の基本姿勢に立ち返らせてくれる研修会となりました。

ベトナム難民定住30周年記念行事「感謝の式典」

ベトナム難民定住30周年記念行事「感謝の式典」

 2012年5月5日、浜松市立北部公民館にてベトナム難民定住30周年記念行事「感謝の式典」が開催されました。会場にはベトナム人定住者が300名ほど詰め掛けました。会場に入るとすぐに、飾られていた静岡県ベトナム人協会の歴代行事写真が眼を引きました。更にベトナム料理や、民族衣装に身を包んだ女性たちで会場は華やいでいました。
 主催者代表のトラン バン ミン(山田明)さんは、「ここに住むベトナム人たちには浜松の気風が合っており、ここを気に入っている。彼らは助け合いの精神で頑張って来た。それは日本人のサポートのお陰である。」と謝意を述べました。
 来賓として浜松市国際課、浜松市国際交流会など代表の方々の挨拶がありました。その中で、初期のボートピープルの受入れを行った聖隷福祉事業団の岡野氏が1979年から7年間運営した「難民施設・愛光寮」について、思い出を語られました。日本がまだ難民条約を批准するより前に日本赤十字社を通じてベトナム難民の受入れを行った施設です。愛光寮には総勢246名が入所、岡野氏は7年間のうち2年間職員としてベトナム人の入所中のお世話をしたそうです。この時期、彼らの半数は米国に渡ったとのこと。この愛光寮の記録が「青い鳥の夢」という写真集として浜松市の図書館で閲覧できるそうです。
 来賓の最後に、浜松市在住のベトナム人たちから日本の母として慕われ絶大な信頼を寄せられている古橋氏が、30年間のベトナム人との親交を語りました。

 その後ベトナム料理を味わい、子どもたち部門と女性部門の美しい民族舞踊が披露されました。

姫路定住促進センター跡地に「感謝碑」が建立されました

姫路定住促進センター跡地に「感謝碑」が建立されました

 2012年4月29日、日本に定住するベトナム難民の有志(代表:高山親神父)により、姫路定住促進センター(兵庫県姫路市仁豊野)の跡地に感謝碑が建立され、除幕式が開催されました。 「この感謝碑はベトナム難民を受入れ、世話してくださった日本政府はじめ、諸団体・個人に対し感謝の意を示すために建てられたものである」。御影石でできた碑には、ベトナム語と日本語で、そう刻まれています。 1979年9月にカトリック淳心会がベトナム難民の一時滞在施設を開設し、同年12月には難民事業本部が同じ敷地内に土地を借り、日本で最初の難民定住支援施設である姫路定住促進センターを開設しました。1996年3月の閉所までにベトナム人2,201名、ラオス人439名の合計2,640名が日本語教育など日本での生活のための準備に励みました。 除幕式と感謝式典には、センターの退所者だけでなく、全国からベトナム人約200名が駆けつけ、招待を受けた難民事業本部、国連、政府、自治体、支援団体等の関係者と共に旧交を温めました。 来賓として出席したUNHCR駐日代表ヨハン・セルス氏は、「ベトナムの方々が感謝の意を表すためにイニシアティブをとって、今日の式典を開催したということは、重要な意味を持っている。ベトナム、ラオス、カンボジアの方々が30年間にわたり苦労されたということを忘れてはならない。今日、難民として来日する人々にとっても大事な経験となるからである。」と、これまでの難民の苦労をねぎらい、その歴史的な意味について語りました。 ベトナム難民を代表して挨拶したグエン・ティ・ティエン・チャンさんは、「難民に対して善意を示してくださった全ての人々に感謝の意を表すために、今日記念碑が立てられた。ボートピープルという言葉は死語となったが、その命、その祈りがこの感謝碑とともに生き続け、その善意が次の善意の道しるべとなることを願っている。」と式典の最後を締めくくりました。

カンボジア文化伝統支援委員会主催行事

カンボジア文化伝統支援委員会主催行事

 2012年3月18日、相模原市「けやき会館」にてカンボジア人定住者が集まり厳かな行事が開催されました。「東日本大震災犠牲者追悼集会」です。
 これは昨年11月に発足したカンボジア人グループによる「文化伝統支援委員会」の行事のひとつです。カンボジア人の生活様式は仏教行事に則ったものであるため、平素より常に僧侶を囲んで心の平安を祈る場に集うことを願っていることから、僧侶の常駐を必要としているそうです。主催者は母国から僧侶を招へいしました。年間行事を僧侶と共に開催するための招へい、住まい、生活の費用すべてをねん出しているそうです。
 同委員会は在日カンボジア人定住者が協力し合って僧侶を常駐させる建物を持つことを第一の目的としています。そのため様々な機会を設けてカンボジア人定住者たちが心を一つにして行事を開催、その都度仏教儀式を行い、僧侶の必要性を伝えていきたいと考えているそうです。
 従来より在日カンボジア人たちは自分たちの居住地を中心とした自助グループが複数あり、1年に1度お正月行事を行うために実行委員会形式で各グループの指導者たちが共催で開催してきました。
 この日も、各グループの枠を超えてカンボジア人が集いました。壇上には母国の寺院の写真とカンボジア語で「東日本大震災犠牲者追悼集会」の垂れ幕を掲げ、僧侶が中心に座し読経が響き渡りました。定住者たちは読経に聞き入り、犠牲者への祈りを捧げました。
 又義援金を募るための募金箱を用意し、壇上から参加者へ募金を呼びかけました。その後関係者が会場内に募金箱を回し、参列者は積極的に募金に応じました。
 儀式のあと民族舞踊を披露し、母国料理を振る舞いました。募金は新聞社を通じて送金されました。

ラオスのお正月

ラオスのお正月

 2011年4月17日、在日本ラオス文化センター(神奈川県愛甲郡愛川町)にてラオスのお正月行事が開催されました。
 同文化センターは、在日ラオス人有志が購入した民家2軒に仏教寺院のような飾りを施し、ビエンチャンのタートルアン寺院を模した仕立てになっています。
 在日ラオス人定住者たちは二世世代の若者にラオスの伝統文化を身につけてもらいたいと、様々な行事を催し参加を呼び掛けています。
 今回のお正月行事は、常駐する僧侶の読経で厳かに始まり、参加者たちが花や供え物を抱えて座り、耳を傾けて聞き入っていました。屋外では、美しいラオスの民族衣装に身を包んだラオス定住者二世の少女たちが、参加者に花びらをかけて回る伝統の儀式を行いました。
 来賓の在日ラオス大使館職員他多数の出席者から挨拶をいただいた後は、お祝いのラオス料理が振る舞われました。地域住民や支援者など日本人も大勢この行事に参加していました。
 また、主催者の呼びかにより、東日本大震災被災者への義援金が集められ愛川町を通じて被災者へ送金されたとのことです。

カンボジアのお正月

カンボジアのお正月

 2011年4月10日、「カンボジアのお正月を祝う会」が相模原市けやき会館で開催されました。難民事業本部のコミュニティー支援事業の一環で長年にわたり支援してきた、在日カンボジア難民定住者にとって大きなイベントのひとつです。
 在日カンボジア人居住地を中心とした自助グループや、民族の文化継承に力を注いでいるグループなど様々なグループが協力し合って、1年に一度このお正月行事を開催しています。
 お正月の会は仏教の伝統儀式に則って始まり、この日のために母国から招聘された僧侶による読経を参加者は熱心に聞き入っていました。
 読経に続いて、東日本大震災で被災された方々に対し黙とうが捧げられ、義援金のための募金箱を設置し、壇上から参加者へ募金の呼びかけが行われました。
 儀式のあとは、民族舞踊の披露や母国料理の振る舞いがありました。なお、義援金は新聞社を通じて後日送金されたとのことです。

