定住者の声 29「在日本ラオス文化センターと私」

定住者の声 29「在日本ラオス文化センターと私」

 結城ソンプさんは、1988年に姫路定住促進センターを退所しました。現在は、ラオス難民定住者のコミュニティー団体「在日本ラオス協会」に所属し、在日本ラオス文化センターの館長を務めています。

「定住者の声 No.26」若宮病院で出会った患者

「定住者の声 No.26」若宮病院で出会った患者

 ハー・ティ・タン・ヴァンさん(ベトナム)は、看護師として兵庫県神戸市にある若宮病院に勤務しています。看護師の立場から難民定住者が医療を受ける際の現状についてお話を伺いました。

「定住者の声 No.25」かながわベトナム親善協会の活動

「定住者の声 No.25」かながわベトナム親善協会の活動

 「かながわベトナム親善協会」はベトナム難民定住者自らが同国人の生活を支援する目的で作られたコミュニティー団体です。主に神奈川県内で活動しており、在日ベトナム人から寄せられる生活相談への対応、ベトナム語によるニュースレターの発行、母国文化の継承、地域住民との交流などを行っています。在日ベトナム人のための相互扶助活動について渉外担当のダン タン ファットさんにお話を伺いました。

「定住者の声 No.24」誇りを持って!

「定住者の声 No.24」誇りを持って!

 ブイ・ティ・ミン・ヒュウさん(ベトナム)は、兵庫県姫路市にある賢明学院女子高等学校の数学教師として活躍される一方、在日ベトナム人の子どもたちの支援に尽力されています。自分の体験談を語る機会では、「中学2年の時聴講生として賢明中学に編入、板書された漢字が分からなくて人より何倍も努力したこと、大学受験も理数系ならば少々日本語力が劣っても大丈夫だろうと数学を専攻し、奨学金等は多方面からの援助で困らなかったこと、努力するのが当たり前なので苦労だとは思わなかったこと」など、後輩の在日ベトナム人の子どもたちに紹介しています。子どもたちとの交流を通じて印象深かった事柄について伺いました。

「定住者の声 No.23」ほやほや新入社員の苦労と喜び

「定住者の声 No.23」ほやほや新入社員の苦労と喜び

 トラン トロン タンさん(ベトナム)は、1991年4月に大和定住促進センターを退所。東海大学工学部を卒業後、クエスト株式会社に入社しました。大学時代や会社での仕事についてお話を伺いました。

「定住者の声 No.22」在日本ラオス文化センターが開所しました

「定住者の声 No.22」在日本ラオス文化センターが開所しました

 2003年6月22日(日)、日本に暮らすラオス難民定住者の憩いの場が神奈川県愛甲郡愛川町にオープンしました。「在日本ラオス文化センター」の敷地面積は約60坪。外観は、木造2階建ての民家に、ラオスの寺院風の装飾をほどこしています。文化センターでは、生活相談、通訳・翻訳のサービス業務、日本語・ラオス語の教室や伝統舞踊の教室など多彩な活動を計画しています。
 中心的な役割をされている会長のホンム ソンパディさんにお話を伺いました。

「定住者の声 No.21」今の私

「定住者の声 No.21」今の私

 カンボジア出身のサン ナンさんは、1989年に家族と共にタイの難民キャンプを経て日本に定住しました。神奈川県大和市にあった大和定住促進センター(98.3閉所)で日本語等を学習した後、現在は、JALスカイサービス(株)に勤務しています。

 私は8歳までタイの難民キャンプで育ち、日本の生活は13年になります。日本に来てから今の私があるのは父母のおかげでもあります。大和定住促進センターで6ヵ月間勉強し、すぐに日本の社会に出たということは、ものすごく言葉に苦労をし、コミュニケーションを取ることが大変だったと思います。でも父母は頑張っていました。そんな父母は私に専門学校まで進学させてくれました。そのおかげで私は希望していたエアライン業界に入社することができました。会社に入社してから1年が経ちました。仕事は頭を使うことはたくさんあって大変ですが、その分楽しいことがたくさんあります。

 私の入社した会社は“JALスカイサービス(株)”といいます。JALとJASとが統合し、2004年にはあの鶴のマークがなくなってしまうのが寂しいです。でも新しい会社も楽しみです。私が出会ったお客様、それはもう数えきれないほどたくさんいます。日本人のお客様も外国人のお客様も、チェックインの短い時間の中で、“君はマレーシア人?”とか“君はタイ人?”とか“日本語うまいね”と声をかけてくれます。短い時間の中ですが、私はお客様とのコミュニケーションを大切にしています。

 8月は出国ラッシュでたくさんの観光客が日本を出発していきました。今でも毎日8千人から9千人の出国が続いています。そんな中いろんなお客様がカウンターの前に並んでいます。私は飛行機に乗り遅れのないように円滑にチェックインをさせなければなりません。出発が迫っているお客様もいれば、荷物が多くて超過料金がかかる人もいて、その交渉でもめるときもあります。そいうときはマニュアルなんて頼りになりません。言葉に気をつけて、お客様に説明して納得をしてもらわなければなりません。私は今この仕事が大好きです。何か魅力かというと、やっぱり世界中のお客様と出会えて、出発を見送ることができるからです。私たちは見送るだけでなく、無事現地に到着してほしいと願っています。これからもたくさんのお客様と出会えるのが楽しみです。

「2002.12 アジア福祉教育財団機関誌『愛』」より転載

「定住者の声 No.20」大学進学

「定住者の声 No.20」大学進学

 現在、神戸常盤短期大学に在学している高橋明星(トラン ティ キム ホエ)さんに、今までの学校生活で感じたことや、受験勉強のことなどについてお話を伺いました。

中学生のころから日本人の友達が多かった高橋さん(写真左)
中学生のころから日本人の友達が多かった高橋さん(写真左)
学校生活
 ベトナムからボート・ピープルとして来日した両親の元で、私は1984年に広島で生まれ、現在は両親と兄と妹の家族5人で兵庫県姫路市に暮らしています。
 私が通っていた姫路市の小学校は、国際交流が盛んな学校で、給食の時間に世界各国の音楽を流したり、韓国の人を招待して民族衣装のチョゴリや、民族舞踊をみせてもらったりしました。先生からアオザイ(ベトナムの服)を持ってきてほしいと頼まれ、教室でベトナムについて紹介してもらったこともあります。そのときは恥ずかしくもありましたが、注目されて気分が良かったことを覚えています。同級生にせがまれて、家でベトナム料理を振舞ったことも度々ありました。
 中学生のときから通称名を使っています。これは、いろいろな手続きの際に、日本名であると書類が1枚ですむところを、カタカナの名前だと何枚も必要になる場合があるために、両親が決めました。しかし、私は同級生に外国人であることを隠しませんでした。自己紹介の時には、必ず「私は外国人です」と自己アピールするのです。すると同級生は私に関心を持ってくれましたし、自分でも外国人だということを自慢しているところがありました。だからいじめなどの苦労をすることがなかったのだと思います。
 学校生活で戸惑ったことは、授業参観や運動会、遠足に行くときです。こうした行事に初めて参加するときは、行事の内容が分かりませんでした。日本生まれで言葉に不自由なく、授業でも困ることはなかったのですが、学校行事のことは両親も知らないことだと分かっていたので、学校で配られるプリントを見たり、友達に聞いたりして自分で解決していきました。
 
受験勉強
 私は、大学別に入試問題の傾向があることや、受験勉強にもいろいろな方法があることを知りませんでした。学校で学んできたことだけが入試問題で出題されると思っていたのです。そのため、受験勉強は学校での授業をしっかりと復習し、授業で使う問題集を繰り返し解いたことだけでした。そして、分からない問題があると先生や友達に聞いて習得していったのです。塾があることは知っていましたが、両親にお金の負担をかけたくなかったので通いませんでした。
 高校選びや受験制度については分からないことが多かったです。進路相談で先生にどこの高校を希望しているのかたずねられても、高校がどこの場所にあって、どれくらいの偏差値であるのかさえ分かりませんでした。ただ、家庭でも兄が受験を済ませていたことで、少しは理解してくれる環境にありました。特に7歳上の叔母が、いろいろな相談にのってくれたことや、担任の先生が熱心に指導してくださったことで乗り切れたのだと思います。
 
大学進学
 大学進学については、以前から両親が医療系に進んでほしいという希望があったので、当時の担任の先生に相談したところ神戸常盤短期大学を紹介されました。小さいころから学校の授業でも実験が好きで、自分には検査をするような仕事がむいているとも思いましたし、将来は両親の身体も診てあげたいと思ったからです。
 衛生技術科は3年制で、臨床検査技師の養成を目指した学科です。日々の講義や実習では、血液検査やガン細胞などの細胞検査について学んでいます。そして、将来は臨床検査技師となり、病院や検査センターに勤務して、血液や尿、組織をもとに行う検査等の仕事に就くことが目標です。

「定住者の声 No.19」チームリーダーとして働く

「定住者の声 No.19」チームリーダーとして働く

 ラサジャック シーサワンさん(ラオス)は、1992年にタイの難民キャンプから家族5人で日本に来ました。当時の大和定住促進センターを退所後、現在は神奈川県秦野市の県営住宅に定住し、(株)共栄製作所でベアリング製造の旋盤のチームリーダーとして勤務しています。

旋盤を操作するシーサワンさん
旋盤を操作するシーサワンさん
仕事の内容
 ラオスから国費でドイツに留学し、農業用機械の製造等について学びました。日本でも以前の職が生かせるような仕事に就きたいと考え、職業相談員(難民事業本部所属)に相談し、(株)共栄製作所を紹介されました。妻は一緒に就職しましたが、子育てのため数年で辞めることになりました。
 就職した当初は、周りは日本人の人たちだけで、言葉も分からなければ、ラオスの習慣との違いに戸惑ってばかりいました。しかし、作業で分からないことは課長をはじめ先輩方に質問しましたし、技術を習得できるまで何度も練習を重ねました。
 ベアリングの役割は、回転部分の摩擦を少なくし、滑らかに回転させることです。従って、回転する全ての箇所に使われています。そして用途に応じ転動体(ころ)の大きさもさまざまあり、また形も種々にあります。ベアリングの製造は、プレス(金型で押し、ころを作る機械)、単能旋盤(往復するスライドの先端につけている刃具でころを作る機械)、NC旋盤(コンピューター制御によりころを作る機械)などの工程で作られています。
 私は単能旋盤を担当していますが、重電機や家電など製品により大きさや形が違うため、27台もの機械を操作しながら約600種類の型を使い分けなければいけません。それぞれの型を覚え、不具合が出ないよう注文どおりに作るため、細心の注意が必要です。完成品をチェックするための項目も多くて大変ですが、2年前からチームリーダーとして責任のある立場になり、やりがいも出てきました。
 言葉という面ではハンディはありますが、これまでの努力で身に付けた旋盤技術を日本人の後輩たちにも指導しています。彼らも熱心に習得に励んでおり、例え外国人であっても熱意が伝わるのは同じだと感じています。

今後の目標
 後輩の人たちも増えて、技術面の指導をする場面が多くなりました。また、難民定住者のまとめ役となり、会社規則を遵守するための助言や、専門用語の通訳などの世話も行っています。仕事が円滑に進むようにこれからも自分のできることを確実に身に付けていきたいです。幸いこの会社には外国人に対する差別がなく、実力を適正に評価してくれます。今後も自分の技術を生かし、長く会社に貢献していきたいです。
 そして生活面では、日本で暮らすラオス難民定住者のコミュニティー組織「在日本ラオス協会」の副会長として、主にニュースレターの発行、母国文化継承講習会(民族舞踊、民族音楽)、スポーツ大会の開催といった活動を行っています。毎週日曜日に秦野市青少年会館でラオス語教室も開いており、ラオスの文化や習慣をラオスの子供たちに伝え続けていきたいと思っています。

「定住者の声No.17」家族とともに

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難民について知りたい!
─日本で暮らす難民定住者─

 

「定住者の声No.17」家族とともに

  ペットソンプー カムワンさん(ラオス)は、1985年にタイの難民キャンプから母親、妻、長女、そのほかに弟、妹と来日しました。現在は神奈川県座間市の県営住宅に母親、妻、長女、日本で生まれた長男の5人で暮らしています。日本での生活の苦労、子供のとのコミュニケーションギャップ、高齢者のケア等についてお話を伺いました。

カムワンさん(右)と母親、妻
カムワンさん(右)と母親、妻
日本に来た当初の生活環境はどうでしたか。
 大和定住促進センターを退所したあと、勤務先の会社が紹介してくれた神奈川県海老名市にあるアパートで家族5人の生活は始まりました。部屋は4畳半と6畳の二間しかなく、とても狭い間取りでしたが、私と妻の2人が働きながらどうにか生活することができました。
 印刷機械の部品を製造する会社で旋盤工として働いています。当初会社を選ぶときに、家族を養いながら生活していくためにはどのような職種に勤めたらよいかラオス人の友人に相談しました。彼に旋盤工が一番いいと勧められてこの会社に勤めることに決め、仕事中にけがをしたり、機械に指を挟まれそうになったりと危険な目にも遭いましたが、勤続年数は16年になります。
 ラオスから難民としてタイに逃れたころ、私はちょうど高校を卒業したときで、大学に進学し社会学や経済学を学びたいという夢をもっていました。しかし、タイの難民キャンプ、日本への定住と生活が大きく変わっていく中で、将来への夢は全てなくなってしまったのです。自分の目指していた夢と現実のギャップ、また、今まで機械について勉強したことがなかったために、機械操作の手際が悪かったり、覚えが遅かったりと自分でも仕事に納得いかないこともあり、就職した当初は大変なストレスを抱えていました。

子育てについて考えていることは何ですか。

 私が大学で勉強できなかったので、子供には大学に進学して教師か国際機関に携わる仕事に就いてもらいたいと思っています。教育の面ではつらい思いをさせたくない気持ちで、長女が小学生だったころボランティアの方が開いている日本語教室に連れていったり、学習塾に通わせたりもしました。彼女は高校3年生となり、現在大学進学に向けて受験勉強に多忙な日々を送っています。中学2年生の長男についても同様で、家計はギリギリですが2人とも高いレベルの教育を身に付けさせることが親の役割だと思っています。
 また、学校でのいじめがとても心配でした。保育園に通っていたころに、会社の人のアドバイスで名前をカタカナから漢字名に変更するなど、子供が差別を受けないように努力してきたつもりでしたが、長女が小学生、中学生のころに外国人だということでいじめを受けていたことを最近知り、かわいそうなことをしたと思っています。ただ、彼女はつらい経験を乗り越えて、現在では分かり合える友人を持てたので良かったです。
 家庭内での会話は主に日本語です。95歳の母親が会話に加わる時はラオス語を使いますが、子供たちは言葉が理解できても、自分からラオス語で話すことはできません。ラオスの文化や言葉を教えたいのですが、学業がおろそかにならないためにも今は我慢して、子供たちが大人になって自分でルーツを知りたい、学びたいと思ったときに伝えられたらと考えています。

将来の不安はありますか。

 母親が高齢なこともあり、妻が付きっきりで介護をしています。通院やオムツなどお金のかかることも多いのですが、母親は70歳で来日したために年金がでません。私が介護保険を支払っていますが、会社も仕事が減り残業がなくなっているので生活は大変です。母親の介護や子供たちの進学等、今まで経験したことのない事態にどう対応していいか分からないことも出てきました。困った際に何処に聞いてみればいいか分からない、情報が得にくい場合もありますが、会社の人やボランティア団体の人が相談にのってくれて大変助かっています。
 以前からクリスチャンとして信仰生活を送っており、タイの難民キャンプから日本へ来られたこと、家族が幸せな生活をおくり、健康でいられることは、全て神様のおかげだと思って暮らしています。
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「定住者の声 No.15」いちょう団地のインドシナ青少年を考える

定住者の声 No.15」いちょう団地のインドシナ青少年を考える

 コミュニティー団体「すたんどばいみー」は、2001年11月17日(土)に神奈川県大和市立下福田中学校で「いちょう団地のインドシナ青少年を考える懇談会〜青少年の安全と保健から考える青少年支援〜」を開催しました。会場には約70名の会員、保護者、日本人支援者、学校関係者らが集まりました。「すたんどばいみー」代表のチュープ・サラーンさん(カンボジア)に団体の活動や懇談会の様子を伺いました。