ラオス文化センター6周年記念行事

ラオス文化センター6周年記念行事

 2009年6月21日、神奈川県愛甲郡愛川町のラオス文化センターにて、この文化センターの設立6周年を祝う記念行事が開催されました。
 今年6年目となるラオス文化センターは、元々ラオス難民定住者有志がお金を出し合って購入した一軒の民家から始まりました。自分たちの手で装飾を施してラオス式のお寺に仕立て、ここを拠点にラオスの文化、伝統を守り、継承する活動を続けてきましたが、昨年冬には、隣の民家をもう一軒購入し、さらに規模を大きくして、ますます活動を拡充していこうと計画しています。
 センターには、仏教国のラオスの習慣に則って、ラオスから招いた僧侶2人が半年の任期で常駐しており、伝統行事や冠婚葬祭のみならず、日常生活においてもラオス定住者らの助言者として活躍しています。ラオスでは、お寺や僧侶の存在が生活のすべての基になっており、家庭のこと生活のことなど何でも僧侶が人々の相談に乗るのだそうです。
 この日の式典は、在京ラオス大使夫妻が臨席の下、ラオス難民定住者一世から二世、三世にわたる幅広い年齢層が参加し盛大に執り行われました。僧侶による「平和の托鉢・御祓い儀式」に始まり、主催者・来賓挨拶と続きました。挨拶では、二世、三世にラオスの文化・風習を継承する場として文化センターが今後ますます重要な役割を果たすことになるとして、そのために一層協力し合うことの大切さが語られました。この言葉どおり、会場は年輩者から赤ん坊まで、世代を越えた人々で埋め尽くされ、このセンターがラオス定住者らの心の拠り所として年を追うごとに浸透してきていることが伝わってきました。
 屋外では、所狭しと並んだラオス料理の屋台から炭火で肉を焼く香ばしい匂いや、香辛料の香りが漂ってきて、ピンカイ(焼き鳥)、カオピャック(麺料理)、タピオカのデザートなどなど、ラオスの活気ある市場を彷彿させる本格的な料理に、参加者は大満足の様子でした。続いて、子どもたちによるラオス民族舞踊が披露され、拍手喝采を浴びた後は、大人も子どもも皆で輪になって踊り、時間が許す限り参加者は思い思いに楽しい一日を過ごしました。

「世界難民の日2009」に参加しました

「世界難民の日2009」に参加しました

 2009年6月20日、難民事業本部は国連難民高等弁務官(UNHCR)駐日事務所が国連大学(東京都)で開催したイベント「世界難民の日2009」に参加しました。世界難民の日は、難民の保護と援助に対する世界的な関心を高め、UNHCRをはじめとする国連機関やNGO(非政府組織)による活動に理解と支援を深める日として、2000年に制定されました。以来世界各地で、世界難民の日を記念してシンポジウムや様々なイベントが開催されています。
 今回、難民事業本部は、難民支援団体ブースに出展し、日本の難民受入れ事業に関するパネルの展示や、日本の難民の様子を紹介した映像を流し広報を行うとともに、一般向けの難民理解のための資料を配付し啓発活動に努めました。
 同時に開催されていたプログラムには、記念シンポジウム、GEIC(地球環境パートナーシッププラザ)のブースの設置などがあり、全国から難民支援に関心を持つ方が集い、難民事業本部のブースにも大勢の方が訪れました。来場者からは、「難民申請者が近年増加していることを今日初めて知った」、「日本にいる難民はどのように生活しているのか」「難民事業本部はどのような支援をしているのか」という質問が老若男女問わず多く寄せられ、難民支援の裾野の広さを実感する機会となりました。

スーダン南部地域における難民等の状況 (2005年3月30日〜4月12日の現地調査)

スーダン南部地域における難民等の状況 (2005年3月30日〜4月12日の現地調査)

1.難民発生の背景

スーダンでは、1956年のスーダン共和国の独立により、政治権力を北部のアラブ系イスラム教徒が握ったため、南部のキリスト教徒との間で対立が起こりました。1983年になると南部のキリスト教徒がスーダン人民解放運動・軍(SPLM/A)を結成して内戦が激しくなり、争いは近年まで21年間続きました。 ようやく2005年1月9日にスーダン政府とSPLM/Aとの間で最終和平合意が署名され、4月11日・12日、ノルウェーのオスロで開かれた復興支援会合で、今後3年間に45億ドル拠出されることが決まりました。

2.国内避難民および難民の数

スーダンでは、この内戦により200万人が死亡し、国内避難民となって北部地域や首都ハルツーム等に避難した人、また難民となって周辺国に避難した人が400万人に上ります。 周辺国に避難した難民の数は、ウガンダ223,000人、エティオピア88,000人、コンゴ民主共和国69,000人、ケニア60,000人、中央アフリカ36,000人、エジプト30,000人の計506,000人です(UNHCRのプレスリリースによる)。

3.国内避難民および難民の帰還

2002年に始まった和平努力により、10万人以上の国内避難民が南部地域に自力で帰還したといわれています。また、今年に入ってからは、周辺国から南部地域へ帰還した難民および他の地域から帰還した国内避難民(以下、「帰還民」という)や、南部地域の状況を見にくる人がいますが、帰還民の正確な数字は把握できていません。

4.国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の支援活動計画

UNHCRは、スーダン政府支配地域のジュバ(Juba)、SPLM/A支配地域のルンベック(Rumbek)、イェイ(Yei)に事務所を開設し、活動を実施しています。近日中にはSPLM/A支配地域のカジョケジ(Kajokeji)、ヤムビオ(Yambio)にも事務所を開設し、支援活動を強化する予定です。 そして、雨期が明ける2005年10月ごろから、ウガンダ29,000人、エティオピア25,000人、コンゴ民主共和国15,000人、ケニア16,000人、中央アフリカ20,000の計約11万人を組織的に帰還させる予定で、そのための受入準備を早急に進めているところです。 UNHCRは、難民の帰還を促進するため、難民が避難していた周辺国の難民キャンプと同様の環境を受入予定地の村に整える方針です。UNHCRの支援活動の優先分野として、教育、給水・衛生、保健サービスの3点を挙げています。また、支援の対象者は帰還する難民および国内避難民、さらに地元住民も含まれます。

5.帰還民の受入予定地

UNHCRの支援により建設した井戸(イェイ中央部)
今回はスーダン政府支配地域であるジュバ及びその周辺の村、SPLM/A支配地域であるルンベック及びイェイを訪問しました。 (1)ジュバの中心からから西へ27kmほど行ったコダ(Koda)村の副村長によると、村の人口は2,000人程度で、最近は帰還民が増加しているとの話でしたが、人数は把握していないとのことでした。 村に診療所はあるものの機能していませんでした。井戸は1ヵ所あるだけでしたが、今後の帰還民の増加に備えて、スウェーデンのNGOが井戸を掘るための水源調査をしていました。 (2)SPLM/A支配地域であるルンベックとイェイでは、カトリック救援サービス(Catholic Relief Services;CRS)、ノルウェー・レフュジーカウンシル(Norwegian Refugee Council;NRC)等の国際NGOが、学校や病院の再建、医療機材等の支援、井戸の建設を開始したところでした。まだ町内の支援が始まったばかりで、周辺の村への支援は活動を行うNGOがいない地域もあります。

6.NGO参入の可能性

(1)南部地域は中央政府のあるハルツームから地理的にも離れているため、以前から社会開発が遅れており、また長年の内戦により、インフラ等はまったく整備されていません。従って、南部のすべての地域、すべての分野でニーズがあります。 (2)UNCHRは、支援活動の優先分野である教育、給水・衛生、保健サービスを実施するNGOを求めています。特に支援対象者に対しては、地元住民主体の支援活動(Community based projects)の実施を求めています。 (3)国連地雷対策サービス部(UNMAS)、国連合同エイズ計画(UNAIDS)、スーダン地方政府関係者等からは、地雷関連の地雷回避教育・地雷被害者支援、HIV/AIDS関連の啓発広報・HIV感染者への支援、車両整備、職業訓練、退役軍人の社会復帰支援等の分野へのニーズがあります。 (4)NGOがスーダン政府支配地域であるジュバで活動するためには、政府の担当省庁の許可が必要です。また、SPLM/A支配地域であるルンベック及びイェイにおいては、SPLM/Aの許可が必要ですが、UNHCRの職員によれば、SPLM/AはNGOの参入を歓迎しているとのことです。

7.今後の課題

小学校の校庭で実施されているHIV/AIDS啓発活動(ルンベック)
(1)今回の現地調査では、スーダン政府支配地域であるジュバを訪問した後に、SPLM/A地域であるルンベック及びイェイを訪問しましたが、ジュバからルンベックへの移動は、ハルツームから隣国ケニアへと出国し、ケニアのナイロビとロキチョキオを経由して、再度スーダン南部地域へ入国しました。近い将来、ハルツームからルンベックへ直接移動できる予定ですが、当面の間はSPLM/A支配地域で活動を行うためには、ナイロビまたはロキチョキオからアクセスすることになります。 (2)南部地域は、最終和平合意後6年間はSPLM/Aが治めることになっており、南部地域の首都は、現在のSPLM/A支配地域のルンベックからスーダン政府支配地域ジュバに移転する予定ですが、具体的な移転作業は始まっていないようです。従って、現地で活動するNGOのカウンターパートナーとなる地方政府関係者の決定が必ずしも明確かつ迅速に行われない場合があると、国連専門機関やNGOの職員が話していました。 (3)地雷については、組織的に難民の帰還を実施するため、主要道路における地雷除去が進められています。しかし、UNMASの現地事務所の話では、地雷の埋設状況を正確に把握できておらず、帰還民の受入予定地の地雷に関する正しい情報がないとのことでした。現在のところ、それら地域の地雷除去の計画は進んでいないのが現状です。 (4)HIV/AIDSについては、スーダン国内では、約60万人がHIV感染者で、11,000人がAIDS患者といわれていますが、正確なデータはありません。南部地域においてはHIV感染者の比率が高いといわれています。また、スーダン難民が滞在している周辺国のHIV感染者の比率はスーダン国内よりも高く、それらの周辺国から難民が帰還することから、UNAIDSの現地職員は、近い将来感染者数が急激に増加することを懸念しており、早急に対策が必要であるといっています。 (5)現在のところジュバでは主要な物資をハルツームからの空輸に頼っており、調達のための日数に時間を要し、また経費もかかるとのことです。 (6)NGOが活動を実施するためには、現地に事務所を開設しなければなりませんが、UNHCRのイェイ事務所によれば、イェイには適当な建物はなく、事務所そのものの建設から始めなければならないようです。 ⇒詳しくは報告書をご覧ください(PDF 531KB)

日本語教育ボランティア連絡会議の開催

日本語教育ボランティア連絡会議の開催

西日本地区
東日本地区

 難民事業本部は2005年2月17日に関西支部、24日に国際救援センターで、それぞれ西日本地区および東日本地区の日本語教育ボランティア連絡会議を開催しました。会議では、難民事業本部から、当難民事業本部が実施している今年度の日本語教育ボランティア団体に対する援助事業の実施状況の報告と、来年度の同事業の実施方針について説明を行いました。また、各ボランティア団体からは、地域における日本語教室での難民の日本語支援状況等の説明がなされたほか、2006年3月末の国際救援センター閉所後の難民支援事業について、積極的な質疑が行われました。

 あるボランティア団体からの報告では、最近の日本語支援現場の変化として、難民の高校生、大学生が積極的に支援活動に関わっている事例が紹介されました。かつてボランティア教室で日本語を学んでいた子どもたちが、成長後日本語教室での指導や進学のための教科学習支援のスタッフとして参加してくれているとのことでした。
 当難民事業本部の日本語教育相談員からは、受けた相談の中から、難民子女の進学に関する事例等を紹介しました。特に夜間中学や定時制高校への進学では、地方自治体によって入学の許可の取り扱いに差があるため、相談者ごとに個別の対応が求められます。
 今後もボランティア団体と日本語教育相談員が、緊密に情報交換を行いながら、難民の日本語支援を実施していくことの大切さを改めて確認しました。

人道目的の移民の受け入れ−諸外国の第三国定住の状況(2004年3月26日の講演)

【難民情勢講演会シリーズ】

人道目的の移民の受け入れ−諸外国の第三国定住の状況
(2004年3月26日の講演)

 難民事業本部は世界の難民発生地域の政治情勢と難民状況についての最新情報を提供するため1998年から「難民情勢講演会」を開催しています。今回は第13回目として2004年3月26日(金)、国際移住機関(IOM)ベトナム代表のアンドリュー・ブルース氏(ニュージーランド出身)を講師とし、「人道目的の移民の受け入れ−諸外国の第三国定住の状況−」の講演を行いましたので、その一部を紹介します。
 講師のブルース氏はジュネーブにあるIOM本部、ニューヨーク事務所勤務を経て、2003年7月よりIOMのベトナム駐在代表を務めていますが、IOM勤務は通算20年を超えています。

1.各国の第三国定住受け入れの特徴
 第三国定住を多く受け入れている国は、アメリカ、カナダ、ヨーロッパ諸国で、特にフィンランド、ノルウエェー、スウェーデン、デンマークなどのスカンジナビア諸国に特徴があります。
 アメリカは受け入れ基準に優先順位があり、一番目が庇護国において危険にさらされ、かつ強制的に帰還させられる可能性のあるケース、二番目が特定したグループ(最近のケースでは、ケニアへ避難した12,000人のバンツー族の難民(注))、三番目が家族再会のケースです。特に三番目の家族再会のケースでは、1992年頃より旧ソ連地域やベトナムからの合法出国計画(ODP)に基づく難民を多く受け入れており、2002年と2003年は30,000人台となっています。
 カナダは一般的な暴力の犠牲者も受け入れており、アフガニスタン、コロンビア、スーダン、イラン、コンゴ民主共和国などからの出身者で、彼らは個人的な迫害を証明する必要はありません。
 スカンジナビア諸国は一般医療や精神医療を必要とする困難なケースを受け入れています。
 (注)バンツー族の難民とは、モザンビーク及びソマリアへ200年前に奴隷となってきた人々の子孫で、1992年のソマリア内戦でケニアに避難した難民。