「いちょう団地のインドシナ青少年を考える懇談会」では薬物乱用について考えました
インドシナ青少年の悩み
 「すたんどばいみー」は、神奈川県営いちょう団地に住むインドシナ難民定住者の子供たちを中心とした自主運営の活動グループです。同団地には私たちを含め多数のインドシナ難民定住者が暮らし、子供たちが地域の学校に通っています。子供たちは、地域や家庭、学校の中で「日本に暮らす外国人」として暮らしていくときに、日本人と母国の文化の間で困難を感じ不安定になりがちです。勉強についていけなくなったり、将来に不安を感じて学習意欲をなくしてしまう子供たちもいます。このように似たような経験を持つ者同士が、日本の中でしっかりとアイデンティティーを持ち、自立していけることを目指して、勉強を教え合ったり、悩みを相談し合ったりしながらお互いに支え合うという活動が始まったのが2年前でした。2001年5月、「すたんどばいみー」という組織名となり現在に至っています。

「すたんどばいみー」の活動
 私たちのグループ名の由来ですが、この「すたんどばいみー」という言葉は、私たちが会を運営していく中で大切にしなくてはならないことでもあります。つまり「自分自身で立ち、自立する」「私の側にいて」という意味です。2001年10月現在で会員数は59名、小中学生がほとんどです。国籍はラオス、ベトナム、カンボジアのインドシナ出身者がほとんどですが、最近では日本や他の国の子供たちも参加しはじめています。10名の大学生、高校生が中心となり、中学生と共に21名で運営委員を組織して、定期的に運営委員会を行い活動内容を話し合ったり、同時に地域や学校で困っている仲間たちのことについて情報交換し、対応を検討しています。
 活動内容としては、週2回の学習支援教室、家庭訪問での勉強のお手伝いや、月2回の母国語教室のほかに、バスケットボールチームを作って交流したりしています。また、今回の懇談会で会場をお借りした下福田中学校では、在籍する外国籍生徒が母国の地理や歴史、親の経験などを知ることを通じて日本に暮らす外国人としてのアイデンティティーの形成を目的の一つとした選択教科「国際」の授業が行われていますが、時々そこに参加し、お手伝いをしています。その他に、いろいろなイベントを企画して、会員同士や支援していただいている関係者の方々との交流を図っています。今回の懇談会もイベントの一つでした。

薬物乱用を考える
 いちょう団地周辺に暮らすインドシナ青少年たちの教育支援を考えるとき、私たちの生活環境のすぐそばにシンナーや薬物乱用の問題があります。今回の懇談会は、私たちと保護者を対象に、自分や自分の子供たちの健全な育成を目指すことを目的に行いました。第一部では、看護婦の糸井裕子氏から、乱用すると依存に至る薬物の基本的な知識についての講演があり、薬物の恐ろしさについてのビデオを鑑賞しました。続いて下福田中学校教諭の小桐間聡氏からの地域の薬物を巡る状況の解説で、薬物が非常に身近な問題であることを知ることができました。その後東京大学大学院生の清水睦美氏を司会に、下福田中学校の柿本隆夫教諭、小桐間教諭、大和市立下和田小学校の松義一樹教諭を交え、薬物を始めるきっかけや、友人が薬物を使用していると分かったときに、友人としてどう対応したらよいかを参加した私たちも含めて討論しました。
 この会を通じて私たちが学び、感じたことは、薬物というのは恐ろしいけれど、それよりもっと恐ろしいことは、私たちの大切な仲間が自分から離れ違う場所に行ってしまうことだということでした。そして自分は何ができるのかについて、「すたんどばいみー」の仲間たちお互いが考えていることが分かり、私たちはお互いにお互いを必要としているグループだと改めて感じました。
 第二部では、「桃太郎」の劇を私たちの母国語(7ヵ国語)で上演しました。この劇は3回目の上演になりました。

世代から世代へ
 今回のイベントは、初めて中学三年生が中心となって活動してみました。今年は私たちにとって世代交代の年になります。中心を担った中学三年生たちが今年高校生になり今後彼らが当会を運営していこうとするなかで、現在活動の中心になっている高校生、大学生が彼らにどのように経験してきたことを伝えていくかが重要な課題であると思います。そして、また次の世代がその次の世代へと伝えていけたらよいと思います。そして、今年も昨年のように「すたんどばいみー」の皆でいろいろな活動をしていくなかで、共に悩み、助け合っていきたいと思います。

「定住者の声 No.14」ベトナム語教室の運営

「定住者の声 No.14」ベトナム語教室の運営

 コミュニティー団体「ベトナムの文化を守る会」は、1989年から神奈川県藤沢市でベトナムの子供たちに母国語教室を開いています。代表の範田清さん(ベトナム)に団体の活動や日本での生活についてお話を伺いました。

 私は1980年18歳のときに父と2人で日本に来ました。ベトナムからボートで逃げた私たちを大型船が救助し、沖縄の那覇港まで連れてきてくれたのです。そして、沖縄県にある本部もとぶ)難民キャンプに入り、約3年間キャンプ生活を送りました。キャンプでは200名くらいの人たちが、第三国に出国するのを待ちながら何もすることもなく、その日その日を過ごしていて、特に子供たちは学校に通えないため勉強が遅れている状態でした。そこで私は子供たちのためにボーイスカウトで活動したり、ベトナム語教室や教科の指導教室をボランティアで開いていました。 その後、広島県にあった施設みろくの里に移り、83年に国際救援センターに入所しました。退所後は、東京都多摩市にある会社に就職しましたが、周りにベトナム人が住んでいないことと、仕事に役立てるために学校に行きたいという希望もあり神奈川県に引っ越しました。通訳の仕事をしながら神奈川大学で経済学を学びました。その間、日本語の勉強はカトリック教会の人に教えてもらったりもしましたが、ほとんど独学でやりました。大学を出てから会社に勤めた後、独立し貿易関係の会社を経営しています。

 神奈川県で暮らすようになってからも、藤沢市の藤沢カトリック教会に場所を借りてベトナム教室を開きました。子供が母国の歴史や文化を忘れないようと始めたことですが、1年後に生徒も増えたのでコミュニティー団体「ベトナムの文化を守る会」を立ち上げることにしました。今では子供が40〜50人集まる中、8人のスタッフとベトナム教室の開催、教科学習の指導、イベントの開催、文化交流会への参加などの活動を行っています。イベントでは夏のキャンプ、フリーマーケット、クリスマスパーティーを実施し、文化交流会やテト(旧正月)を祝う会ではベトナムの踊り、歌、料理を披露しました。これらの活動を通じ子供たちはベトナム文化に触れ、自分のルーツに誇りを持つことができました。今後も活発に活動していきたいのですが、ボランティアで運営しているため予算の制限があるので、皆さんに協力をお願いしたいです。また、学校でもベトナム文化を知るための機会を増やしてもらいたいです。

 個人的には、普段から難民定住者の人たちからの相談や問合せがあり、大人からは仕事の相談が多くきます。この不況の中で会社を急にくびになったり、再就職を探しても外国人という理由で採用してもらえない、仕事がなく家族を養えないといった内容です。子供は学校でのいじめの相談が一番多いです。相談を聞くことで精神的に安定させたり、改善できるようなアドバイスをしています。

「定住者の声 No.13」外国籍県民かながわ会議の委員として

「定住者の声 No.13」外国籍県民かながわ会議の委員として

 外国籍県民かながわ会議とは、外国籍県民の県政参加を促進するため1998年に神奈川県が設置したもので、外国籍県民に係る施策及び外国籍県民の視点を生かした地域づくりについて外国籍県民から選出された委員が協議し、知事へ提言を行うことを主な活動としています。第2期委員の沢井律さん(カンボジア)にその概要や、日本の生活、コミュニティー団体「カンボジア文化会」の副代表としての活動等についてお話しを伺いました。

カンボジア文化会のメンバー 下段左から2番目が沢井律さん 私は1981年カンボジアからタイの難民キャンプへ脱出しました。難民キャンプでは英語が話せたこともあり、医療チームの通訳ボランティアやアメリカ等第三国への出国待機している人たちに対して英語の講師をしていました。その後日本NGOの通訳に携わったことや、日本の経済成長に注目していたこともあり、定住先を日本に希望し83年に来日しました。日本では大和定住促進センターでの3ヵ月間の言葉と生活の勉強だけで、社会に出ることになりましたが、英語やフランス語などを話せるだけでは十分な生活ができないと分かったので日本語を勉強することにしました。しかし、日本語を基礎から勉強するというのは楽しくないので、会社で使用する専門用語を覚えたり、車の免許を取るための日本語を勉強するといった実益を兼ねた勉強方法を考え実践しました。

 私はこうして独学で勉強しましたが、アメリカでは2年間勉強してから社会に出るような仕組みになっており、また、難民の一家族ごとにスポンサーがつき、加えて国からの援助も受けながら生活し、社会に出る準備が十分にできたとスポンサーが認めた場合に自立するような仕組みになっています。3ヵ月(現在4ヵ月)の日本語の勉強だけでは日本社会への適応も十分できていないので、会社に入っても迷惑をかけて「くび」になってしまう人も多くいます。そうした人は定住促進センターからも、十分な援助を受けることができないとも思いました。日本で暮らすカンボジア難民定住者は、長期間の戦争や同国人同士の争いが原因で今でも精神的に傷ついている人が多くいます。また、家庭内の問題として、難民の親はすぐに日本の社会に出て働かなければならなかったので、日本語や日本社会についての知識があまりなく、一方、子供たちは学校で日本語も日本社会についても学んでおり、親子のレベルに差が出てきています。その結果、子供が親に相談できない状況、特に、中学や高校卒業後の進路について相談できないことが問題となっています。これらの問題を解決し、皆が精神的に安定した生活を送れること、将来に希望を持って生活できることを目標として「カンボジア文化会」というコミュニティー団体を設立しました。主にカンボジアの正月のお祝いやお盆の祈りといった文化継承の行事を行っていますが、今後は日本社会についての勉強会を開催するなどを企画していきたいと考えています。

 また、自分たちが日本社会を学ぶだけでなく、日本の人たちに在日カンボジア難民がどのような暮らしをしているか、難民とはどういう人たちかということを理解してもらうため外国籍県民かながわ会議の委員に立候補しました。難民は、国を出たくて出たのではなく、政治的な要因があって出てこなければならなかったということを理解してもらいたいです。そして日本人とカンボジア人がお互いに歩み寄って理解し合い、外国人が暮らしやすい社会にすることが共生社会に向けて必要だと思います。

「定住者の声 No.12」関西在住ベトナム人の情報拠点として

「定住者の声 No.12」関西在住ベトナム人の情報拠点として

 関西地域では、非営利団体である神戸定住外国人支援センター(KFC)が定住外国人の自立・自活を支援する活動を行っています。今までは活動の中にベトナム人の支援が含まれていましたが2001年3月でこの支援は終わり、この活動は「NGOベトナム in KOBE」に移りました。代表のホアン・ミン・マンさん(ベトナム)から、日本での生活とコミュニティーの活動についてお話を伺いました。

在日ベトナム人の子供たちの集まり 私は、1984年に数名の人たちと小船でベトナムを脱出しました。海上では助けてくれる船がなく、一週間の漂流が続いた頃やっとのことで外国船に救助され、インドネシアのガラン島にある難民キャンプにたどり着くことができました。難民キャンプは食料も少なくて不便な生活でしたが、優しい心を持った島の人たちと接したり、子供のためのボーイスカウト活動や孤児センターでのボランティア活動など良い思い出もあります。

 兄が日本で暮らしていたため85年に来日後、姫路定住促進センターで日本語などを学習し、就職をあっせんされて日本での生活が始まりました。仕事は、照明の製図作成や部品製造・組立をする会社に就職しました。会社から推薦されてコンピューターの操作を学ぶ高校にも通わせてもらうなど、会社の方には大変お世話なりました。仕事は大変楽しかったのですが、私はベトナム人のために何かしたいという夢をどうしても捨てきれないでいました。とうとう司祭になることを決心し、90年から9年間名古屋にある南山大学神学部で哲学や神学について勉強しました。卒業後2年間は名古屋で、2001年4月からは関西のベトナム人担当としてカトリック鷹取教会で司祭として勤めています。

 95年の阪神・淡路大震災では、日本語が読めないために行政の支援を受けられないなど、在日外国人の抱える問題が明らかになりました。その後の活動を通じて自分たちの問題は自分たちで解決しなくてはいけないと、生活相談やベトナム文化の伝承活動を行うコミュニティー組織「NGOベトナム in KOBE」を2001年7月に発足しました。宗教や世代を越えてベトナム人同士が助け合うコミュニティーです。事務所は神戸市長田区のたかとりコミュニティーセンターに置き、在日ベトナム人4人のスタッフで通訳・翻訳、ベトナムの文化を伝えるための図書館の運営、母国語教室の開催、ベトナムの食べ物や雑貨の販売、高齢者支援、ラジオ放送による母国語での情報提供などを行っています。現在、一番多い相談内容は親子間の問題です。日本生まれの子供はベトナム語が分からず、親とコミュニケーションがとれないこと、学校でいじめられることなど問題が深刻になっています。二つの文化に挟まれて悩む子供たちに対して互いの相談を話し合えるような交流会を神戸、姫路、大阪で開き、それぞれ30〜60人が集まりました。また、今後は日本語が十分に話せない高齢者の人たちが集う機会を作り、ストレスを和らげるよう遠足などのレクリエーションを計画していきたいと思っています。

「定住者の声 No.11」 ベトナムの恵まれない子供を支援する

「定住者の声 No.11」 ベトナムの恵まれない子供を支援する

 日本で暮らすベトナム難民定住者は8,000人を超えています。彼らの多くは仏教徒とカトリック教徒です。カトリック教徒の人たちは、日曜日に行われるミサに日本人信者とともに集います。教会では、クリスマス等の年中行事や、洗礼式、結婚式、命日のミサ等さまざまな宗教行事の他、各種バザーやパーティの催しが行われています。また、教会によってはコミュニティー団体を組織し、ベトナム語情報誌の発行、子供たちに対するベトナム語教室や学習補助教室等を開いているところもあり、そこにはカトリック信者ではない地域の在日ベトナム人たちも参加しています。神奈川県川崎市の鹿島田教会に通うダン・ヌ・トゥイー・アンさん(ベトナム)にお話しを伺いました。

 1989年、私は兄弟2人とボートに乗りベトナムから脱出しました。ボートには137人もの人が乗っていて、食事は1日2個のおにぎりだけでしたが、4日〜5日経つと食料が底をつきかけ1日1個に減りました。水はコップ1杯を数人で回し飲みする状態で、いつも喉が渇いていました。脱出して1週間後、アメリカの大型船に救助され寄港地の日本に到着しました。その後定住の許可が下り、東京品川区にある国際救援センターで日本語や習慣を学びました。

 センター退所後は川崎にある(有)安藤製作所に兄弟3人で就職し、機械の検査や組み立てをしていました。現在は同僚だったベトナム人と結婚し、子供2人を合わせた家族4人で川崎市営住宅に住んでいます。日本に来て12年経ちましたが、日本語は難しいです。子供が小学校から連絡帳を持ってきても読めない時があり、先生や他の保護者の人たちにひらがなで書いてもらうなどお世話になっています。また、分からない言葉は自分でも辞書で調べたりしますが、家ではベトナム語を使うようにしているため子供は日本語とベトナム語が話せます。

 子供の頃からカトリック信者だったので、今でも毎週日曜日に家族でカトリック教会に行きます。そして2000年7月、ベトナムにいるストリートチルドレンに対する教育支援のために私たち在日ベトナム人で恵まれた人たちが結束し、大田区蒲田にベトナム料理店「くぅえ とい」(ふるさとの意)をオープンしました。スタッフは全員ボランティアで働いていて、平日は17時〜22時、土日祝日は12時〜22時の開店中に常時5〜6人が手伝っています。私は週に5日程度出ますが、土日になると周辺からベトナム人二世世代や留学生も集まります。その店の売上げは、諸経費を除いてベトナムで勉学の機会に恵まれない子供たちに送金しています。子供には一定水準の基礎教育は必要不可欠ですが、ベトナムでは保護者共々困難な状況に置かれ道路で寝起きしてる子供、両親がいないため学校に通えない子供がいます。送金したお金は子供たちが生活するための施設の建設、子供の学費や生活費等に使われます。また、個人的にベトナムの子供の教育里親(1人当り学費・生活費用は毎月1,000円)となって資金援助している人もいます。私も難民として苦労してきましたが、今は家族も住むところもあり生活が安定しました。恵まれない世界の子供たちに少しでも何かしたいと思い、皆と協力しています。