2.第三国定住者に対するIOMの支援
 庇護国から出国し、受入国への入国に際してのIOMの支援は、受入国の文化紹介、庇護国における国内移動、国際線搭乗の際の移送時の費用(アメリカとカナダは返済の必要がありますが、オーストラリアは返済の義務はありません)、国際空港での乗り継ぎ支援、受入国へ入国する際の支援などです。

(質疑応答)
一般的な暴力からの避難として広い意味での難民を受け入れているカナダや、困難なケースを受け入れているスカンジナビア諸国は、条約難民も受け入れているのか?
困難なケースと条約難民の受け入れの関係は分からないが、デンマークやアイルランドは条約難民も受け入れている。また、オーストラリアは受け入れた難民の家族も受け入れている。
スカンジナビア諸国は医療を必要とするケースを受け入れているが、政府が意図的に受け入れているのか?
100%だとは思わないが、意図的に受け入れていると思われる。人道支援の観点から見て、世界に貢献していると考えている。

ボランティア団体の研修講座を支援しました

ボランティア団体の研修講座を支援しました

 難民事業本部では、難民定住者等(インドシナ難民及び条約難民並びにその家族)の日本語学習の機会を拡充、促進し学習環境の整備を図る目的で、難民定住者等に対して日本語の学習指導を行っているボランティア団体の活動を支援しています。
 平成15年度は、次のとおり2団体が開催した3講座について、その経費の一部を援助しました。

日本語ボランティアブラッシュアップ講座
‐日本語ボランティアの教授法向上のための技術講座‐
 
開催団体:かながわ難民定住援助協会
開催地:神奈川県海老名市
開催日: 2003年7月19日、8月2日、9月13日・20日・27日
回数:5回
総時間数:10時間
受講者数:40名
講師:浅倉美波(ヒューマンアカデミー)

日本語ボランティア研修講座
‐日本語ボランティア経験者のための実践的な研修講座‐
 
開催団体:かながわ難民定住援助協会
開催地:神奈川県大和市
開催日: 2003年11月9日・16日・22日、12月11日
  2004年1月13日・24日
回数:6回
総時間数:12時間
受講者数:60名
講師: 西尾珪子・関口明子((社)国際日本語普及協会)
  徳倉京子・広瀬万里子・辰正子(TIJ東京日本語研修所)

日本語ボランティア養成講座
‐日本語を教えるのが初めての方が対象のボランティア養成講座‐
 
開催団体:神戸定住外国人支援センター 日本語プロジェクト
開催地:兵庫県神戸市
開催日: 2003年12月20日
  2004年1月10日・17日・24日・31日、2月7日・14日・21日
回数:8回
総時間数:20時間
受講者数:35名
講師: 斎藤明子(神戸YWCA専門学校)、田中宏(龍谷大学)、
  金宣吉(神戸定住外国人支援センター)

日本語教育ボランティア連絡会議を開催しました

日本語教育ボランティア連絡会議を開催しました

 難民事業本部は、2004年2月6日に関東地区、13日に関西地区で平成15年度日本語教育ボランティア連絡会議を開催しました。

 会議では、ボランティアとして難民定住者の日本語学習を支援している日本語教室の代表者に対し、難民事業本部が実施する平成15年度の日本語教育支援の事業報告をするとともに、平成16年度に予定している同事業の実施方針について説明を行いました。この中で当難民事業本部は、引き続き地域における難民定住者の日本語学習機会の拡充を図るため、日本語教室が行う日本語学習支援活動を援助する方針を表明し、事業の実施について日本語教室の協力を求めました。

 日本語教室の代表者からは、最近の日本語学習者の傾向や、ボランティア活動をする上で直面する問題点等の報告がありました。報告では、活動を維持していくために学習者が通いやすい場所の確保が必要だが、公民館などの公共施設は公平性の問題もあり、毎週使えないのが現状。今後は小学校の余剰教室の利用を検討していきたいなどの話がありました。

定住難民日本語学習援助委員会を開催しました

定住難民日本語学習援助委員会を開催しました

 2004年3月17日(水)、難民事業本部は定住難民日本語学習援助委員会を開催し、主として平成16年度の難民定住者等(インドシナ難民及び条約難民並びにその家族)に対する日本語教育事業について日本語教育等の有識者から意見を伺いました。

 平成15年度の委員会は、久留米大学法学部教授大家重夫氏、社会福祉法人日本国際社会事業団事務局長大森邦子氏、内閣官房副長官補付内閣参事官補佐(難民対策担当)川村修行氏、独立行政法人国立国語研究所日本語教育部門長杉戸清樹氏、社団法人国際日本語普及協会理事長西尾珪子氏、文化庁文化部国語課日本語教育専門官橋本祥介氏、財団法人海外技術者研修協会日本語教育センター長春原憲一郎氏の7名の委員により構成されました。

 当難民事業本部では、平成16年度も引き続き、難民定住者等の日本語学習を支援するため国際救援センターで日本語教育を実施するほか、地域の日本語教育ボランティア団体等に対して日本語学習教材の配布やボランティア活動にかかる経費の一部を援助するなどの支援を行うこととしています。

 委員会では、これらの支援事業に加え、新たに平成16年度から、難民の日本語教育に係る情報提供体制の整備の一環として、日本語支援に関する官民の情報ネットワーク及び官民の連携協力体制の構築を図ること目的に、当難民事業本部において「日本語支援関係団体連絡会議(仮称)」を開催すること、国際救援センターに「日本語教育相談員」を配置し、日本語に関する難民定住者からの相談への対応をはじめ、地方公共団体、学校、日本語ボランティア等との連携や必要な日本語学習に関する情報の収集・提供を行うことの2点ついてもその効果的な実施について話し合われました。

日本語教育セミナー「外国人児童への教科指導と日本語指導」

日本語教育セミナー「外国人児童への教科指導と日本語指導」

 難民事業本部関西支部では、難民定住者やその子弟が通学する兵庫県下の小学校で日本語教育支援者として活躍している方々を講師に招き、2003年2月26日神戸市において日本語教育セミナーを開催しました。

 講師をご紹介します。
 永谷佳子さんは前記の「子ども多文化共生サポーター」として姫路市内の小学校でベトナム人児童をサポートしています。また、「城東町補習教室」の無償ボランティアとしてベトナム語を駆使しながらの活動も行っています。
中山恵子さんは、多様な教育現場で日本語教育に携わる人たちのネットワークとして活動する「ひょうご日本語教師連絡会議」に所属し、各地域で児童生徒のための日本語ボランティアをしている人たちが集まり、指導法や教材について勉強会を開いている「年少者のための日本語教え方勉強会」の代表を務めています。また、神戸市の小学校で7年間、無償ボランティアとして外国人児童へ日本語を指導し、教科と関係づけた日本語指導法で成果を上げています。
 本稿では、セミナーでの講演の一部を紹介します。

講演1.「ベトナム人児童とかかわってきて」 永谷佳子
 私は大学卒業後、2年半ベトナムに滞在してベトナム語を学習する傍ら、ベトナム人への日本語教育に携わっていました。帰国後「神戸市の有償ボランティア」としてベトナム人児童とかかわり始めました。次いで兵庫県の緊急雇用制度の「補助員」として、また今年度からは名称が変わって「子ども多文化共生サポーター」として兵庫県下のベトナム語を母語とする児童の在籍する小学校で仕事をしています。
 「子ども多文化共生サポーター」の仕事は、(1)外国人児童と教員のコミュニケーションを円滑にする(2)教員に対して外国人児童についての情報提供をする(3)日本語が十分でないために悩みを伝えることのできない外国人児童の心のケア(4)多文化教育への支援(5)学校、保護者間のコミュニケーションの補助となっています。教育委員会から示される業務の中に日本語指導と教科指導は含まれていません。しかし、日々、ベトナム人児童と接して日本語や教科学習につまずいている状況を見ていると、独自にカリキュラムを組んで長期的に日本語指導ができれば、もう少し力になれるのではないかと考えてしまいます。
 次に、サポート上での問題点とその対応を紹介します。入国間もないベトナム人児童は、ひらがなとカタカナが読めるようになると私がサポーターを務める小学校の日本語教室に来なくなります。本がスラスラ読めても内容を理解していないことが多いので、加配教員、担任と話し合い、再度日本語教室に来させるようにしています。
 日本生まれのベトナム人児童は、生活日本語は話せるのでほとんど日本語教室には来ませんが、「城東町補習教室」でその児童たちの学習状況を見ていると多くの問題点があります。例えば、1年生ベトナム人児童6人のうち3学期になってもカタカナはもちろん、ひらがなも定着していない児童が3人いますし、算数も繰り上がり繰り下がりの計算ができません。この場合も加配教員、担任と話し合い、対処しました。
「城東町補習教室」では文字、語彙習得に効果的な本読みの宿題を出しますが、それもしてこないことが多く、してきても日本語が上手でない親たちには間違いをチェックしてもらえないので、ほとんどのベトナム人児童が間違いに気づかないままになっています。そこで、できるだけ一緒に本を読み、読み方や内容について工夫しながら指導をしています。
 
講演2.「学校での日本語指導ボランティア活動報告」中山恵子
 7年前に、神戸の市立小学校から、日本語の全くできないベトナム人児童が編入してきたので、日本語指導をしてくれるボランティアを探しているとの相談を受けて、小学校での日本語指導ボランティアとして活動を始めました。
 学校の中でベトナム人児童に日本語指導をするメリットを挙げますと、?学習環境が整っている?毎日通っている学校の中で、ベトナム人児童は日常会話の上達に欠かすことのできない友人関係を築きながら日本語学習ができ、ボランティアはベトナム人児童が定期的に出席するので計画性のある指導ができる。(学校外の教室では来たり来なかったりで、せっかくボランティアが準備していても計画どおり先へ進まないことが多い)?学校行事ではベトナム人児童の行事参加の様子を直接見ることができる?担任と直接話ができる、等があります。
 現在、指導中の2人を含めて計4人のベトナム人児童に対してそれぞれ3年間、週2時間の取り出し指導を行ってきました。最初の1年間はベトナム人児童にとって何が必要かを見極めることから始め、日本語を中心に指導し、その後は教科を見据えた指導をしています。その指導の一部を紹介します。なお、指導は数字順に進めていきます。

【国語】
1文字指導
2作文指導
3教科書に沿った指導([1]音読[2]語彙の意味確認[3]内容の確認)
 
【算数】
1教科書に沿った最低限必要な語彙の理解
2文章題の中で難しい表現の確認(例:ひとつ、ふたつ、とうなどの特別な表し方)
3文章題の解き方の指導([1]どこでつまずいているか探る[2]理解していない言葉をやさしい表現に替える[3]文章題を短くする[4]文章題を解かせる[5]初級日本語程度のやさしい日本語に替える)
 
【理科】
1近々勉強することになる課の実験用語の語彙導入(例:空気、酸素、二酸化炭素等)
2実験方法と結果、どうしてそうなるかを口頭で説明させる。「外国人児童の場合、日常会話はできても教室で与えられたテーマについて発表ができない」と担任に指摘されて、教科の語彙が理解できてもそれを論理的に説明する日本語力をつけるために「どうしてですか」「どう思うか」と質問をしてそれに答えさせるよう指導する。特に理科は原因、経過、結果が明らかで指導しやすい教科なので、「最初に」「次に」「そして」「〜ということが分かりました」という言葉を入れながら話すように指導する。
 
【社会】
1教室に日本地図と世界地図を出しておき、地名が出てくるたびに地図で確認し、地図の記号もその都度説明する。
2長い文章を分け、要約した文章を口頭で説明する練習をする。
3社会科は学習に必要な語彙が多く外国人にとっては難しい教科の一つ。歴史については大阪市教育委員会から発行された帰国・来日等の子供のための歴史学習対訳補助教材『日本のあゆみと世界』があるが、7カ国語の対訳と漢字にルビがふってあって、ベトナム語訳はないが初めから日本語で学習できる。まず、学習する箇所の語彙の読みを、次に漢字で表記できるように指導、内容は一緒に読みながら確認し、資料集のテーマを見ながら一緒に考えていく。歴史は一点をみていただけでは分かりにくいので、資料を見て歴史をさかのぼって理解を深めていくようにする。
 
  セミナーには日本語教育ボランティア、小学校教諭、大学生等30名を超える参加があり、予想していた以上に外国人児童生徒の日本語教育に対する関心の高さが感じられました。セミナー後に行ったアンケート結果では「このセミナーを受講して良かった、参考になった」という回答がほとんどでしたが、「最後の意見交換の時間が短くて残念」という感想がありました。今後もこのようなセミナーを開催する意義は十分にあると思います。

 兵庫県内で行われている、外国人児童生徒に対しての日本語教育支援をいくつかご紹介します。

(1) 兵庫県では、文部科学省の児童生徒支援加配教員配置の制度を受けて、日本語指導等特別な指導が必要な外国人児童生徒を受け入れている学校に対して教員を加配している。また、平成13年度まで外国人子女教育受入推進地域として尼崎市立と神戸市が指定を受けていた。
(2) 兵庫県では、日本語理解が不十分な外国人児童生徒が在籍する学校に、コミュニケーションの円滑化などを促すため、児童生徒の母語が話せるサポーター「子ども多文化共生サポーター」を派遣している。
(3) 神戸市では、上記教員加配制度が行われる以前から、突然編入学してきた外国人児童生徒に対応するため、外国人児童生徒受入れ支援ボランティア(有償)として児童生徒の母語と日本語が堪能な人材を学校へ随時派遣している。
(4) ボランティアによる支援
1.日本語の取り出し指導
無償ボランティアが、通常の授業中に別室で、外国人児童生徒と1対1または1対2で日本語指導をしている。
2.放課後に日本語指導
  尼崎市立園田北小学校では、放課後、外国人児童は決められた教室に集まってくる。教室では加配教員がいて、児童は宿題や不得意な科目をみてもらう。加配教員1人に10数人の児童が相手となるので十分な対応ができない。そこで2名の無償ボランティアが日本語や教科指導の手助けをしている。
3.地域の公民館や各施設での補習教室
  尼崎市園田公民館ベトナム子ども学級では、放課後の毎週2回、元教員を含む数名の無償ボランティアが、外国人児童生徒の教科の勉強をみている。毎年、中学3年の受験期になると熱心に通う生徒が何人か見受けられる。
神戸市にある鷹取教会では毎週土曜日、シスターを中心に多くの無償ボランティアによる日本語や教科指導が行われている。ボランティアは、祖父母年齢の人たちが多い。
姫路市城東町総合センターの「城東町補習教室」では、毎週土曜日、小中学校の教諭、大学講師、一般成人、学生等の無償ボランティアが、ベトナム人児童生徒約20名の日本語や教科指導をしている。児童生徒は、勉強をみてもらうことを第一の目的に来ているが、学校での出来事(言葉の壁により十分に親に話せないため)をボランティアに聞いてもらってすっきりして帰っていくようだ。