「定住者の声 No.10」 関西地域のラオスコミュニティー

「定住者の声 No.10」 関西地域のラオスコミュニティー

  かつて関西地域には姫路定住促進センターがあったことから、約120人(2001年4月現在難民事業本部調べ)のラオス難民定住者の人たちが兵庫県や広島県などで暮らしています。また、これらの人たちが母国から家族を呼び寄せたり、成人になった子供が結婚するなどして世帯は更に増えています。関西のラオス難民定住者で組織するコミュニティー「在日本ラオス協会関西会」会長のポンサパオ・ソンポーンさん(ラオス)から、日本での生活とコミュニティーの活動についてお話を伺いました。

ポンサパオ・ソンポーンさん
 私は、ラオスで農業の専門学校を卒業して農業などの仕事をしていましたが、政治が不安定だったためタイに逃れ難民キャンプに入りました。難民キャンプでは教師、溶接、通訳などをしていました。通訳ができたのは5カ国語が話せたからで、ラオス語とタイ語はもとより、ベトナム語、フランス語、英語は勉強して話せるようになりました。
 難民キャンプで5年間過ごし、1990年4月妻と娘3人と共に日本に来ました。まず、姫路定住促進センターで日本語などを学んだ後、車の部品をろう)づけ(スズと鉛との合金で金属を接合すること)する仕事に就きました。数ヵ月だけの勉強では日本語も難しく、日本人にも慣れなかったので大変辛かったです。溶接関係の仕事は免許を持っているということで今でも続けていますが、かつては子供を養育するため少しでも収入の良い会社に転職したこともあります。住まいは兵庫県神崎郡にある雇用促進住宅です。近所の人も優しい人が多く、自分の畑で取れた野菜や果物を分けてくれたりします。おかげで家族全員に日本人の友だちがたくさん出来ました。現在妻は促進住宅のゴミ置き場の管理を担当しており、上の娘2人は就職し、末娘は高校に通っています。
 2000年から約130人の会員がいる在日本ラオス協会関西会の会長となりました。その活動は、会員の冠婚葬祭や入院の際に援助金を支給する互助制度、お正月を祝う会の開催、国際交流などのイベントにおける民族舞踊の披露などがあります。また、子供たちにラオスの歌や踊りといった母国文化を継承するため、イベントの前には週末ごとに指導者を招いて伝統芸能の講習会を開いています。2000年11月には促進住宅の管理主事の方が発起人となり、中国人、日本人、ラオス人などが集まった交流会が開催されました。町のゴミ拾いと町内探検、各国料理の試食会、「だるまさんがころんだ」ゲーム大会という内容でしたが、今後も、積極的に日本人とラオス人、また、日本に住んでいる外国人との交流を深めるような場を設けていきたいと考えています。

「定住者の声 No.9」 言語スタッフとして活躍する

「定住者の声 No.9」 言語スタッフとして活躍する

 インドシナ難民定住者の中には、母国語と日本語を話せるという特技を活かして、通訳や翻訳などの仕事に就いている人たちがいます。神奈川県にある、さがみはら国際交流ラウンジで言語スタッフとして活躍するコイ・パダラさん(カンボジア)は、カンボジア難民定住者で組織するコミュニティー「クメールボランティア協会」の副会長でもあります。日々の活動についてお話を伺いました。

コイ・パダラさん 私は17年前にカンボジア難民として日本に来ました。現在、3人の家族とともに相模原市に住んでいます。この町に来てから私の人生が変わりました。ある日、葦の会というボランティア団体と出会い、私もボランティア活動に参加したいと思いました。タイの難民キャンプにいた時に、いろいろな国のボランティアの人と一緒に働く経験があり、いつかこの経験を社会の役に立てるために使いたいと考えていたからです。今このチャンスが来たのです。
 2年前に、さがみはら国際交流ラウンジの言語スタッフになり、毎週土曜日の10時から15時まで翻訳をしたり、通訳をしたり、相談に乗っています。また、時々中学校や高等学校などに国際交流的な講演をしに行きます。その他の時間は、ボランティアとして活動しています。あっという間に2年が経ち、ボランティアという言葉の意味がよく分かりました。ボランティアになるためには、まず心を広く持っていなければならない、自分の時間を減らし社会のために時間を増やさなければならないということです。
 2001年4月から同国人のために、「ノコークメール(クメールの国)・イン・さがみはら国際交流ラウンジ」という窓口のような組織を設立し、広く国際的な文化交流の場を作り出したいと思っています。日本人とカンボジア人の相互理解が進むよう、お互いの生活をより楽しいものにするよう、「話してみよう!聞いてみよう!」を実感できるところとしたいです。そして、もう一つ大切なことは、将来に向かって二世世代の若いカンボジア人たちが、自分の文化を知り、この文化を守っていくことです。これは、私たち一世世代カンボジア人の責任です。この場所に来ればカンボジア語の雑誌やカンボジアの民族の歌などを無料で読めるし、聞けるし、自分の故郷にいるような気分を味わえるでしょう。
 「ノコークメール・イン・さがみはら国際交流ラウンジ」は5つのカンボジア団体が力を合わせて同国の人々のために活動していきます。皆さん、遠慮なく遊びに来てください。

「定住者の声 No.7」 ラオス語教室の運営

「定住者の声 No.7」 ラオス語教室の運営

 ラサジャック・シーサワンさん(ラオス)は、92年にタイの難民キャンプから家族5人で日本に来ました。日本で暮らすラオス難民定住者のコミュニティー組織「在日本ラオス協会」の副会長です。協会は、主にニュースレターの発行、母国文化継承講習会(ラオス語、民族舞踊、民族音楽)、スポーツ大会の開催といった活動を行っています。今回は、ラオス語教室の運営についてお話を伺いました。

ラサジャック・シーサワンさん ラオスの文化や習慣の良さを子供たちに伝えて、どこの国に暮らしても心の豊かな人間になってほしいと願い、神奈川県秦野市青少年会館で、毎週日曜日の10時〜12時の間ラオス語教室を開いています。教室は10年位前からスタートしていましたが、私が教室を引き受けたのは1996年10月からです。ラオスの小学校1年生用の教科書を使い、6歳から12歳の子供たち7名にラオス語の読み方、書き方を教えています。過去には35人の子供たちが在籍していたこともありました。
 教室では、勉強以外にも、踊りの練習、ラオスの作法の学習、ゲームなどもしており、コミュニティーで集うお正月のお祭りや、パーティでは踊りの練習の成果を披露しています。夏にはキャンプに行ったり、みんな仲良しです。

「定住者の声 No.6」 カンボジアの踊りを習う

「定住者の声 No.6」 カンボジアの踊りを習う

 シム・ワンチェリーさん(カンボジア)は、神奈川県立和泉高等学校の2年生です。海外の難民キャンプを経て5歳から日本で暮らしています。カンボジア人コミュニティーの活動に積極的に参加し、大人からカンボジア文化も大切に継承しています。今回は、2000年11月に行われたパーティーの様子をお話してもらいました。

 11月26日の日曜、いちょう団地第2集会所でカンボジアのパーティーがありました。いちょう団地に住んでいる人が中心となって行われました。約50人の人が集まり、平塚や相模原からも友達が来ました。カンボジアのパーティーで食べる、炒め物やスープ類がありましたが、すごい人気で私は食べられませんでした。
カンボジアの歌のカラオケをやりながら、それに合わせてみんなで踊りました。2時間くらい踊り続けて楽しかったです。 カンボジアの曲にはいろいろなジャンルがあります。テンポがゆっくりな曲の中には踊るのに苦手な曲が多いけれど、大人の人に混ざって教えてもらいながら1曲ずつ覚えられたのがうれしかったです。
 半年ぶりに、遠くに住んでいる友達にも会えました。このようなパーティーでたくさんの人と知り合って、友達が増えていきます。
 お正月近くに、必ずまたパーティーがあるので、今回覚えた曲を踊るのを楽しみにしています。
後列一番左がシム・ワンチェリーさん 

「定住者の声 No.5」 料理教室

「定住者の声 No.5」 料理教室

 埼玉県越谷市に在住のデオ・ティ・トゥエット・フンさん(ベトナム)に家族のこと、日本の生活のことについてお話を伺いました。

デオ・ティ・トゥエット・フンさん
 ベトナムで生活していた頃は、家族の人たちが歌を歌うことが好きだったこともあり、小さい時から歌手として活動していました。テレビに出演したり、女の子7人でバンドを組んで売り出していたりしましたが、ベトナムの情勢も不安定だったので日本に定住していた姉に呼び寄せられて母ともう一人の姉と私の3人で日本に来ることになりました。
 今は夫と赤ちゃんのハオくんと3人で越谷市の団地に住んでいます。団地に住むベトナム人は私たちだけですが、皆さんとても親切にしてくれます。最近は、日本とベトナムの料理を披露する料理教室を開いています。私はベトナム料理の中で有名な生春巻きの作り方を紹介し、日本の料理では豚汁を習いました。私の家族も豚汁が大好物になっています。ハオくんがまだ幼いので歌を歌う仕事も年に2回ぐらいしかできませんが、今は家族が私の宝物であり、この生活をとても気に入っています。

「定住者の声 No.4」   自費出版『ポルポト政権と戦うベトナム兵士』

「定住者の声 No.4」
  自費出版『ポルポト政権と戦うベトナム兵士』

「ポルポト政権と戦うベトナム兵士」 著者の源ビンロイさんは、姫路定住促進センター17期生として81年に入国後勉強を重ね、同じフィリピンキャンプ出身女性と結婚し、現在老人介護を仕事としながら3児の父となりました。
 ボートピープルとして日本に定住したベトナム難民が、祖国を離れる前の体験を4年の歳月をかけて日本語で書き綴りました。自費出版ですので、購入ご希望の方は下記に連絡してください。
【連絡先】
TEL/FAX:077-578-5314
源ビンロイ(NGUYEN VINH LOI)
定価 2,200円(税込)

「定住者の声 No.3」 クリーニングの仕事

「定住者の声 No.3」 クリーニングの仕事

 神奈川県平塚市に住むパンヤ・トゥムさんは18歳、インドシナ難民として日本に定住した父の呼寄せで2年前にラオスから来ました。仕事や休日の過ごし方についてお話を伺いました。

パンヤ・トゥムさん
 ラオスの中学校を卒業して兄と日本に来ました。母と同じクリーニング会社に就職し、シャツやズボン、シーツや枕カバーなどにアイロンをかける仕事をしています。勤務は月曜日から金曜日の7時30分から17時で、アイロンをかけるといっても家庭のみなさんが想像するようなものとは違い、大きな機械を操作しながら作業をします。アイロンがけは熱くて余り楽しくありませんが、仕事には慣れました。
 休日は友達と買い物をしたり、家でドラマを見ることが好きです。1999年10月、日本語を勉強したいと思っていた私に両親がボランティア教室を紹介してくれました。週2回月曜と水曜日の19時から21時が学習時間です。日本語が上手くなったら国内旅行に出かけたいです。日本に来てから箱根に社員旅行で行っただけなので、特に京都に行ってみたいです。

「定住者の声 No.2」 将来の夢

「定住者の声 No.2」 将来の夢

 神奈川県横浜市で暮らすチュープ・ソッコーンさん(19歳)が、日本での生活や将来の夢についてお話くださいました。

将来の夢
 こんにちは、チュープ・ソッコーンです。カンボジアの戦火を逃れタイの難民キャンプで幼児期を過ごし、1990年9歳の時に家族とともに日本に来ました。現在、神奈川県立産業技術短期大学機械科1年に在学し、コンピューターのコントロール制御の研究やサッカークラブの練習と忙しい毎日を送っています。
 進路について小学生の頃から人とは違う専門性を持ちたいと思っていたことと、数学と機械操作が得意だったので工業高校へ進学しましたが、高校に進学すると勉強が難しくなり、中学から続けていたバレーボール部も途中で辞め、地域にあるボランティア教室の先生の下で毎日勉強しました。そして、機械の技術や知識を深めるため産業技術短期大学に入学することにしました。ここまで来られたのも中学2年生の時に出会ったボランティアの先生が、ずっと熱心に数学の勉強やコンピューターを指導してくれたお陰だと思います。

 小学5年生からボランティア教室で、教科学習を受けています。また、教わるだけでなく、日本に来たばかりのカンボジアの子どもたちに日本語や教科を教えています。今悩んでいることは、勉強を教えている後輩が、勉強に身が入らず高校受験から逃げていることです。僕は、将来エンジニアとなってカンボジア復興のために働きたいという目標のために、嫌いな国語も難しい数学の問題にも取り組んできました。自分のやりたいことや将来の目標があれば、つらい勉強もがんばれます。どうしたら彼が勉強する気になるか、将来の目標を見付けることができるか考えています。
 今年の春カンボジアに行き、高価なものはないけれど珍しいもので溢れる町を見てきました。内戦や地雷のために復興が遅れている自分の国で、工業技術を指導できるリーダーとなれるよう、夢に向かって一歩一歩進んでいきたいと思います。

「定住者の声 No.1」 大学合格おめでとう!!

「定住者の声 No.1」 大学合格おめでとう!!

 2000年もたくさんの人たちが大阪外国語大学、関西外国語短期大学、日の本短期大学などに入学しました。おめでとうございます。

喜びの声 ボ・クオック・ビンさん(ベトナム)

 みなさんこんにちは。僕は12年前に日本に来ました。僕ら家族は、自分たちの母国を離れて、異国の地である日本にやってきました。言葉も通じないし、私生活、文化も違う。こんなところで生活ができるだろうかと、不安がいっぱいでした。そう考えながら、12年の年月が経ちました。
 現在僕は19歳。神戸国際大学の一回生に在学しています。平日の日は、学校に行っており、休日や授業が早く終わった日には、ガソリンスタンドでバイトをしています。
 僕には二人の姉がいます。一人は、今自立して結婚し、現在は東京で暮らしています。もう一人はアメリカに留学中です。僕は二人の姉と違ってちゃんと小学校に行っていました。でも、姉たちは日本人のみんなと出遅れて中学に入り、それでも頑張って立派になっています。
合格
 僕はこの大学で国際的なことを学んで、将来はいろんな国々をまわるような仕事がしたいです。ここまでの道のりは僕一人では来られませんでした。いろんな人の手助けをうけてここまで来ました。必死で家族の為に働いている両親には本当に感謝しています。僕が目指すゴールはまだまだ先です。これからも、誰かの手助けも必要です。でも、行けるところは自分の力で行きたいと思っています。諦めたら負けです。いままで僕を支えてくれた人の声援を裏切らないように頑張ります。

難民支援活動ワークショップ

難民支援活動ワークショップ

難民事業本部では、1995年度より外務省から業務委託を受け、難民問題についての日本の専門家及びボランティアを育成し、また、難民支援分野での日本のNGOとの連携を進めるよう努めています。このボランティア育成支援事業の一環として、国内外で難民救援活動をするNGOスタッフを対象に「難民支援活動ワークショップ」を実施しています。

2005.10 教育を対象とした「多文化共生のための国際理解教育、開発教育セミナー」及び「難民×教育」
2005.9 アルコールおよび薬物依存症者に対するケア
2005.8 ワークショップ難民2005(於:東京)
2005.6 ワークショップ難民2005(於:兵庫)
2005.4 薬物依存症者に対するケア
2005.3 麻薬乱用者の問題
2005.3 イギリスの難民定住支援
2005.2 緊急時の教育ワークショップ
2004.2 フランスにおける難民及び庇護申請者に対する支援活動
2004.1 人道支援活動におけるニーズ・アセスメント、モニタリング、評価
2003.12 UNHCRのIP契約‐IP契約を結んでいる日本のNGOのプロジェクトの実例と将来への展望‐
2002.1 スフィア・プロジェクト
2001.11 入門編

多文化共生のための国際理解教育・開発教育セミナーを開催しました

多文化共生のための国際理解教育・開発教育セミナーを開催しました

難民キャンプの食事を考えるワークでは実際の食糧を使って分量を予想しました

 多文化共生教育や国際理解教育、開発教育を推進し、より実践的な取り組みを図るため、兵庫県教育委員会、JICA兵庫、難民事業本部、神戸YMCAの4団体が主催し、「多文化共生のための国際理解教育・開発教育セミナー」を2004年8月16、17日に兵庫県神戸市のJICA兵庫にて開催しました。
 兵庫県内の小・中・高校の教員や教育関係者、NGO関係者を中心に、定員80名を超える参加があり盛況でした。2日間にわたるプログラムでは、講演とワークショップにより多文化共生教育や国際理解教育、開発教育の意義や取り組みを学ぶとともに、人権・多文化共生、貧困・開発、平和の3テーマについて、いかに児童・生徒と共に学んでいくか熱心な話し合いが行われました。6つの分科会では、参加者は生徒が自分自身で考える参加型の手法を体験し、また教室ですぐに使えるアレンジ方法や自分で教案を組み立てるための情報源や資料が提供されました。
 セッション3の「わたしが難民になったら」では、難民の定義や現状、帰還・定住までの経緯について、シミュレーションやグループ討議を通して考えました。「誰が難民か」のクイズでは難民・国内避難民や難民条約の定義について考え、「何を持って逃げるか」のシミュレーションではグループに分かれて難民として脱出する際に持ち出すものについて議論し、また「難民キャンプの食事」のワークショップでは、難民キャンプで支給される食事量について実物の食品を使って考えました。
 2日間のプログラムを経て、参加者からは「教育委員会も主催者として関わり、今後現場での開発教育の取り組みが期待される」「各団体の活動内容や資料などの利用方法を紹介していただき、役立った。どんどん外部に情報を求めていこうと思う」「こうしたセミナーを継続的に開催してほしい」「教員同士、関係団体のさらなる情報交換の機会とネットワーキングをつくりたい」といった感想が聞かれました。多文化共生教育や国際理解教育、開発教育に関する現場での取り組みを深めていくにあたり、主催者、参加者双方にとって有意義なセミナーとなりました。

詳しい内容はこちらをご覧ください(PDF 679KB)

◆多文化共生のための国際理解教育・開発教育セミナー プログラム◆

8/16(月)
13:00〜15:00

基調講演「開発教育、国際理解教育で何ができるか」
講師:藤原 孝章(同志社女子大学現代こども学科 教授)

15:00〜17:00

セッション1(人権・多文化共生)
a. 多文化共生のまちづくり
進行:岩山 仁
(多文化共生センターひょうご)
b. 多文化共生の学校づくり
進行:綿巻 秀樹
(川西市立加茂小学校教頭)

8/17(火)
13:00〜15:00

セッション2(貧困・開発)
a. 熱帯林をめぐる開発と私たちの暮らし
進行:荒川 共生
(開発教育協会大阪事務所)
b. 貧困の原因はどこに
進行:藤野 達也
(PHD協会・開発教育協会)
15:00〜17:00 セッション3(平和)
a. 平和はいかにつくられるか
進行:高野 剛彦
(神戸市立六甲アイランド高校教諭)体験しながら、新しい取り組みを探ります。
b. わたしが難民になったら
進行:中尾 秀一
(難民事業本部関西支部)
17:00〜17:30 クロージング・セッション

「ワークショップ 難民」(2003年6月11日)

「ワークショップ 難民」(2003年6月11日)

難民事業本部関西支部では、シミュレーションやランキングなど参加型手法で難民について考える「ワークショップ難民」を、神戸YMCAと共催しました。5〜7月全6回のワークのうち3回はパレスチナ、ブータン、ミャンマー難民について、自身が難民であったり、NGOスタッフや青年海外協力隊員として現地で生活した講師から、難民の暮らしや支援活動についてのレクチャーを聴きました。ワークショップでは、難民の定義から日本への受入れ等について活発な議論が繰り広げられました。 ここでは、中尾恵子さん講演の「ビルマ難民」の概要を紹介します。

「ビルマ難民」 中尾恵子さん(日本ビルマ救援センター代表)

日本ビルマ救援センター(以下センター)はミャンマー難民の支援を行っています。支援活動を通じて見てきた難民の人たちの生活の様子を紹介します。 1.国内避難民 ミャンマーの国内にいるまだ国境を越えて来ない人たち(以下、国内避難民)の数はミャンマー全土で60万〜100万人といわれています。強制労働にほぼ毎日徴用されて、自分の田畑を耕すのもままならない人たちが多くいます。国内避難民への支援は国際的なNGOがなかなか手を出せない状態ですので、タイ側の難民キャンプに住んでいる人たちが自分の生活がある程度落ち着いた時点で自助グループを作り、国内避難民の教育や医療の支援をしています。センターではこの難民の自助グループを通じて一部の国内避難民への支援を行っています。 2.ミャンマー・タイ国境の難民キャンプにいる難民 1984年までのミャンマー・タイ国境支配はもともとその地にいたワ、シャン、カレンニー、カレン、モンの少数民族によって行われており、ミャンマー政府やミャンマー軍が近づける地域は限られていました。この少数民族は国境貿易つまりブラックマーケットから税金を取って、自治と抵抗武力や公共設備に使っていました。ミャンマーは経済的に孤立化していたので、日常の必需品はミャンマー・タイ国境からやって来る闇取引に頼っていました。国境地帯は70年代半ばからミャンマー軍とカレン軍の戦闘状態が続いていましたが、84年に初めてミャンマー軍に苦戦を強いられてカレン軍がタイ国境に押しやられ、約1万人の難民がタイ側へ出てきました。84年から94年の10年間にミャンマー軍は毎年乾期に攻撃を仕掛けて新しい地域を配下に納め、最終的に94年の時点で難民は約8万人となりました。95年にカレン軍本部のあるマナプローを陥落し、その他の軍事基地も侵攻していきます。ミャンマー軍は少数民族の支配を広めていくと、96年から軍の支配下に人々を集めて抵抗民族を抹殺するために強制移住計画を開始し、その結果タイ側に多くの難民が出ました。2002年10月の資料によると少なくとも250の少数民族の村が破壊され、100万人がその影響を受けています。また、20万人以上の人々が難民としてタイへ逃れています。 現在、難民キャンプはメーホンソン地区にバンカイ、バンメイスリン、メコンカー、メラマルアンの4つ、タック地方にメラ、ウンピャンマイ、ヌポキャンプの3つ、カンチャナブリ地方にバンドンヤン、ラチャブリ地方にタムヒンがあります。モンのキャンプは再定住地ということでミャンマー側にあります。現在タイ側のキャンプに13万4千人、ミャンマー(モン)側のキャンプに11,725人で、合計約14万5千人が難民として登録されています(2003年2月現在)。難民キャンプには電気がないので、子どもたちは夜が明けるとすぐに起き、仕事をいくつかこなしてから学校に行って、戻ってきてからも明るい内に勉強します。学校では語学を中心にミャンマー語とカレン語と英語、算数を勉強しています。日本のNGOシャンティボランティア協会(S.V.A)がミャンマー・タイ国境のキャンプで図書館活動をしています。午後図書館が開き、学校が終わったあとに子どもたちが集まってきます。日本や海外の優れた本を選んで、それぞれのタイトルや文字に全部ミャンマー語やカレン語の翻訳を貼っています。キャンプの中にはいくつか井戸があり、食事や洗濯用の水をくみ、また沐浴もします。主な収入源は織物を織ってかばんやシャツなどの製品に仕上げて売ることです。キャンプでの娯楽はサッカーや映画館にあるテレビで古いアメリカの映画を観ることくらいです。センターでは保育園やカレンの女性の自助グループが運営している孤児院の支援を行っています。また衣服や食料品等の支援もしています。キャンプによっては山の上にあるため行くのに苦労します。キャンプの立地条件によって必要な服、毛布などが変わってくるということが現地に行って初めてわかります。ミャンマー側からタイ側に逃げてきたニューアライバルと呼ばれる人たちが最初に収容される施設でインタビューをしました。ある家族の妻は、昨年の5月にミャンマー軍がカレンの村を攻撃した時に流れ弾にあたり、身重の身体でキャンプに命がけでたどり着いた後に出産したとのことでした。いまだに頭の弾丸の破片を取る手術が出来ないため、ひどい頭痛に苦しんでいました。 3.非公式の難民キャンプにいる難民 ファン、メーサイ付近に非公式のシャンのキャンプが3ヵ所あり、現在2,300人以上いるといわれています。シャン軍、ワ軍とミャンマー軍の交戦で一時にたくさんの難民が逃れてきました。現在はミャンマー軍による強制労働のため、家族単位でタイ国境を目指してやってきます。3月に訪問した時のインタビューによれば、村人の40%がタイ側の方へ逃れているということです。地雷の被害者もたくさん出ています。パオ、ラフ、アカ等人口的に少ない民族の人たちはキャンプを持つことができません。このような少数民族、キャンプを持たない民族の人たちはUNHCRから難民と認められていないため、国際的な支援が得られず食料品の配給を受けることもできません。タイ人が嫌がる3Kの仕事をしたり、タイの最低賃金よりも低い賃金で仕事しているため生活はかなり苦しいです。子どもたちは学校へ行く余裕がないため、自助グループの人たちが読み書きを教えていますが、十分ではありません。センターはこの非公式のキャンプにいる人たちや難民キャンプを持たない少数民族の人たちに対する教育と衣服の支援も行っています。 4.移住労働者となりミャンマーを出てタイにいる経済難民 ミャンマー側のカレンや他の民族の人たちが生活ができないため職を求めてタイ側に移ってきますが、彼らは紛争地帯から逃げてきた難民ではなく、経済的にやっていけなくなって自分たちの意志で渡ってきたため、特別な支援を受けることはできません。 5.日本におけるセンターの活動 日本には約1万人位のミャンマーの人が生活しています。その中には、母国の民主化活動をしたことで逮捕される恐れがあるため、庇護を求めて日本に来た人たちがいます。彼らはビルマ民主同盟や国民民主連盟、解放地域日本支部などに所属し活動をしています。センターでは日本や海外にいる活動家たちと共同でミャンマーの民主化を願って、デモやアピール、写真展などを行っています。大阪のボランティアセンターでは毎月第2金曜日6時半から最新のミャンマー情報や現地訪問の報告等ミャンマー問題の学習会をしています。現在抱えているたくさんの問題も含めていろいろミャンマーのことを勉強しながら、国境の支援活動を続けていきたいと思っています。何よりも難民キャンプやキャンプ以外の場所で出会った子どもたちが1日も早く幸せに暮らせるようになることを祈りながら活動しています。

「ワークショップ 難民」(2003年6月25日)

「ワークショップ 難民」(2003年6月25日)

難民事業本部関西支部では、シミュレーションやランキングなど参加型手法で難民について考える「ワークショップ難民」を、神戸YMCAと共催しました。5〜7月全6回のワークのうち3回はパレスチナ、ブータン、ビルマ難民について、自身が難民であったり、NGOスタッフや青年海外協力隊員として現地で生活した講師から、難民の暮らしや支援活動についてのレクチャーを聴きました。ワークショップでは、難民の定義から日本への受入れ等について活発な議論が繰り広げられました。 ここでは、ラタン・ガズメルさん講演の「ブータン難民」の概要を紹介します。

「ブータン難民」 ラタン・ガズメルさん(アフラ・ブータン代表)

私はロンドン大学でマスター(修士)を取り、帰国後専門機関で教員をしていました。1988年以降ブータン政府が打ち出した政策に反対して非暴力な抗議運動を行ったため、大勢の友人と共に逮捕されました。最初は死刑を、最終的には終身刑を言い渡されました。軍隊による拷問を受け、手錠と足かせをはめられて2年半独房に入れられ、家族や友人でさえ私が生きているのかどうかわからない状況でした。幸いなことにアムネスティ・インターナショナル等による世界的な圧力のおかげで釈放されました。釈放後、難民問題解決のための活動を開始しましたが、身の危険を感じたため、ブータンからネパールへ難民として逃れました。そして難民の帰国とブータン国内の民主化を強化することを目的に92年アフラ・ブータンの組織を作り、国際会議やジュネーブの人権委員会に対するアピールなどの活動を行ってきました。 ブータン難民の発生 ブータンは中国とインドにはさまれた小さな国です。現在まで絶対君主制がとられてきました。人口も60〜70万人と少なく、3つの大きな民族が住んでいます。北西部と中部にはンガロングというエリートの民族が、東部にはシャルチョップという民族が住んでいます。この2つの民族はチベット仏教ですが宗派は異なります。南部に住んでいる人たちはロシャンパで、ネパール語も話し、ほとんどがヒンドゥ教徒です。 これらの民族がずっと仲良く暮らしていましたが、88年に国籍法の改正、翌年には一民族一国家の政策が打ち出されました。同化政策のため民族衣装や言語等の文化を強制され、従わない者は投獄されたり、罰金を取られるなどのひどい仕打ちを受けました。平和的集会等による抗議活動を行った者たちはブータン国内やネパールの亡命先で逮捕され始め、89年末までに50人以上の人が裁判なしで終身刑とされました。ブータン政府はさらに厳しい政策を進め、91年には「自由意志で出国、移住する」という内容の書類を提出することを拒否した人々が逮捕されて、釈放される時には「私は家族と共に自由意志で出国する」という紙にサインさせられ、銃を頭に突きつけられて国を追い出されました。 現在ネパールに7カ所ある難民キャンプの人口は10万人を超えています。難民キャンプ以外に25,000人前後がネパールとブータンで住んでいます。人口60〜70万のほぼ6分の1の人々が追い出されているということになります。 難民キャンプの様子 キャンプで暮らす難民たちは15日ごとに家族単位でじゃがいも、米、豆類、塩、食用油、カレーパウダーなどの食料品をもらいます。食糧はWFP(世界食糧計画)から支給されてネパールの赤十字が配給作業を行っています。 ある程度の学校制度は整っていますが、高1までしかありません。アフラ・ジャパンは2年ごとに18名に対して奨学金を出しています。カリタスが支援しているのは学費だけで、しかも生徒の人数が増えているため、今年からトップの成績のわずかな人たちだけにしか学費を出せない状況です。今は国連の支援もなく、勉強がしたくてもできない状態です。 身体を洗い、洗濯をし、食器を洗うために1ヵ所の取水口を200世帯が利用しています。トイレや洗濯場の設置はブータン難民自身で考え出したものです。おかげで衛生状態はよくなり、大きな伝染病もなく、世界で1番きれいな難民キャンプだといわれています。 最近の状況 2000年に日本政府も含めブータンへODAを出している国々が初めてブータン政府に対して、ネパール政府と協力してブータンの難民問題を早期解決するように強く圧力をかけました。01年の3月から2国が共同作業チームを作り、難民キャンプで難民の確認作業を行い、ブータン政府は難民を4つのカテゴリーに分けました。第1のカテゴリーは強制的に移住させられた人々です。第2のカテゴリーは自由意志でブータンを出た人です。これはかっこ付きで、自由意志で出た人はいません。第3のカテゴリーはブータン人でない人々です。第4のカテゴリーは犯罪を起こした人々です。 私たちブータン難民は区分するのであれば、ブータン人であるかないかの2つだけのカテゴリーに分けるべきだとずっと反対してきました。現在はいろいろ厳しい条件が付いてはいますが、第1と第2と第4のカテゴリーは一応ブータン国民として認められました。 今後の課題 残された問題の1つはUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)が難民の確認作業や帰国の実施に一度も介入しておらず、ブータン政府、ネパール政府も介入を許さなかったことです。国連のような第三者の介入が必要不可欠であると私たち難民は思っています。 また、第2カテゴリーの多くは国に戻ることはできるのですが、申請しなければ国籍はもらえません。2年間監視されて、特に問題がなければブータン国籍をもらえるのです。教育や医療等の社会参加については現段階ではブータン政府は何も触れておらず、保障はまったくありません。帰国しても自分の土地を持てるか、国民として同等に受け入れられるか分からないなど、不安が一杯で本当に喜べる状態ではありません。NGOや難民のために活動してきた人たちはみんな第4の犯罪者のカテゴリーに入れられており、ブータンに帰ることはできても帰国後は刑務所に入れられます。第3カテゴリーのブータン人ではないとされた人々は結局ブータン国籍でもネパール国籍でもない無国籍のままで生活しています。 2000年以降の進展は国際的な圧力があったからこそです。日本政府もブータンに対して経済援助を行っている主な国の一つでありながら、難民問題解決のためにも貢献してくれました。今後もブータン政府やネパール政府に対して人権尊重に基づいた平和的な帰還が実現できるよう働きかけをしてくださることを望んでいます。

「ワークショップ 難民」(2003年5月28日)

「ワークショップ 難民」(2003年5月28日)

難民事業本部関西支部では、シミュレーションやランキングなど参加型手法で難民について考える「ワークショップ難民」を、神戸YMCAと共催しました。5〜7月全6回のワークのうち3回はパレスチナ、ブータン、ビルマ難民について、自身が難民であったり、NGOスタッフや青年海外協力隊員として現地で生活した講師から、難民の暮らしや支援活動についてのレクチャーを聴きました。ワークショップでは、難民の定義から日本への受入れ等について活発な議論が繰り広げられました。 ここでは、杉本真樹さん講演の「パレスチナ難民」の概要を紹介します。