国際協力関係のイベントに参加しました

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国際協力関係のイベントに参加しました

 難民事業本部では、国際協力フェスティバル(2002年10月5日、6日 於:東京都千代田区日比谷公園)、及び彩の国POWER FESTIVAL(2002年10月12日、13日 於:埼玉県さいたま市さいたまスーパーアリーナ)に参加しました。

国際協力フェスティバル

国際協力フェスティバルに参加
国際協力フェスティバルに参加

 国際協力フェスティバルは国際協力に対する理解と関心を高め、国際協力推進に貢献することを目的に毎年開催されており、今年も200を超える国際機関、NGO等の団体が参加し、各団体の活動、関係国の食べ物等を紹介しました。
 難民事業本部のブースではインドシナ三国の団体に協力していただき、難民理解講座の開催、民族衣装と民族音楽による出身国の文化紹介、さらにインドシナ難民クイズ等により、インドシナ難民定住者の紹介をしました。
 ブース来場者は両日で200名を超え、来場者からは「1万人を超えるインドシナ難民が日本に定住していることを知らなかった」、「日本にいる難民の状況についてあまり知らず良い勉強になった」等の感想が多く寄せられました。

彩の国POWER FESTIVAL

彩の国POWER FESTIVALに参加
彩の国POWER FESTIVALに参加。茶色の服が援助物資の袋から作ったものです。

 彩の国POWER FESTIVALは、埼玉県が進めている彩の国700万人突破記念事業のメインイベントとして開催されました。国際交流をはじめ、音楽、ダンス、歴史、文化、特産などさまざまな分野の展示、舞台での演奏・公演の催し物があり、多くの来場者の下、活気のあるフェスティバルでした。
 難民事業本部の参加は今年で2年目になります。国際協力フェスティバル同様多くの方がブースに来場し、難民理解講座、インドシナ難民クイズなど当事業本部の企画を楽しみました。
 難民理解講座では、難民定住者が自分の体験、日本での生活などの話をしましたが、参加者が興味深く話を聞いていたのが印象的でした。
 また、ブースに展示していたコンゴ民主共和国のアンゴラ難民が援助物資の袋で作った服(写真参照)に多くの人が興味を示し、良くできているととても感心していました。

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定住者の職場を訪ねて〜定着指導・雇用状況調査の実施

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自動車メーターパネルの検査をするベトナム人定住者

定住者の職場を訪ねて〜定着指導・雇用状況調査の実施

 難民事業本部では、インドシナ難民定住者の就職あっせんに資するため、毎年数回、難民定住者が勤務する事業所を訪問し、その勤務状況を確認するとともに、職場への定着状況について事業所の担当者と懇談を行うほか、関係の公共職業安定所において管轄の雇用失業状況について意見交換等を行っています。今回は、2002年5月23日、24日に静岡県浜松市所在の2社、滋賀県彦根市所在の1社の事業所と彦根公共職業安定所を訪問しました。
 
 浜松市には、当事業本部の調べによると245人のインドシナ難民が定住しており、約50社に120名程が就職しています。浜松駅より車で30分程の高丘北地区にある事業所は従業員30名の規模で、訪問した日は自動車メーターパネルの検査作業者数人に混じりベトナム人女性1名が働いていました。彼女は20年前にボートピープルとして日本に上陸した後、民間支援施設を経由し、難民事業本部の運営するセンターで日本語等の教育を受けました。現在は家を持ち、4人家族で安定した生活を送っています。職場は時給680円で低賃金ですが、軽作業のため体力的には負荷の少ない仕事と思われます。しかし、会社が受注する仕事量は変動が激しく、時期によっては仕事がない日があるとのことでした。
 このような厳しい雇用状況について、現在国際救援センターで教育を受けている人たちに理解してもらうとともに、今後行う就職活動の参考にする必要性を痛感しました。また、都田町にある事業所は、高級床材の木目を加工・製作する従業員17名の事業所で、ベトナム人3名、中国帰国者2名が働いていました。一般的に近年、住宅は日本間より洋間が増え、床材の需要も多いと思われますが、全体の建設数が減っているのでこの事業所でも受注が減少し、かつては50名いた従業員が17名まで減ってしまったとのことでした。ベトナム人のうち2名は国際救援センターから就職あっせんを受け今年3月に勤め始めたばかりで、現在6ヵ月間の職場適応訓練中です。まだ日本語が十分に理解できないため作業の速度は遅いのですが、同社に10年以上勤続しているベテランのベトナム人女性が、作業指導などの通訳も行っているので、徐々に仕事に慣れているとのことでした。
 
 滋賀県では、彦根公共職業安定所と犬上郡多賀町の事業所を訪問しました。
 彦根公共職業安定所の説明によると、彦根市は大阪と名古屋の中間にあり、比較的目立たない地域ですが、都会ずれしてない住みやすい土地柄が好まれて人口増加率は全国一高いところです。しかし、他地区への通過県ということもあり、都会的犯罪に巻き込まれることも徐々に増えてきている面もあるようです。産業面では電気や電子系製造業を中心に大手の工場が多数あり、携帯電話の最盛期には県外から多くの労働者が流入してきていました。しかし、それも最近は下火傾向で業務が縮小されているほか、地場産業である仏壇や水道バルブなどの製造も一部は中国やマレーシアに製造拠点が移っていき、求人数は他地区と同様に減少傾向にあるということでした。
 多賀町の事業所は、最近採用したベトナム人を含めて従業員45名です。電気器具部品の製造下請けが主な業務でしたが、元請業者が中国へ移転したため仕事がなくなり、新たに開拓したのが、現在難民定住者が従事している自販機用品の検査業務です。これまでは人材派遣会社と契約して日系ブラジルを雇っていましたが、公共職業安定所の紹介で初めてベトナム人の家族4名を採用しました。そのうち1名は日本に既に10年以上住み、帰化した者で、呼寄せした家族の3名とともに採用されたのです。帰化した女性は日本語が上手なため他の3名の通訳になるなど、仕事上での意思疎通は問題なく、彼女らの上司もきちんと挨拶できることを、いまどきの日本の若者よりも立派だとほめていたほどでした。
 滋賀県にはインドシナ難民の受入れが始まった1979年ごろから定住している難民もいますが、現在はそれほど多くの難民は暮らしていません。今回の訪問を通じて比較的落ち着いた、住みやすい土地柄であることが印象に残りました。今後は雇用主の協力を得てこの滋賀県にも難民定住者の職場を開拓していければと考えています。

 

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国際救援センターのオリエンテーション

国際救援センターのオリエンテーション

インドシナ難民の人たちは、来日後2週間位の内に国際救援センターに入所します。日本という国について、また、センターでの共同生活や日本語等の学習について不安を抱えている人たちがほとんどです。そのため、センターでは、入所後約10日間にわたりオリエンテーションを行い、日本の生活で必要とされる基礎的な事項をはじめ、センターでの生活における細かい注意点について説明しています。いわば日本社会への“入り口”であるセンターでの学習は、今後自立した生活を営む上での基礎となるため、入所者がこの機会を有効に使い、できるだけ学習の成果を上げられるよう、スタートに際しての心構えを指導しています。