「パレスチナ難民」 元青年海外協力隊員・杉本真樹さん

私は宗谷岬にある日本最北端の宗谷中学校で4年間勤務していました。兵庫県姫路市出身です。同級生に仲の良いベトナムからの難民がいましたが、その頃は全く難民について意識していませんでした。青年海外協力隊員としてシリアに行き、はじめて難民について考えはじめました。 シリアやパレスチナの位置は皆さんご存知でしょうか。今回の話の「パレスチナ」は、独立国ではなく「自治区」の形で存在しています。同時に存在する国がイスラエル。この2国間の間で、戦いが繰り返されているのです。私の住んでいたシリアは地中海からトルコ、そしてイラクやヨルダンと国境を接しています。今回のイラクへの攻撃でイラクからクルド人が難民となり、特にヨルダンへ流れました。ヨルダン側が用意したキャンプ地までは延々砂漠が続き、中にはそこまで辿り着けず、途中の何もない場所でテントを張らざるをえなくなった人もいます。 私たちは地図を見て、「中東」と呼びますが、中東とはヨーロッパを中心とした考え方、呼び方であり、「中東じゃなくて、アラブっていいなさい」と訂正されることがありました。皆さんはこういうアラブ世界に対してどのようなイメージをお持ちでしょうか。 私たちはアラブのイメージが「戦争」と「石油」、石を投げている子供のイメージと石油のために戦争しているイメージだけになってしまうことを危惧しています。ここにも私たちと同じように家族を愛し、希望を持って生きていることを忘れてしまいがちです。 私が活動していたシリアは、そういったイメージを覆すような落ち着いた国でした。難民となって移動してきたパレスチナ人は、イメージとはちがって普通の平和な暮らしをしています。ただし、その平和な暮らしを手に入れるまで50年かかっているのです。政府の保護や国連機関であるUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)の難民支援と、人々の努力の賜物にほかなりません。 自治区内ではテント生活だったり食糧難であったりと、まだまだ困難な暮らしを強いられる方々もおられます。ただ、どこに住んでいても、パレスチナ人は祖国を思いつづけ、平和な暮らしを願いつづけています。

シリアの街の様子

シリアの面積は日本の約2分の1。国土の約70%が砂漠です。その中のオアシス都市のひとつが首都ダマスカスです。国内にはシリア(アラブ)人、クルド人、アルメニア人、パレスチナ人が共に暮らしています。また、羊を飼いながら移動生活を送る、遊牧民(ベドウィン)の人々がいます。公務員の給料は月約1万円程度ですが、開発途上国にしては多いかもしれません。宗教は80%のイスラム教徒、20%弱がキリスト教徒です。多くの遺跡や宗教的な歴史的建造物が残っています。世界遺産のパルミラ遺跡はBC1C〜AD3のもので、「西アジアで一番美しい廃墟」と呼ばれることもあります。十字軍遠征の時に築かれた要塞も各所に残ります。 町には日本車が多く走り、ボロボロでも人々にとっては日本製であることが嬉しく、いつも自慢話に付きあわされます。馬やロバが闊歩し、歩行者も道路を平然と横断するなど、交通ルールはあってないようなものです。食事は、田舎に行くと家族一緒に車座になって食事をする風景に出会います。主食はホブスと呼ばれているパンで、肉は羊や鶏が主です。 夏場は50度近くまで気温が上がりますが、乾燥しているため思いのほか過ごしやすいでしょう。 パレスチナ人の総人口は930万人といわれています。その内難民は約400万人。シリアに約40万人、ヨルダンに約170万人住んでいます。自治区の西岸地区は、面積が三重県とほぼ同じであり、約63万人が生活。ガザ地区は日本の種子島と同じくらいの面積で、そこに約90万人の人々が生活しています。どこへ行くにもイスラエルの入植地を通らなければならないため実質とじこめられているような形になっています。

難民発生の歴史

ここでいう難民は、48年にイスラエル建国によって住んでいた土地を追われて、周辺地域に逃れた人々の子孫のことです。当時は70万から100万人が難民になりました。 以来55年が経ち、難民の数はその4倍の400万人にまで膨れ上がりました。3世代、孫の代です。子供たちは一度も祖国を見たことがありません。しかしながら「私たちの国はとてもきれいなところだ」「とても素晴らしいところなんだ」と教えてくれます。シリアやヨルダンは国の保護が手厚いのですが、レバノンの難民には住民権が与えられず、能力があっても重要な職にはつけないなど、不当な扱いを受けている人もいます。 国連は安保理決議242号により、パレスチナ難民に対して元の居住地への帰還を認めています。また、帰らない場合でも財産などの保証を認めていますが、残念ながらイスラエルはこれを拒否しています。2003年5月25日米国主導による中東和平ロードマップに基づき、新和平案が閣議で承認されました。イスラエルによる「国家容認」は初めてのことで、歴史的に非常に意義のあることです。しかし、同時に領内への難民帰還は認めないことを宣言しています。駆け引か決断か。歴史はまだまだ揺れ動いています。

約束の地

パレスチナの地になぜイスラエルという国ができたのでしょうか。旧約聖書の「創世記」によると、イスラエル人の先祖アブラハムにヤハウェ神が「パレスチナ地方全体をあなたの子孫に与える」と約束したとあり、これをもとに「パレスチナはユダヤ人固有の領土だ」と主張しているのです。 世界各国で暮らしていたユダヤ人ですが、ご存知の通りホロコーストに代表される凄惨な迫害を受け続けました。世界各地に記念館がありますが、本当に目を覆いたくなります。恐ろしい運命にユダヤ人も立たされてきたのだと、胸が痛くなります。 19世紀末からユダヤ人の間で、「シオニズム運動(ユダヤ人の故郷パレスチナに帰ろうという運動)」が起こりました。しかし、そこにはイギリスが統治するパレスチナがありました。当然ユダヤ人とパレスチナ人との間で争いが度重なります。時は第一次世界大戦、イギリスは、(1)メッカの太守フセインに対してイギリスに協力するならアラブを全部アラブ王国として独立させる約束をし(2)ユダヤ人に対してイスラエルという国を作ってやる約束をし(3)フランスに対してはイギリス・フランスでシリア・ヨルダンを分けようと約束するという矛盾する内容の3枚舌外交で、問題を一層混乱させることになってしまいました。 1947年国連によるパレスチナ分割決議案が採択され、1948年イスラエルは独立を宣言しました。この後4回の中東戦争が起き、パレスチナが難民発生しました。パレスチナ難民キャンプで行われた拷問や大虐殺、度重なる自治区強制入植に対して、「インティファーダ」(住民蜂起)が始まりました。住民の手で自分たちの地を取り戻そうとする運動です。1995年には、和平運動を進めていたラビン・イスラエル首相が暗殺された後は政治的にも不安定な時期が続き、2001年にシャロンがイスラエル新首相に就任、第2次インティファーダへと繋がるのです。

戦いの傷跡と子どもたちの様子

シリアで生活するパレスチナの子供たちですが、普段はUNRWAの学校で高い水準の教育を受けています。学校は朝昼2部入れ替え制でどのキャンプも生徒で飽和状態ですが、どの子も学校を楽しみにやってきます。 しかし、第2次インティファーダの頃は、デモ行進などにに子供たちも参加することが度々ありました。街中での子供たちの抗議行動を見ると「まだ意味が理解できないだろうに・・・」と思ってしまいます。政府主導のため暴動には発展しませんが、市民によるデモ行動に参加している大人たちの顔は悲壮で、怒りをあらわに行進します。 学校では、自爆テロの問題について子供たちに尋ねると、多くの子供が「できるものならやりたい」と答えます。私としては、子供たちに「人の命を奪うことがあっていいのか?ダメだろう?」と言いたいのと同時に、彼らの暮らしの背景を考えるとジレンマを感じずにはおれませんでした。子供たちは生まれてから間接的とはいえ、戦いの中で育ってきました。戦車で無差別に攻撃してくるイスラエル軍に立ち向かうのは、自爆テロ以外に何があるのか・・・。言葉に詰まります。本当の正義はどこにあるのか、教師として、人間として何をどう教えてあげればよいのかと考えても、答えが出せませんでした。 ユニセフの報告によれば、パレスチナの60万人の子供が心の平静を失い、恐怖と心的ストレスにさらされているといわれています。200の学校が破壊もしくは損傷し、300の学校が武力衝突の現場の近くにあり、3,000人の子供たちが行くところを失ってしまいました。子供たちは戦車や検問の前をとおらなければ学校に行けないのです。 世界は和平に向けて少しずつ動き出したかのように見えます。人々は平和な暮らしを夢見て日々の生活を営み続けています。イスラエル、パレスチナ双方ともに、平和を願い活動する人々がたくさんおられます。日本にもそれを支援する方々が多くおられます。 私は音楽教師としてパレスチナの子供たちと2年間を過ごしましたが、「この子供たちが、死と隣り合わせの道を歩んでほしくない」と切に思いました。私にできることは、音楽を通じて子供たちに少しでも元気を与えること、そしてこのような場を通じて、パレスチナの今を皆さんに「知って」もらうことです。彼らのことに少しでも興味を持ち、世論という形で支援ができたら・・・。きっとパレスチナの人々はそういう形で平和が訪れることを願っていると思います。そのためにも、これからも真剣に生きるパレスチナの人々のことを見守りつづけたいと思います。
Q 「シリアに行くことになったきっかけは何ですか。」
A 「協力隊の赴任地は自分で選べたわけではありませんが、パレスチナという言葉に興味を持ちました。協力隊には高校生の頃から参加したいと思い続けていました。」
Q 「アラビア語はどこで覚えたのですか。」
A 「出発前に3ヵ月間訓練を受けます。あとはサバイバル。現地の子供たちが先生でした。最初の1年間は苦しかったですが、2年目は意思疎通もスムーズになり、活動できるようになりました。」
Q 「シリアにあるパレスチナ難民キャンプは平和を保っていますか。」
A 「UNRWA やシリア政府がしっかりと教育や生活環境をサポートしています。そのおかげで今は平和な暮らしをしています。しかし、不利益を被るのはキャンプの人たちです。」
Q 「どんな音楽を授業に使いましたか。」
A 「初めは音楽という概念から入りました。アラブの音楽はもちろんのこと、西洋の音楽や日本の音楽も使いました。アラブの楽器がオリジナルとなって、世界は音楽でつながっているのだということを話しました。子供たちは学校が大好きです。大変でしたが、私も楽しく授業ができました」

セミナー「わたしたちの難民問題」 (2000年1月20日)

セミナー「わたしたちの難民問題」 (2000年1月20日)

「第二世代の定住ベトナム人」 オン・ホアン・ティ・ミンツさん

 私は今から12年前(1988年)、8歳の時に来日しました。それは、私が生まれる前から難民として日本に来ていた父が、姉と母と私を呼び寄せてくれたからです。小学校に入学したのですが、やはり言葉の壁は厚く、コミュニケーションも十分にとることはできませんでした。「あいつは違う」と思われていることが嫌で、周りの目を気にし、自分の名前を呼ばれることもはずかしいと思っていました。

 私が変わったのは高校に入ってからです。
 私はそれまで、同級生に自分が日本に来た理由について、本当のことを話すことができず、「父の仕事の都合で」としか話していませんでした。高校3年生のある日、ベトナムの高校と姉妹提携をしている高校を新聞に取り上げたいということで、インタビューを受けた私は、自分が難民として日本に来たこと、日本での生活で感じたことなどを率直に話をしました。記事が出てからの周りの反応がとても心配でしたが、その記事を見て初めて私のことを「難民」だったと知った友人たちは、口々に「たいへんやったんやなぁ」と声をかけてくれました。しかし誰もそれ以上のことは言いませんでした。この時が、「自分は難民だった」ということを公にした最初でした。小さい頃から、周りと違う自分のことがつらかった私ですが、この時から強くなれたような気がします。

 名前さえ言わなければ、誰も私のことをベトナム人だとは思わないでしょう。でも、私はベトナム人です。ベトナム人としての誇りをもって生きていきたいと考えています。今の日本の社会は、日本人が一番住みやすい環境になっています。外国人だからという理由だけで、職業に就けないことさえもあります。帰化してしまえば、それでいいのかも知れません。でも、私は自分の名前を捨ててまで、この日本で生きていこうとは思いません。 私はこれからもベトナム人としての誇りを忘れずに、国際化社会を前向きに生きていこうと思っています。


中津美和さん

 家の中でも、子ども達は第二世代ということで、様々な葛藤に苦しんでいます。母語をきちんと維持できていない子ども達が増えてきていますが、その場合、難を逃れて日本へやってきた非常に教育熱心なベトナムの親達は、仕事でのストレスや疲れ、日本人社会とのコミュニケーションの不都合等のしんどさもあって、ベトナム語で話しかけても返事をしない子ども達に対して、「ベトナム語が話せないベトナム人は恥ずかしい」というような発言を子ども達に直接向けてしまうことになります。「ベトナム人らしくない」と言われたり、あるいは、「日本人でもない」と身近な人間関係の中で言われたりすると、自分のことが自分で十分に説明できない「私はどちらでもない」という不全感に満ちた状況ができてしまうのです。

 私自身が(財)とよなか国際交流協会で日本人の子どもを対象にしたワークショップの開催を通 じて、日本の子どもに多文化の楽しさを教える以前に、自分らしさ・自分のことを肯定するという経験があるのだろうかと感じることがあります。たとえば、みなさんの家庭料理の味付けは様々に違っていて当然ですし、その違いがそれぞれの家庭らしさ・家族文化であると言えると思います。ところが、日本の子ども達は「自分の家ではこうです」ということを人前で語ることを好まず、「まわりのみんなと同じ」と「まわり」を知らず言う傾向があります。このように、日本の子ども達が自分の家の文化に一つの価値観を見いだして堂々とみんなに語るということがなく、ましてや日本人自身の持つそれぞれの違いすなわち多文化性というものに気づかないという状況の中で、ベトナムの子ども達に「頑張れ、頑張れ、ベトナム語を勉強しろ」というのは非常に酷なことのように思えます。日本社会に住む私達の問題として、私達が日本人の子ども達・後輩をどう育てていくのかということに一緒懸命取り組むことによって、結果 的には、ベトナムの子ども達も元気になっていくのではないかと考えています。

British Council Tokyo Centre Free English Course

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British Council Tokyo Centre Free English Course

The British Council is the United Kingdom's international organization for educational opportunities and cultural relations. The Tokyo Centre of the British Council kindly offers English course for free through the Refugee Assistance Headquarters (RHQ). For further information, please contact the following phone number. Only two persons are allowed to take free courses per term and a selection is going to be curried out in case there are more than two applicants.
Eligibility Indochinese Refugees, Convention Refugees, Persons in a process of refugee application (asylum seekers). (Please note that a person with a residential status is going to be given a priority.)
Number of persons accepted Two persons per term (10 weeks) (Please note that there is a limit of duration of free courses.)
Course Courses offered are the one with vacancy and appropriate to your English ability judged by the British Council’s placement test.The course is going to be offered two weeks after its start.
Tuition Tuition is free.Any fees (e.g. transportation, learning materials) other than tuition are paid by a student.
Inquiries to Counseling services at the Head Office of the Refugee Assistance Headquarters 0120-090091 (9:30-17:00 on Weekdays)

RHQ supports refugee students

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RHQ supports refugee students

  Eligible recipients/amount Inquiries
Refugee Assistance Headquarters
(RHQ)
Education and Training Financial Assistance(Grant)

Indo-Chinese refugees, convention refugees
Students from elementary school through university (University and senior high school students must be working students.)
Lump sun(¥20,000-¥100,000)

RHQ Office
Tel.:03-3449-7011
Kansai Branch Office
Tel.:078-361-1700

 

Settlement Support Program Application for Year 2018 Courses

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Settlement Support Program Application for Year 2018 Courses

Refugee Assistance Headquarters (RHQ) is now accepting applications for the Settlement Support Program including Japanese Language Education for Convention Refugees starting in April 2018.

Courses: You can choose a course from below. (Each person can only attend once.)
①Daytime Course (6 months) April 2018~ September 2018 (Mon.-Fri., 9:30~15:50)
②Evening Courses (1 year) April 2018~ March 2019 (Mon.-Fri., 18:30~20:55)

Please find details of the briefing session and application procedure.
ENGLISH(PDF)
JAPANESE(PDF)
BURMESE(PDF)

Applications for the 2009 Day & Evening Courses at RHQ Support Center being now accepted

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Applications for the 2009 Day & Evening Courses at RHQ Support Center being now accepted

The RHQ is now accepting applications for the Settlement Support Programs for Convention refugees and their family members starting in April 2009.
Program: Japanese Language Education course (572 units), Guidance for Japanese life (120 units), and Job Referral Service
Venue: RHQ Support Center (Tokyo)
Participants: Individuals who are recognized as refugees by the Minister of Justice and their family members* (*Family members: Foreign nationals residing in Japan who have been granted the status of residence as family members of Convention refugees, such as husbands, wives, parents and unmarried children)
Course (1)Six-month Daytime Course April 6, Monday, 2009 – September 30, Wednesday, 2009 Monday - Friday, 9:30 – 15:40 (2) One-Year Evening Course April 6, Monday, 2009 – March 30, Tuesday, 2010 Monday - Friday, 18:30 – 20:55
Application Deadline: February 6, Friday, 2009
For more information, please see http://www.rhq.gr.jp/english/main/pdf/japan_settlement_sup_en.pdf
For applications or inquiries, please contact the RHQ Operation Division. TEL: 03-3449-7013 (Ms. Shin) E-mail: gyoumuka@rhq.gr.jp

Briefing Sessions of RHQ Settlement Support Program in FY 2008

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== For refugees who wish to learn Japanese, understand Japanese customs, or find jobs ==

Briefing Sessions of
RHQ Settlement Support Program in FY 2008

 Refugee Assistance Headquarters (RHQ) is now recruiting participants in the program held at the RHQ Support Center in Tokyo to support settlement of refugees who are recognized in Japan and their family members. Those who are interested in our Settlement Support Program, or who want to experience the Japanese language trial lesson are welcome to attend the briefing sessions on the following schedule. For those who wish to attend, please inform your (1) name, (2) language, and (3) phone number to the following offices.

(1) NAGOYA site
Date : January 13, 2008 (Sunday) 14:00 ~ 16:30
Venue: Nagoya YWCA, 1st Floor, Room #105
(2-3 Shin-Sakaemachi, Naka-ku, Nagoya City, Aichi Prefecture)
Access: 5 minutes from the Subway "Sakae" Station, East exit #5
Map: http://www.nagoya-ywca.or.jp/ywcamap.htm
Inquiries
and
Application :
RHQ Kansai Branch
TEL 078-361-1700(Mon~Fri 9:30~17:30)
FAX 078-361-1323 E-mail kobe-soudan@rhq.g
r

 

(2) TOKYO site → Click here for the flier!
Date : January 20, 2008 (Sunday) 13:30 ~ 16:30
Venue: Shinjuku Shohi Seikatsu Center, 4th Floor, Meeting Room #1
(4-10-2 Takadanobaba Shinjuku-Ku TOKYO)
Access: 5 minutes walk from the Takadanobaba Station
(JR Yamanote Line / Seibu Shinjuku Line / Tokyo Metro Tozai Line)
Map: http://www.city.shinjuku.tokyo.jp/division/261100shoko/Syokou-HP/Shohisenta/shohi/map_shouhicente.pdf
Inquiries
and
Application:
RHQ
TEL 03-3449-7013(Mon~Fri 9:30~17:30)
FAX 03-3449-7016 E-mail gyoumuka@rhq.gr.jp

● What is the Settlement Support Program?
RHQ is entrusted by the Government of Japan to offer the Settlement Support Program to the individuals who are recognized as refugees by the Ministry of Justice and their family members at the RHQ Support Center in Tokyo. The program consists of three components; (1) Japanese language education course, (2) guidance on life in Japan, and (3) vocational counseling service. The program is free of charge. Transportation expenses, living expenses and medical expenses are provided throughout the program. Free accommodations near the RHQ Support Center will be available for those who live far away from the Center.

Click here for the details of the program.
【 Japanese 】
【 English 】
【Burmese】 

RHQ supports refugee students

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RHQ supports refugee students

  Eligible recipients/amount Inquiries
Refugee Assistance Headquarters
(RHQ)
Education and Training Financial Assistance(Grant)

Indo-Chinese refugees, convention refugees
Students from elementary school through university (University and senior high school students must be working students.)
Lump sun(¥20,000-¥100,000)

RHQ Office
Tel.:03-3449-7011
Kansai Branch Office
Tel.:078-361-1700

 

Settlement Support Program Application for Year 2019 Courses

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Settlement Support Program Application for Year 2019 Courses

Refugee Assistance Headquarters (RHQ) is now accepting applications for the Settlement Support Program including Japanese Language Education for Convention Refugees starting in April 2019.

Courses: You can choose a course from below. (Each person can only attend once.)
①Daytime Course (6 months) April 2019~ September 2019 (Mon.-Fri., 9:30~15:50)
②Evening Courses (1 year) April 2019~ March 2020(Mon.-Fri., 18:30~20:55)

Please find details of the briefing session and application procedure.
ENGLISH(PDF)
JAPANESE(PDF)
BURMESE(PDF)

Mr. Antnio Guterres, United Nations High Commissioner for Refugees currently visited Japan paid a courtesy call on Mr. Seisuke Okuno, the President of the Foundation for the Welfare and Education of the Asian People

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Mr. Antnio Guterres, United Nations High Commissioner for Refugees currently visited Japan paid a courtesy call on Mr. Seisuke Okuno, the President of the Foundation for the Welfare and Education of the Asian People

Mr. Okuno, the President of FWEAP receives the plaque from Mr. Guterres, United Nations High Commissioner for Refugees at Mr. Okuno's office
 
From the right, Mr. Fukukawa, Director General of RHQ, High Commissioner Mr. Guterres, Ms Karsenty, Senior Legal Officer of UNHCR Representation in Japan

Mr. Antnio Guterres, United Nations High Commissioner for Refugees, accompanied by his suite including Mr. Robert Robinson, Representative and Mr. Hajime Kishimori, Deputy Representative in Japan visited the Foundation for the Welfare and Education of the Asian People (FWEAP) on the 25th of October, 2005 where High Commissioner met with Mr. Seisuke Okuno, the President of FWEAP. High Commissioner presented Mr. Okuno a bronze made plaque that he carried from Geneva recognizing the FWEAP's twenty six years of support for Indo-Chinese refugees resettled in Japan.

At the courtesy call, Mr. Okuno and Mr. Guterres exchanged their views on the matters of mutual interest including the issue relating to 11,000 refugees resettled in Japan, UNHCR's Resettlement Program, the quota refugee system that have been enforced in major leading countries. Following the call on Mr. Okuno, guided by Mr. Masahiro Fukukawa, the Director General of Refugee Assistance Headquarters (RHQ), High Commissioner briefly visited the head office of RHQ, where he encouraged the staffs working for refugees and asylum seekers.

The Revised Refugee Recognition System

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The Revised Refugee Recognition System

The Immigration-Control and Refugee-Recognition Act was revised in the national Diet in 2004, and with the goal to provide appropriate and expedited protection to refugees through more equitable procedures, the following points in the system of refugee recognition were reviewed and the revised provisions took effect on May 16, 2005.

1. Establishment of a system for granting permission for provisional stay
This is a system for illegal foreign residents who have filed applications for recognition of refugee status. Individuals meeting several requirements will be granted permission for provisional stay by the Immigration Bureau. The period of the provisional stay is three months, and those who wish for an extension of the provisional stay must apply at the Immigration Bureau. Deportation procedures are suspended during this time, and refugee recognition procedures are carried out. Since this system is available to illegal foreign residents, such individuals cannot work even if they are granted permission for provisional stay.

2. Stabilization of the legal status of illegal foreign residents who have been recognized as refugees
With regard to illegal foreign residents who have filed an application for recognition of refugee status, a judgment will be made simultaneously on whether they will be recognized as refugees and on whether they will be granted permission to stay in Japan. If illegal foreign residents recognized as refugees satisfy certain requirements, they will uniformly be granted permission for provisional stay, and even if they do not satisfy the requirements, they may be granted special permission for stay at the discretion of the Minister of Justice.

3. Review of the appeal system
For the purpose of increasing equity and neutrality in the procedures for refugee recognition, a system of refugee examination counselors was established, in which the counselors participate in the procedures for the examination of appeals as a third party. When an applicant for refugee recognition is denied refugee status, and files an objection to the decision, the Minister of Justice will make a decision on objections concerning the denial of recognition of refugee status after hearing the opinions of the refugee examination counselors. Refugee examination counselors will be able to take an active role in the procedures for examination of appeals by observing the procedures in which the petitioner or intervener presents his or her opinions, hearing their opinions directly and asking them questions. A pamphlet on the new system of refugee recognition is available in various languages through the Immigration Bureau’s website.

Japanese
English (PDF 241KB)
Turkish (PDF 334KB)
Burmese (PDF 101KB)
Korean (PDF 552KB)
Chinese (PDF 238KB)
French (PDF 253KB)
Spanish (PDF 259KB)
Arabic (PDF 171KB)
Persian (PDF 173KB)
Russian (PDF 241KB)
Urdu (PDF 307KB)
Dari(PDF 154KB)
Pashuton (PDF 204KB)

Applications for the Second Term Day-Course program at the RHQ Support Center are now being accepted

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Applications for the Second Term Day-Course program at the RHQ Support Center are now being accepted

The Refugee Assistance Headquarters is now accepting applications for the Settlement Support Programs for Convention refugees and their family members starting at the end of September 2008.
Program: Japanese Language Education course (572 units), Guidance for living in Japan (120 units), and Vocational Counseling Service
Venue: RHQ Support Center (Tokyo)
Participants: Individuals who are recognized as refugees by the Minister of Justice and their family members* (*Family members: Foreign nationals residing in Japan who have been granted the status of residence as family members of Convention refugees, such as husbands, wives, parents and unmarried children)
Term: September 30, Tuesday, 2008 – March 30, Monday, 2009 Monday through Friday, 9:30 – 15:40
Application Deadline: July 30, Wednesday, 2008
For more information, please see http://www.rhq.gr.jp/english/main/pdf/japan_settlement_sup_en.pdf
For applications or inquiries, please contact the RHQ Operation Division. TEL: 03-3449-7013 (Ms. Shin) E-mail: gyoumuka@rhq.gr.jp

A briefing session regarding the refugee resettlement assistance program to be launched in April 2006(Burmese ・ Japanese)

Information

A briefing session
regarding the refugee resettlement assistance program
to be launched in April 2006(BurmeseJapanese

 In order to implement the resettlement assistance program for those who are granted refugee status in Japan, the Refugee Assistance Headquarters (RHQ) is going to establish an educational facility at Takadanobaba, Shinjuku-ku, Tokyo in April 2006. At the facility the RHQ is going to provide Japanese language lessons and other services.
 In this connection, the RHQ would like to invite you to a briefing session on the facility and resettlement assistance program. The trial lessons of Japanese language are going to be offered at this session. (English and Burmese interpreters are available. Please contact us in advance, if you need interpreters of other languages.)
 The application for the course in the facility will be accepted at the session.
 Please refer to the contact numbers on the bottom of the paper for the further information about the application of the program.

Date and time: February 26, (Sun.) 20061:00 p.m. – 4:30 p.m.
Venue: Shinjuku Shohi Seikatsu Center 4th Floor
Conference Room 1 & 2,
4-10-2 Takadanobaba, Shinjuku-ku, Tokyo
Five minutes walk from Takadanobaba Station, JR/Seibu Shinjuku-line/Tokyo Metro
Hosted by: The Refugee Assistance Headquarters (RHQ)

 

<Program>

1. Opening address
2. Briefing on the resettlement assistance program
3. Briefing on vocational counseling service
4. Trial lessons of Japanese language
(1)Introductory
(2)Intermediate course
5. Briefing on the guidance for daily life in Japan
6. Application for the resettlement assistance program
7. Closing address

If you wish to learn about the further information of the resettlement assistance program and the briefing session, you are welcomed to contact us.

Inquires to: The Refugee Assistance Headquarters (RHQ)
5-1-27 Minami-azabu, 2nd floor FWEAP, Bldg., Minato-ku, Tokyo
Phone: 03-3449-7011 (main line) / 0120-090-091 (toll free)
080-5538-0297 (available only on Feb. 26, Sun.)

日本語ボランティア団体の活動を支援しています

日本語ボランティア団体の活動を支援しています

 

 難民事業本部では、難民定住者等(インドシナ難民および条約難民ならびにそれらの家族)に対し日本語教育を行っているボランティア団体の活動を支援しています。
平成20年度は下記のとおり援助の申請を受け付けています。

目的
 難民定住者等に対して日本語の学習指導を行っているボランティア団体の活動を支援することにより、難民定住者等の日本語学習の機会拡充の促進と学習環境の整備を図る。

対象
 難民定住者等に対し日本語指導を活動の目的としている団体で、難民事業本部の設けた基準を満たす団体。かつ、その活動は非営利であること。

内容

「条約難民とその家族のための定住支援プログラム」のお知らせ

「条約難民とその家族のための定住支援プログラム」のお知らせ

 難民事業本部は、日本に定住するインドシナ難民と条約難民等(難民定住者)の定住促進のため、難民支援に関するさまざまな事業を行っています。
このページでは、定住支援プログラムとして行っている、日本語教育と生活ガイダンス、必要に応じた就職あっせんについて紹介しています。


  日本語版  PDF(337KB)

  英語版  PDF(345KB)

  ミャンマー語版  PDF(352KB)

日本定住難民雇用促進ポスター及びリーフレットを作製しました

日本定住難民雇用促進ポスター及びリーフレットを作製しました

 難民事業本部では、日本に定住する難民の方々の雇用促進のための各種事業を実施し、皆様のご理解とご協力をお願いしています。その事業の一環として、雇用促進ポスター及びリーフレットを作製し、各都道府県労働局、公共職業安定所及び関係機関に配付しました。


(その他の主な雇用促進事業)

  • 10月21日(日)に、東京都品川区立総合区民会館において、難民を雇用していただいている事業所4社、職業人として実績をあげ職場の同僚などから敬愛されている模範的な難民11名を表彰しました。
  • 難民雇用事業所並びに職業安定、福祉、住宅の各関係行政機関を招いて懇談会を開催し、情報交換等を行います。
  • 難民雇用事業所を訪問し、難民の方々の就労に関する問題点の把握、職場定着のための指導、求人予定の調査等を行います。

世界難民の日イベントに参加します

世界難民の日イベントに参加します

 

 6月20日(水)は、国連が定めた「世界難民の日」です。UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)駐日事務所を中心に、難民事業本部も加盟している日本UNHCR-NGOs評議会(J-FUN)などでは、様々なイベントを企画しています。
 6月20日(水)14時からは、難民事業本部姫路定住促進センター出身のベトナム難民定住者で、プロのラッパーであるクリームクンベルさんのラップパフォーマンスもあります。

 ●6月15日(金)〜7月13日(金)
  コロンビアの国内避難民、ネパールのブータン難民の写真展
  (於:国連大学ビル2階、UNギャラリー)

 ●6月15日(金)〜6月29日(金)
  NGOによる活動パネルの展示
  (於:国連大学ビル1階、UNギャラリー)

 ●6月20日(水)
  2007年「世界難民の日」シンポジウム
  「人道支援と企業のCSRの『共生』を目指して」 (事前申込み必要)
  http://www.unhcr.or.jp/event/2007/20070620_WRDsymposium.html
  バルーンプロジェクト/模擬難民キャンプ体験
  http://www.unhcr.or.jp/event/2007/20070620_balloon.html

 ●6月24日(日)
  「世界難民の日」フットサル大会
  http://www.unhcr.or.jp/event/2007/20070624_futsal.html
  「世界難民の日」チャリティーサッカー
   http://www.unhcr.or.jp/event/2007/20070624_charitysoccer.html

 ●7月18日(水)〜7月26日(木)
  第2回「難民映画祭」
  http://www.unhcr.or.jp/event/2007/2007RFF.html

 

国際救援センター閉所後の相談業務のお知らせ

国際救援センター閉所後の相談業務のお知らせ

 国際救援センターは、1983(昭和58)年4月に開設して以来23年間にわたり、インドシナ難民をはじめ日本に定住を希望する難民の方々の支援を実施してまいりました。しかし、日本政府の決定により、インドシナ難民の受け入れが終了することに伴い、2006年3月末をもちまして施設を閉所することとなりました。