  • 日本に関する基礎的な知識を身につけてもらうため、日本の地理、気候、産業、行事や税金の仕組み、外国人の参政権、地方自治体の相談窓口などについて説明をします。特に外国人が日本に住む上で必須である、在留資格、外国人登録といった身分事項については制度を説明し、必要に応じ具体的な手続きも行っています。
  • 入所中は安全で健康に過ごせるよう健康診断を実施し、健康相談にも応じるとともに、衛生教育として風邪、食中毒、ストレスなど病気の予防方法ついて指導します。そのほか、熱帯気候のインドシナ地域では、日本の冬の寒さを体験したことのない人が多いため、暖房着、肌着、靴下など気候に合った服装の着方についても紹介します。
  • センターの暮らしでは、定住後の一般的な生活を想定し、畳に慣れるように部屋は和室としていることや、会社や学校の食事にも早くなじめるよう食事は日本食としていることなどを説明しています。また、実社会に入って直ぐ役立つよう空きびんや空き缶等の資源ゴミと、一般ゴミの分別方法について現物を使った実演指導も取り入れています。
  • 円滑な共同生活を営む上で守るべきルール、例えば、入所者が外出や外泊をする際、また、親族がセンターに内泊する際の届出手続きを説明します。また、入所者の中から代表、副代表、安全係、生活係、郵便係、レクリエーション係といった自治会役員を決め、役員を中心として入所者のまとまりが作られるようにしています。

このオリエンテーションが終わるころには、入所者もセンターでの生活の様子がつかめ、入所当初の硬い表情も徐々に和らぎ、入所者同士が打ち解けられるようになります。このオリエンテーションは、この後に始まる本格的な入所生活を送る上で大切な期間となっています。

「カンボジアのお正月」の開催

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「カンボジアのお正月」の開催

 2002年の「カンボジアのお正月」は、4月14日(日)に横浜市立いちょう小学校体育館をお借りして、カンボジア人調整委員会主催で前年度と同様5団体(カンボジアコミュニティ、カンボジア青春交流会、カンボジア親善の会、在日カンボジア文化会、難民子ども会)共同で実施しました。カンボジア人調整委員会お正月実行委員の伊佐リスレンさんの感想を紹介します。

 “日本人や近隣の人々と在日カンボジア人との文化交流及び友好関係を深めて現在の生活環境をより向上させ、お互いに文化の違い、習慣の違いなどを認め合い相互理解していくこと”を開催目的とし、昨年の10月ごろから行事開催に向けて計画を立てるため、「お正月実行委員会」を設置して、ほぼ1ヵ月に1回、委員の時間を調整しながら集まって話し合いを行ってきました。会議の中ではさまざまな意見が出ましたが、資金集め、大規模な会場の確保、人手不足などに悩まされましたが、今回は日本人に一番親しみがあるお祭りのような形式で会場に売店、屋台を設けてさまざまなカンボジア料理を楽しんでもらいながらお正月を迎えることにしました。
 当日は準備や機材などのセッティングが多少予定の時間より遅れましたが、ほぼ順調に実行できました。晴天に恵まれて予想以上の約800名の人々が来場し、お正月を楽しみました。受付けで購入した食券で屋台に並ぶココナッツゼリー、タオゾアン(豆菓子)、クィティオ(ラーメン)、カンボジアカレー等カンボジアの料理を来場者の方々に楽しんでいただけているのがとても良く分かりました。在日カンボジア人が一堂に会する1年に1度のイベントです。在日カンボジアの人たちが久し振りに友人と会って、カンボジア料理をいただきながら歓談したり、踊ったりしている姿を見て、準備の疲れもなくなりました。今回はカンボジアから僧侶を招き仏教儀式を行うことができました。また、カンボジア大使、公使、難民事業本部の方、地元の学校長の方々、自治会役員、ボランティアの方々にご挨拶をいただきました。いちょう小学校の先生方も準備のために早朝から来て、テント張りや会場のシート敷きなどいろいろな面で協力していただきました。近隣の団地自治会の方々にも大変お世話になりました。皆様に心からお礼を申し上げます。
 しかし、トイレの使用や駐車の仕方などでマナーの悪さが露呈した部分もあり、地域の皆様にご迷惑をおかけしたことは本当に申し訳なく残念に思います。このことは今後の課題として私たち実行委員が在日カンボジアの人たちの理解を周知徹底していく必要があると感じています。

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「ラオスのお正月」の開催

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「ラオスのお正月」の開催

 2002年4月13日(土)に、神奈川県綾瀬市の綾瀬文化会館で駐日ラオス大使、綾瀬市長、難民事業本部長、NGOの方々等を招いて厳粛でにぎやかなお正月を行いました。在日本ラオス協会のケオブァワン ビラワンさんの感想を紹介します。

 私は今年21歳になります。6歳から日本に難民として来て15年になります。小学校、中学校、高校、専門学校そして就職先で日本人と共に過ごしてきました。そして、日本とラオスの習慣がさまざまに違うと感じてきました。

 例えば、日本のお正月は1月で、雪が降りそうな寒い季節に神社へ行ったりしてほのぼのと迎えますが、ラオスのお正月は4月です。ラオスでは最も暑い季節です。ほとんどが仏教徒で、お坊さんを家に招いて「バッシー」をします。前の晩におばあさんやお母さんがバナナの皮で置物を作って、ロウソク、お米、お菓子などで仏前を飾ります。翌朝は早起きして,金糸銀糸を織り込んだ袈裟のような民族衣装に着替えて、お坊さんのお経を聞きながら手を合わせます。その後、白い木綿糸を隣席者の手首に巻いて家族の健康を祈願し先祖をしのびます。この「バッシー」という伝統儀式が終わると外へ出て互いに水をかけ合います。新年を喜び合って家族、親戚、友人はもちろん、近所の人や知らない人にまで水をかけ合うのです。水をかけられたら「ありがとう」とお礼を言い、共に今年の豊穣を願うのです。ラオス中の皆が仲良くなれるとても楽しい習慣です。
 私たちのように母国から遠く離れて暮らしている者にとってお正月は特に大切な行事です。私たちは母国でのお正月の習慣を懐かしみ、最近は定住者の皆で協力して滞在費や渡航費等を負担し、お坊さん3人を母国から招へいしたりして、ラオスのお正月を全国各地で行っていました。しかし、近い将来に日本にラオスのお寺やコミュニティー会館を作るため、今年はそれらの費用を蓄えることになりました。
 今回のお正月はラオスからお坊さんは呼んでいませんが、私たちの父母やその先輩の在日本ラオス協会役員の努力により、厳粛でにぎやかなお正月を行いました。定住者は、この大イベントから力をもらい、またこれから1年間頑張れます。私たち若者は、母国の伝統文化を受け継ぐことができました。
 私は、これからすぐにでも休暇をとって、母国を訪問してみたい気持ちになりました。

※「バッシー」は、新年、結婚、出産、送別、死別、快気などの人生の節目に行われる儀式

 