 インドシナ難民の新たな受け入れはなくなりますが、他方これまでに入国、定住した難民の方々に対する相談業務等につきましては、広尾の本部事務所および神戸の関西支部において引き続き行っていきます。相談窓口や連絡先は次のとおりになります。
 難民の方々の日本定住につきまして、今後ともより一層のご理解とご支援をお願いいたします。

(現在の相談窓口)
難民事業本部の相談員が、情報提供やアドバイスなどにより、問題解決と自立した生活に向けてのお手伝いをしています。
インドシナ難民と条約難民、その家族の方
難民認定申請者の方
支援者の方

ブリティッシュ・カウンシル東京センター無料英語コースのお知らせ

ブリティッシュ・カウンシル東京センター無料英語コースのお知らせ

 英国の公的な国際文化交流機関であるブリティッシュ・カウンシル(British Council)では、難民事業本部を通じて東京センターで開講されている英語コースを無料で受講させてくださいます。申請の詳細については、下記にお問い合わせください。定員を超える場合は選考を行いますのでご了承ください。

対象者 インドシナ難民、条約難民、第三国定住難民、難民認定申請者等
(在留資格がある人を優先します)
人 数 1学期(10週間)あたり2名
(1年間は4学期制ですが、受講期間の制限があります)
コース 開講後2週間を過ぎても空席があるクラスのうち、本人が事前に受けたレベル・テストの結果、ブリティッシュ・カウンシルが適切と判断する学期制のコース
または、myClassコース(20レッスン/3ヶ月)
費 用 授業料は無料。その他の経費(交通費や教材費など)は自己負担
詳細問い合わせ先 難民事業本部
援護課相談窓口 Tel:0120-090091

改正された難民認定制度について

改正された難民認定制度について

 2004年の国会で出入国管理及び難民認定法が改正になり、難民認定制度については、より公正な手続きによって難民の適切かつ迅速な庇護を図る観点から、以下の点が見直され、2005年5月16日に施行されました。

(1)「仮滞在」許可制度の創設
 不法滞在者である難民認定申請中の方のための制度で、いくつかの条件を満たす方には、入国管理局から「仮滞在」の許可が出されます。期限は3ヵ月で、期限更新を希望する方は入国管理局に申請します。退去強制手続が停止され、難民認定手続きが先行して行われます。
 不法滞在の状態の方が対象ですから、許可が出ても働くことはできません。

(2)難民として認定された者等の法的地位の安定化
 難民認定申請した不法滞在者については、難民として認定するかの判断と在留を許可するかの判断が同時に行われます。難民として認定された不法滞在者が要件を満たす場合は一律に在留が認められ、また満たさない場合であっても法務大臣の裁量により在留が特別に許可されることがあります。

(3)不服申立制度の見直し
 難民認定手続の公正性・中立性を高めるため、第三者を異議申立の審査手続に関与させる難民審査参与員制度が創設されました。難民認定申請者の方が不認定の処分に対し異議申立てをした場合、難民審査参与員の意見を聴いたうえで法務大臣が異議申立てに対する決定をします。難民審査参与員は陳述に立ち会い、直接意見を聴いたり、質問をするなど手続に積極的に関与することができます。

新しい難民認定制度については、各国版のパンフレットが入国管理局のホームページから入手できます。

日本語
英語(PDF241KB)
トルコ語(PDF334KB)
ミャンマー語(PDF101KB)
韓国語(PDF552KB)
中国語(PDF238KB)
フランス語(PDF253KB)
スペイン語(PDF259KB)
アラビア語(PDF171KB)
ペルシャ語(PDF173KB)
ロシア語(PDF241KB)
ウルドル語(PDF307KB)
ダリ語(PDF154KB)
パシュトゥーン語(PDF204KB)

平成19年における難民認定者数等について」も入国管理局のホームページに詳しく出ています。

神戸国際交流フェア2015に出展します

神戸国際交流フェア2015に出展します

 関西支部は、2015年3月15日(日)に神戸ハーバーランド・スペースシアターにて開催される「神戸国際交流フェア2015」にブース出展します。

 このイベントは、阪神・淡路大震災からの復興を祈念して1997年より毎年3月に開催されているもので、今回で19回目を迎えます。2015年のテーマは「笑顔の輪を広げよう!神戸から」。参加団体の活動紹介展示・販売ブースのほか、ステージパフォーマンス、世界の料理、体験コーナーやお楽しみ抽選会など、異なる文化や伝統に触れることができるプログラムが盛りだくさんです。

 難民事業本部のブースでは、難民事業本部が実施している難民定住支援事業、世界の難民発生状況や日本の難民受け入れの紹介、難民クイズの出題を行う予定です。

 ご家族やお友達をお誘いあわせのうえ、ぜひご参加ください。

 詳しくは、こちらをご覧ください。

平成26年度雇用促進協議会(西日本地区)を開催しました

平成26年度雇用促進協議会(西日本地区)を開催しました

 2014年11月21日(金)、大阪府八尾市において雇用促進協議会を開催し、難民定住者を雇用する事業所をはじめ、八尾市役所、職業安定機関、事業主団体及び支援団体から13名の出席がありました。

 職業安定機関からは、近畿地域の景気は、緩やかな回復傾向にあるものの、失業率は全国に比べて高い水準で推移しており、雇用情勢については厳しい状況が継続しているとの報告がありました。また、建設業や介護・保育、飲食サービス業など、人手を必要とする業種は広がっているとのことでしたが、外国人労働者を受け入れる事業所が少ないなどの実情があり、難民定住者を取り巻く状況は依然厳しいものと考えられるとの報告がありました。

 行政機関からは、八尾市在住のベトナム人定住者に対する就労支援について、就職に必要とされる日本語能力が不足しているケースが多いことが問題として挙げられ、コミュニティ内で協力、助け合いが進んでいるという良い面がある一方、日本語を習得しなくても生活ができてしまうという悪い面もあるのではないかという意見が聞かれました。

 支援団体からは、日本語能力を伸ばしたくても子どもの養育や自身の就労等の事情により、教室への参加など学習の機会を得るのが難しい状況にあることや、Facebook や Lineを使った多様化する求職方法に適応できず取り残されてしまう例や、知人を頼り就職したものの法定最低賃金すら支給されていない事案など、定住者が直面している問題について報告がありました。

 就労は自立定住の要です。就労支援には、受け入れ事業所の開拓をはじめ、日本語教育等の就労に要する資質向上のための研修など、側面的な支援を合わせて包括的に支援をすることが必要とされています。この会議で得られた貴重な意見を今後の支援事業に生かしていく所存です。


通訳者の募集について

通訳者の募集について

現在、難民事業本部では、難民、難民認定申請者の相談等の通訳者を募集しています。

難民事業本部には、日々、生活相談や保護措置の申請等に訪れる外国人がおり、その国籍や言語は多様化しています。このうち、当事業本部が対応できない少数言語については、必要に応じて外部の通訳者に依頼し対応することとしていますが、言語によっては通訳者を確保しにくい状況にあります。

そこで、英語以外の言語で一定の水準の通訳能力(日本語を含む)があり、難民等の支援業務の通訳をしてくれる方を、常時募集することといたしました。

ご関心がある方は下記の連絡先までご連絡をお待ちしています。なお、通訳業務に対しては、当団体規定により謝金(通訳料)をお支払いします。

(連絡先)
難民事業本部 03-3449-7011(代表)

ワン・ワールド・フェスティバルに出展します

ワン・ワールド・フェスティバルに出展します

 関西支部は、2015年2月7日(土)と8日(日)の2日間、ワン・ワールド・フェスティバルにブース出展します。ワン・ワールド・フェスティバルは1993年から毎年開催されている西日本最大の国際協力・交流のイベントで、今回で22回目の開催となります。今年は会場がJR天満駅周辺(関テレ扇町スクエア・北区民センター・扇町公園)に変更になり、国際協力・交流についてもっと身近に感じ、もっと深く理解するよいきっかけとなるような、さまざまなプログラムも予定されています。ご家族やお友達をお誘いあわせのうえ、ぜひご参加ください。

 詳しくは、こちらをご覧ください。

「わたしたちの難民問題2014/Vol.15」を開催します

「わたしたちの難民問題2014/Vol.15」を開催します

 難民事業本部では神戸YMCAと共催し、難民問題を広くみなさんに知っていただくため、下記のとおり「わたしたちの難民問題2014/Vol.15」を開催いたします。

 紛争や迫害から逃れ、不自由な生活を強いられている難民や国内避難民が世界各地に5,000万人以上いると推定されています。日本にも、さまざまな国から難民が庇護を求めて来ています。難民本人、支援者の話を聞いて、わたしたちに出来ることは何か、一緒に考えてみませんか。


11月12日(水) 「支え合う外国人の子どもたち」チュープ・サラーンさん(すたんどばいみー)

外国籍の青少年を中心に母国語教室や学習支援などを行う当事者団体「すたんどばいみー」。親子関係やアイデンティティー、名前など、彼らの抱える悩みや課題について、カンボジア難民として来日したサラーンさんより聞きます。

11月26日(水) 「ミャンマーから日本に来て」ラムマンさん(難民事業本部,UNHCR難民高等教育プログラム卒業生)

ミャンマーで生まれ育ったラムマンさんがなぜ祖国を離れなければならなかったのか。日本で難民として認められるまでの奮闘、日本での生活のためにどのように日本語を学び、大学へ進学したのか、ご自身の経験から聞きます。

12月3日(水) 「シリア難民の支援活動」黒木明日丘さん(JEN)

ついに300万人を超えた世界最大規模のシリア難民。2012年9月よりヨルダンの難民キャンプで支援活動を続けるJENの黒木さんより、キャンプ内での水・衛生環境緊急改善支援や衣料配布、受け入れ地域に対する支援について聞きます。

12月10日(水) 「パレスチナの日常生活」高橋美香さん(写真家)

大規模な軍事進攻が止まっても、土地の収奪や分離壁の建設などにより、日々の暮らしで苦難を強いられるパレスチナの人々。2000年よりその一人ひとりと向き合ってきた高橋さんから10〜11月の取材の成果も含めて聞きます。

*講師、内容は予告なく変更する場合があります


時 間:18:30〜20:00
場 所:神戸市青少年会館・研修室(11月26日のみサークル室5)
神戸市中央区雲井通5-1-2
http://www.kobe-youthnet.jp/youthhall/access.html
地下鉄・JR・阪急・阪神 各三宮駅から徒歩5分
定 員:40名 参加無料
要予約:お名前、ご連絡先、参加希望日を下記までお知らせください
難民事業本部関西支部 078-361-1700 kansai@rhq.gr.jp
神戸YMCA国際・奉仕センター 078-241-7204 houshi@kobeymca.org

チラシ(PDF)

第35回日本定住難民とのつどいの開催

第35回日本定住難民とのつどいの開催

 当財団が実施する日本定住難民とのつどいは、文化も生活も異なる日本に定住している難民を激励するとともに、広く日本の人たちの難民定住者に対する理解を深めることを目的として、昭和57年1月、「第1回定住インドシナ難民を励ます会」として始まり、平成元年に名称を「定住インドシナ難民とのつどい―愛と感謝のフェスティバル」に、さらに平成16年から「日本定住難民とのつどい」と改め毎年秋に開催しており、平成26年には35回を迎えます。
 式典では、わが国に定住した難民の人たちが希望をもって安定した生活が営めるよう、他の模範となる定住難民に表彰状を贈呈するとともに、定住難民に顕著な支援や協力をされた雇用事業所、支援・協力者等に感謝状を贈呈し、それぞれに副賞を授与します。式典後は、定住難民の母国文化の継承を目的とした民族舞踊や歌、寸劇等を披露する機会を設けるほか、定住難民が多く居住する新宿区等の市民の方々に参加していただき、難民理解、多文化共生社会を目指した催しとしています。
皆様のご来場をお待ちしています。

チラシ(PDF)

「ワークショップ難民2014」を開催しました

「ワークショップ難民2014」を開催しました

2014年6月5日(木)、12日(木)、19日(木)、26日(木)の4日間、難民事業本部関西支部は、難民問題について考える参加型セミナー「ワークショップ難民2014」を(公財)神戸YMCAとの共催で開催しました。難民問題に関心のある学生や社会人など、延べ90名の方に参加いただきました。 第1回「難民問題の基礎知識」では、世界の難民の流出と受け入れの分布、難民条約における難民の定義についての説明のあと、自分が逃げる際には何を持って逃げるか、難民キャンプではどのくらいの食糧配給があるのかなど、難民の基本について学びました。 第2回は「あなた、難民になりますか」をテーマに、家族構成や現在の状況、隣国の状況などそれぞれ異なる条件のもと、どのような状況なら国境を越えて逃げるのか、逃げた場合はどのような行く手が待っているのか、逃げない理由は何かについて、実際に難民になったつもりで考えました。 第3回のテーマは「日本に暮らす難民の人たち」です。日本に暮らすインドシナ難民と、仮想の国に暮らす日本人難民という2種類のロールプレイを行いました。文化や価値観の異なる国での生活を疑似体験し、難民と難民を受け入れる人々が直面する課題とその解決策について話し合いました。 第4回は「難民支援シミュレーション」と題して、NGOの立場で援助計画を作成しました。家を追われ異国で暮らす難民の子どもたちの映像を見て、難民が困っていることは何か、どんな支援が必要かを考え、グループごとに支援計画を作成し発表しました。 各回とも参加者の方々が非常に熱心で、積極的に議論している様子が印象的でした。特に第3回のロールプレイでは、現在の時事問題を踏まえたアドリブも交えながら、当事者になりきった白熱した議論が展開されました。また支援シミュレーションでは、実際の支援現場でも行われているような、現実的で効果的な支援計画も発表されました。 参加者からは、「今まで知らなかった難民について知ることができ、実際に難民の生活をイメージすることができた」、「ワークショップ形式で楽しみながら勉強できた」、「これからもいろいろと知りたいと思った」などの感想が寄せられました。 難民事業本部では、これからも日本や世界の難民問題について、身近に感じてもらえるワークショップやセミナーを企画していきます。

春日部市で第1回第三国定住難民支援ネットワーク会議が開催されました

春日部市で第1回第三国定住難民支援ネットワーク会議が開催されました

 2014年5月27日(火)、春日部市において、第三国定住難民の支援関係者による初めてのネットワーク会議が開催されました。

 会議には、地域の支援関係者として、春日部市関係各課担当者、自治会長、難民雇用事業所の担当者、小学校長、教務主任、保育所長、児童クラブ担当指導員、地域定住支援員及び難民事業本部職員が出席しました。

 会議では各出席者が顔合わせを行うとともに、それぞれの立場から難民家族との関わり等について報告がありました。本年4月に春日部に定住して約2か月が経過し、大人も子どもも日常生活や職場、学校にも徐々に慣れてきている様子が確認されました。

 大人については、熱心に職場での訓練に取組み、コミュニケーション能力も上がってきていて、同僚とも打ち解けているとの報告がありました。
 子どもについては、小学校、保育所で先生や友達の支援を受けながら、楽しく学校生活を送っており、勉強や遊びにも楽しく取り組んでいるとの報告がありました。
 また難民家族に対しての継続的な日本語学習の機会を提供するため、今後、春日部市や国際交流協会などの協力を得て、日本語学習教室を開催していくなどの計画が報告されました。

 難民事業本部は、引き続き定住地域の関係者の協力を得ながら、難民の自立定住を促進していく所存です。


鈴鹿市で第5回第三国定住難民支援ネットワーク会議が開催されました

鈴鹿市で第5回第三国定住難民支援ネットワーク会議が開催されました

 2014年5月8日(木)、鈴鹿市において、第三国定住難民1家族の支援関係者による第5回目となるネットワーク会議が開催されました。

 会議には、地域の支援関係者として、鈴鹿市担当者、同市教育委員会担当者、小・中学校の両校長、担当教諭、雇用主、地域定住支援員及び難民事業本部職員が出席しました。
 中学校長及び担任教諭からは、2年に在籍する生徒1名は、クラスで積極的に発言したり清掃等もまじめに取り組み、母親と一緒に作った弁当持参で登校しているなど、充実した学校生活を送っている様子の報告があり、小学校長及び担任教諭からは、児童3人がそれぞれの学年で、学習力を伸ばし元気に勉強に取り組んでいることやクラスに溶け込んで生活している様子が報告されました。
 また、雇用主からは、雇用されている夫婦は親しい同僚もでき安定した勤務状態であるとの報告があり、順調に職場定着している様子が窺えました。
 さらに、日々の生活において難民家族と密接に関わり、生活・学習支援を継続している地域定住支援員に対し、関係者全員から感謝の言葉が述べられました。
 報告の中で今後の取り組みとして、継続的な教科学習支援を含む日本語学習支援の体制づくり、子どもの進路指導の必要性について、引き続き重要な課題として関係者間で協力して対応していくことを確認し合いました。
 難民事業本部としても、地域の関係者と密接に情報共有を行うことが難民の定住促進につながるとの理解から、引き続き連携を深めていきたいと考えています。