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「定住者の声No.16」2001年度交流の夕べの開催

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「定住者の声No.16」2001年度交流の夕べの開催

 コミュニティー団体「かながわベトナム親善協会」は、2002年3月17日(日)に神奈川県大和市勤労福祉会館で「2001年度交流の夕べ」を開催しました。これは、本協会が毎年行っている交流会で、一年間の活動報告や、協力団体・個人への感謝の意を表するとともに、ベトナム料理を食べながら交流を楽しむものです。昨年度は中止したため、2年振りの開催となりました。「かながわベトナム親善協会」交流の夕べ運営委員のレー・バン・カンさん(ベトナム)に団体の活動や交流会の様子について伺いました。


二世の活躍
 当日は、来賓の方々の紹介、そしてご挨拶をいただいた後、本協会の代表から協会の活動内容や、ベトナム人コミュニティーの抱える問題、そして今まで協力してくださった方々への感謝など、お礼の言葉を申し上げました。
 続いて、今年大学に進学する学生を激励するため記念品の贈呈も行われました。日本に定住することになってから、難民初代である親の世代は、生活の安定のために一生懸命頑張ってきました。そのおかげで子供たちは、義務教育後さらに上の教育機関に進学できるようになりました。ほとんどの子供は高等学校に進学し、また大学へと道を進める人も多くいます。そのベトナム人学生の数は、過去に比べて現在は非常に増えており、私たちベトナム人にとっては大変喜ばしいことです。

“すたんどばいみー”によるソーラン節
ベトナム料理を囲んでの交流
 パーティーの始まりには、ベトナム人僧侶のTRAN DUC GIANG様から乾杯の音頭をいただきました。それが合図となり、パーティーに入る前からそわそわしていた子供たちがいっせいに料理に手を出します。パーティーはそれはそれは和やかな雰囲気で時間が過ぎていきました。友人やお世話になった方との再会を喜ぶ人、同胞に囲まれて安堵する人、久し振りに感じるベトナムの雰囲気や料理を楽しむ人、初めて接するのベトナム文化にとまどうベトナム難民二世の人たち等々、さまざまな人間模様がありました。途中からカラオケ大会が始まり、カラオケ好きな人が率先して、ステージでベトナム歌謡曲を歌いました。日本でベトナム語のカラオケができる場所は本当にまれです。そのためか、ここぞとばかりに、たくさんの人が思い思いの歌をリクエストしてカラオケを楽しんでいました。飛び入り参加があったりと、会場は大いににぎわいました。
 今年は、恒例のビンゴ大会に入る前に、難民定住者の子供たちを中心とした、自主運営の活動グループ“すたんどばいみー”の皆がソーラン節の踊りを披露してくれました。この日のために一生懸命練習してくれた踊りを、元気よく楽しく踊ってくれました。このような若者の団体は、親世代にとっては大変うれしいものに違いないと思います。自らのアイデンティティーや立場、自分とは何かを考えようとする前向きな姿勢は、明るい未来には必要不可欠なものだと思います。
 そうして今年の「交流の夕べ」は、成功のうちに幕を閉じました。運営委員にとってはこれほどうれしいことはありません。本当はこのような交流会をもっと頻繁に行いたいのですが、運営者や参加者の地理的・時間的な問題などもあり、そう度々開催することは難しいのが現実です。

かながわベトナム親善協会の活動
 今回の主催者である私たち親善協会は、日本に定住しているベトナム難民の相互援助を目的として、ベトナム難民でメンバーを集め発足した団体です。主な活動内容としては、ベトナム−日本間の交流行事の開催、ベトナム語ニュースレターの発行(日本全国にいる、連絡の取れるベトナム人同胞に2ヵ月に1回無料で発行しています。現在は約800世帯に郵送しています。)、法律・生活・学業・失業保険等に関する電話相談、病院・学校・弁護士相談等における通訳、ベトナム語文や書類の和訳・英訳等多岐に及びます。これら全ては、同協会のメンバーの空き時間に無償で行われています。無論、これらの活動には、たくさんのボランティア団体や個人の方々の協力があってこそ、今も続いているということを忘れてはいません。

言葉の壁
 日本での安定した生活を手に入れるために、親の世代は死に物狂いで頑張ってきました。そのおかげで、既述したとおり、子供たちの進学率は高くなりました。しかしそれに対して、未だに解決のできない問題もあります。それは言葉の問題です。子供たちは問題ないですが、親の世代の場合、個人差はありますが、ほとんどは片言でしか日本語で会話ができません。逆に子供たちはどんどん日本語を覚え、ベトナム語を忘れていってしまうことが多いのです。言葉の問題は、社会や職場で、ひいては家庭内にまで溝を作ることになってしまっているのです。家庭内、つまり親子間で意思の疎通ができないのは、家族としてとても悲しいことではないでしょうか?
 近年の不況により、この言葉の問題はさらに深刻さを帯びてきました。失業した人が仕事を求め職業安定所に足を運びますが、私たち外国人の場合は言葉が分からないので紹介できないと言われることもあります。これは、職業安定所の職員が差別をしているわけではないのです。受入れ側の会社や企業が外国人を拒否している場合、職業安定所も紹介できない状態なのです。また職に就いても実際に職場での意思疎通ができないという困難な状況に、今なお直面している人は大変多いのです。
 協会が発足してから今年で7年目となりますが、本当にさまざまな方々の協力なくしては、運営ができなかったと思います。私自身、まだまだ未熟ですので、本当に限られたことしかできませんが、自分のできることから、精一杯協力をしていきたいです。

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RHQ支援センター第14期生(後期半年コース)のPC実習(2013.2.20〜22)

RHQ支援センター第14期生(後期半年コース)の
PC実習(2013.2.20〜22)

 

 2013年2月20日(水)〜23(金)の3日間、今年度後期・昼間コースの入所者4名が、生活ガイダンス講座の一環で、コンピュータの基礎的な使い方を学びました。

PC実習の初日は、簡単な用語説明の後、日本語の入力に慣れるためひたすらキーボードと格闘です。入所者たちは講師が用意した「ひらがな」や「カタカナ」、漢字混じりの文章を必死にキーボードに打ち込む練習をしました。

2日目は、前日の特訓の成果を活かすべく『名刺』の作成に取り組みました。名刺作りでは、日本語の入力スキル以外に、写真やイラストの挿入、文字フォントの変更、拡大や縮小などの方法を学びながら、各々独創的な名刺を完成させました。

最終日の3日目は、いままでの集大成としてハガキの作成に取り組みました。名刺に比べてハガキでは打ち込む文字数が格段に多く、表現できることもさらに多様になります。それでも入所者たちは習った技術を思い出しながら、また時には講師に質問しながら、素敵なハガキを完成させました。

入所者の多くは個人用のPCやスマートフォンを持っており、日頃から遠く離れた母国の家族友人や、忙しくてなかなか会えない友人たちとコミュニケーションをとっているので、コンピュータの使い方自体には比較的慣れている人がほとんどです。しかし、普段のコミュニケーションはアルファベットや自分たちの言語を使う事が多く、大半の入所者は日本語の入力に関しては経験が有りません。

いまどきの世の中は、コンピュータが使えないと就職や進学にも不利になりかねません。また一方では、コンピュータは文字入力のちょっとした間違いも受け付けず、正しい単語に変換されないことから、コンピュータの入力を学ぶという事は、同時に正確な日本語を勉強する事にもつながります。

今回の実習を終えた入所者のひとりは、「コンピュータに興味を持ったので、自分で費用を支払ってでも外部のコンピュータ教室に通うつもりだ」と述べていました。今後、入所者が日本で暮らしていく中で、今回のPC実習での学習体験が、役立てられることを願っています。