鈴鹿市の椿小学校で「椿ワールド」が開催されました

鈴鹿市の椿小学校で「椿ワールド」が開催されました

 2014年2月1日(土)、鈴鹿市立椿小学校で、国際交流行事「椿ワールド」が開催されました。20ヵ国50名の外国からのゲストや地域ゲスト、保護者が来校し、第三国定住難民児童を含めた全児童と交流しました。学年別発表会では、第三国定住難民児童も英語で学習発表・クイズなどを発表し、外国人ゲストと交流を深めていました。


三郷市で第2回第三国定住難民支援ネットワーク会議が開催されました

三郷市で第2回第三国定住難民支援ネットワーク会議が開催されました

 2014年1月29日(水)、三郷市において、第三国定住難民の支援関係者による第2回目のネットワーク会議が開催されました。

 会議には、地域の支援関係者として、三郷市担当者、小・中学校の両校長、担当教諭、保育所長、地域定住支援員及び難民事業本部職員が出席しました。
 会議では各出席者から、大人も子供も着実に地域に定着してきている様子が報告されました。
 生活面では、言葉の上達に伴い、生活上で困ることが少なくなってきているが、学校や行政の通知文などは、まだ支援が必要とあると報告されました。また、今の生活をより充実させるため、余暇の利用を工夫することや親子が一緒に過ごす時間を作る等家庭内の生活向上を提案していきたい等の意見もありました。
 子女については、小・中学校での学校生活に十分に慣れており、友達もおり、各々クラブ活動や勉強にも頑張って取り組んでいるとの報告がされました。
 日本語学習に関しては、地域定住支援員を中心として日本語学習教室や子どもの教科学習支援の取り組みの状況が報告されました。

 難民事業本部としては、引き続きこのような地域の関係者との連携の場を維持し、難民の定住を促進していく所存です。


鈴鹿市で第4回第三国定住難民支援ネットワーク会議が開催されました

鈴鹿市で第4回第三国定住難民支援ネットワーク会議が開催されました

 2014年1月17日(金)、鈴鹿市において、第三国定住難民1家族の支援関係者による第4回目となるネットワーク会議が開催されました。

 会議には、地域の支援関係者として、鈴鹿市担当者、同市教育委員会担当者、小・中学校の両校長、担当教諭、雇用主、地域定住支援員及び難民事業本部職員が出席しました。
 中学校長からは、1年に在籍する生徒1名は、成績が徐々に上がってきていることやクラブ活動にも熱心に取り組み、充実した学校生活を送っているなどの報告があり、小学校長及び担任教諭からは、児童3人がそれぞれの学年で、元気に頑張って勉強に取り組んでいることや運動部の活動にも積極的に取り組んでいる様子が報告されました。
 また、雇用主からは、雇用されている夫婦は仕事熱心で勤勉であることや後輩の指導もしていることなどが披露されました。
 報告の中で今後の取り組みとして、継続的な日本語学習支援の体制づくり、子どもの進路指導の必要性、母語の保持の必要性等の提起があり、今後も一層関係者間で協力して対応していくことを確認し合いました。
 難民事業本部としても、地域の関係者と密接に情報共有を行うことが難民の定住促進につながるとの理解から、引き続き連携を深めていきたいと考えています。


グローバルフェスタJAPAN2013に出展しました

グローバルフェスタJAPAN2013に出展しました

 2013年10月5日(土)、6日(日)、日比谷公園で開催されたグローバルフェスタJAPAN2013に難民事業本部も出展しました。

 5日はあいにくの雨でしたが6日は秋晴れとなり、二日間あわせて400人以上の方が難民事業本部のブースに足を運んでくださいました。
 難民事業本部では、日本の難民受け入れの歴史や対応の状況、難民事業本部の支援内容、第三国定住難民の受け入れについてなどの展示や資料配布を行いました。また、「難民理解クイズ」を行い、正解した方に難民の方が書いた絵葉書をお渡ししました。
 難民理解クイズに参加くださった方からは、日本がたくさんの難民を受入れてきて支援してきたことを初めて知った、遠くの問題であった「難民」を身近に感じたといった感想をいただきました。また、もっと日本にいる難民の人について知りたい、自分も難民支援に関わりたいという声も聞かれ、今後も難民支援や日本に定住する難民についての情報発信、広報事業を実施していきたいと思っています。


鈴鹿市の第三国定住難民支援ネットワーク会議に参加しました

鈴鹿市の第三国定住難民支援ネットワーク会議に参加しました

 2013年5月27日(月)、鈴鹿市において、第三国定住難民1家族の定住促進を図る目的で、支援関係者による情報共有のためのネットワーク会議が開催されました。
 会議には、地域の関係者として、鈴鹿市担当者、雇用主、教育委員会担当者、小・中学校の両校長、地域定住支援員、及び難民事業本部職員等が出席しました。
 中学校長からは、今春入学した生徒が学習やクラブ活動に意欲的に取り組んでいることや生徒の保護者が積極的に学校行事に参加しているなどの報告があり、小学校長からは児童3人の日本語力が上達していることや元気に学校生活を送っていることなどの報告がありました。
 また、雇用主からは雇用されている夫婦が真面目に仕事に取り組んでいる様子について披露されました。
 各々の報告の中で、定住支援のための連携の在り方、子どもの進学、日本語教育の推進体制づくり、母語による支援等の提起があり、今後についても関係者が協力して対応していくことを確認し合いました。
 このように支援に携わる関係者が密接に情報を共有することが適切な支援につながるとの理解から、難民事業本部としてもより一層の連携を深めていきたいと考えています。


ODP申請受付の終了について(お知らせ)

ODP申請受付の終了について(お知らせ)

 難民事業本部では政府の委託を受けて、昭和55年6月17日付け閣議了解「インドシナ難民の定住対策について」3のヴィエトナムからの家族呼寄せにかかる申請手続きを行っていますが、平成15年3月14日付け閣議了解「インドシナ難民対策について」により、当該申請受付が平成15年度末をもって終了することとなりました。
このため、当該申請について改めてその概要を紹介し、周知を図ることとします。
 

ヴィエトナムからの家族呼寄せ <ODPの概要>

 昭和54年5月30日、UNHCRとヴィエトナム政府との間で、無秩序なボート・ピープルの大量流出を防止するための措置として「合法出国計画に関する了解覚書」が取り決められ、この覚書に基づき、昭和55年6月17日付け閣議了解にヴィエトナムからの家族呼寄せについて定められました。
 当該閣議了解では、家族との再会のため本邦に入国を希望する者について、了解覚書に定める手続きに従うことを条件に、善良な社会人として生活を営むと認められる者であって、次のいずれかに該当するものについては、その入国を許可することができるとされています。
  1. 日本人の配偶者、親又は子(養子を含む。)
  2. 日本に適法に在留する外国人の配偶者、親又は未婚の子(養子を含む。)であって、相互扶助が可能と認められるもの
  3. 上記1. 又は2. に随伴する親族で、その家族構成からみて、人道上特に入国が相当と認められるもの(相互扶助可能な場合に限る。)

申請手続き等

 申請者は難民事業本部に申請を行いますが、入国の可否については、日本政府が審査決定します。
  1. 呼寄せ人の提出書類
    外国人の場合、適法に在留し、安定した生活を営んでいることを明らかにする書類(外国人登録証明書、在勤証明書、所得証明書など。)のほか、呼寄せのための陳述書、家族構成を示すものなどの書類が必要となります。
  2. 被呼寄せ人の提出書類
    婚姻証明書、出生証明書、未婚証明書などの書類が必要となります。
  3. 申請期限等
    今般、閣議了解により、申請受付は、平成15年度末とされたので、申請を希望する場合は、平成16年3月31日までに難民事業本部に必要な書類を整備して申請をする必要があります。
注意:関西支部及び国際救援センターにおけるODP申請受付業務は終了することとなりましたので、2003年12月1日以降に申請を希望する場合は、難民事業本部本部事務所までお問い合わせ願います。

本部事務所

〒106-0047
東京都港区南麻布5−1−27
営団地下鉄日比谷線広尾駅3番出口前

TEL 03−3449−7011
FAX 03−3449−7016

本部事務所

インドシナ難民対策について

平成15年3月14日
閣  議  了  解

 昭和55年6月17日付け閣議了解「インドシナ難民の定住対策について」3に規定するヴィエトナムからの家族呼寄せについては、インドシナ3国の政情が安定して久しく、受入れ未了の被呼寄せ者数が残りわずかとなったことを踏まえ、家族呼寄せの円滑かつ確実な完了を期するため、政府は、次の措置を講じるものとする。

  1. ヴィエトナムからの家族呼寄せのために呼寄せ人が行う申請手続きについて、平成15年度末をもって申請受付を終了することとする。
  2. 関係行政機関は、相互に協力し、上記1の申請受付の終了について関係者への周知徹底を図るとともに、申請手続の案内等に十分配慮することとする。

平成24年度日本定住難民雇用促進懇談会(東日本地区)を開催しました

平成24年度日本定住難民雇用促進懇談会(東日本地区)を開催しました

2013年2月6日(水)、難民事業本部本部事務所において、雇用促進懇談会を開催しました。難民の雇用にご協力をいただいている事業所3社を始め、中小企業団体中央会、労働局、ハローワーク、自治体等より計21名の出席がありました。
 本懇談会は難民定住者の雇用状況の安定を図るため、東日本地区において年に一度開催しています。
 公共職業安定機関からは昨今の外国人の就職に関する傾向や取り組みの報告があり、事業所からは現在の外国人雇用状況、外国人を雇用される上で工夫されている点、難民を受け入れるに至った経緯や就労状況等についてお話がありました。また、自治体からは定住地としての支援の内容や難民事業本部の就労支援に望むことをお話しいただき、中小企業団体中央会からは難民の雇用促進のための広報手法に関するご助言をいただきました。
 このような様々な関係機関の皆様が一堂に会することは貴重な機会であり、大変有意義な意見交換、情報交換の場となりました。


グローバルフェスタJAPAN2012に参加しました

グローバルフェスタJAPAN2012に参加しました

 2012年10月6日(土)・7日(日)に日比谷公園にて行われた「グローバルフェスタJAPAN2012」に参加しました。
 6日は暑く、7日は雨という天候でしたが、難民事業本部のブースには約400人の方々が、来場されました。難民事業本部のブースでは、日本の難民受入れの状況や当事業本部の支援内容、第三国定住難民のキャンプにいた頃の生活の様子や来日後の支援などについて、J-FUNのスタンプラリーのクイズなどを通して説明・交流を行うと同時に、パンフレットなどの配布を通して、当事業本部の支援状況や第三国定住難民の周知に努めました。訪問して下さった方々の中には、「日本に難民問題があることを初めて知りました。もっと難民問題について勉強をしようと思いました。」「第三国定住難民という言葉を初めて聞きました。でも、国同士が助け合えるということは素晴らしいと思います。」という感想を多数いただきました。


2. 市販教材

2. 市販教材

① 成人日本語指導用

(8)漢字(かんじ)語彙(ごい)(よわ)いあなたへ

① 初中級〜中級
② 足立章子、黒崎典子、中山由佳
③ 凡人社
④ 初版2001年
⑤ B5判
⑥ 107ページ
⑦ 1,350円
⑧ 漢字仮名交じり(一部ルビ)

内容

 初級(しょきゅう)程度(ていど)漢字(かんじ)語彙(ごい)がまだうまく使(つか)いこなせない初級(しょきゅう)終了者向(しゅうりょうしゃむ)けの復習(ふくしゅう)教材(きょうざい)です。自習(じしゅう)がしやすく、漢字(かんじ)語彙(ごい)運用力(うんようりょく)同時(どうじ)()ばすことができます。

 

(9)初級(しょきゅう)から中級(ちゅうきゅう)への日本語(にほんご)ドリル語彙(ごい)

① 初中級
② 松本節子、佐久間良子
③ ジャパンタイムズ
④ 初版2008年
⑤ B5判
⑥ 119ページ
⑦ 1,260円
⑧ 漢字仮名交じり(一部ルビ)

内容

 使(つか)()けの(むずか)しい用法(ようほう)や、(まぎ)らわしい語彙(ごい)使(つか)()けを理解(りかい)して、整理(せいり)できるように工夫(くふう)されています。問題(もんだい)()きながら日常的(にちじょうてき)によく使(つか)語彙(ごい)()やし、会話力(かいわりょく)もつけることができるため、中級(ちゅうきゅう)へつなげるための自習(じしゅう)教材(きょうざい)として最適(さいてき)です。

 

(10)文字(もじ)語彙(ごい)文法(ぶんぽう)”まとめドリル にほんご500(もん) 中級(ちゅうきゅう)

① 中級
② 松本紀子、佐々木仁子
③ アスク出版
④ 初版2009年
⑤ A5判
⑥ 311ページ
⑦ 1,260円
⑧ 漢字仮名交じり(一部ルビ)

内容

 中級(ちゅうきゅう)レベルの文字(もじ)文法(ぶんぽう)語彙(ごい)効率的(こうりつてき)復習(ふくしゅう)することができるため、上級(じょうきゅう)(すす)(まえ)自習(じしゅう)教材(きょうざい)として最適(さいてき)です。

新宿区戸塚第一小学校長がセンターを視察されました

新宿区戸塚第一小学校長がセンターを視察されました

 2011年11月30日、新宿区立戸塚第一小学校石井卓之校長がRHQ支援センター子どもクラスの日本語授業を視察しました。
 現在、子どもクラスは2クラス(低学年クラス3名、中学年クラスの2名)に分かれて、学齢に合わせた基礎的な日本語と教科、学習言語のほか、センター退所後に日本の学校生活に馴染むことができるよう、日直、掃除当番、ラジオ体操、習字などの指導を行っています。
 子どもクラスの児童5名のうち3名は、センターの定住支援プログラムの一環として、約3週間程度戸塚第一小学校に受け入れていただき、実際に日本の小学校を体験する機会を設けています。また、残りの児童2名は来年度新一年生となるため、同小学校に隣接する付属幼稚園に受け入れていただき、園生活を体験する予定です。
この日、石井校長は、子どもクラスの児童を受け入れる準備の一環として、センターでの授業の様子を視察したものですが、児童が入国して間もない(9月29日入国)にもかかわらず、日本語の上達が早いこと、全員元気いっぱいで授業を受けていたことに感心したとのことでした。


平成23年度雇用促進協議会(西日本地区)を開催しました

平成23年度雇用促進協議会(西日本地区)を開催しました

 2011年11月17日(木)、大阪府八尾市役所において雇用促進協議会を開催しました。八尾市近辺の難民定住者を雇用している事業所1社をはじめ、職業安定機関、事業主団体、八尾市役所より計13名の出席がありました。
 職業安定機関や事業主団体からは、リーマンショック直後に雇用失業に係る各種数値が過去最悪を記録したものの、以降、順調に改善しているという話がありました。また、特定の職種や専門職、技能職においては人材が不足している業界や事業主もあるが、求職者とのマッチングがうまくいっていないとの課題が挙げられました。難民雇用事業主は長年にわたって雇用継続中のベトナム人定住者のこと、また、これらの従業員に対して一時行っていた日本語学習指導の様子についてお話を頂きました。
 福祉機関からは、就労支援員の配置状況、セミナーや面接会の開催内容、多言語での窓口対応や機関紙発行、通訳支援、求職中外国人向けの日本語学習に伴う経済支援の提言活動等、各種報告があり、いずれにおいても改善や啓発、提言を引き続き行っていく必要があるとの姿勢が示されました。難民支援団体として八尾市でベトナム人難民コミュニティを始め外国人居住者を支援している団体からは、草の根での就労支援も困難を極めているとの話が披露されました。
 日本語能力の習得に係る難民定住者自身の努力、また関係機関による支援が、ひいては雇用の安定を生み、難民定住者の自立につながることを再認識する貴重な場となりました。各関係機関の皆様からの御意見は、今後の難民定住支援の参考とさせて頂きます。

第7回日本語スピーチコンテスト記録集ができました

第7回日本語スピーチコンテスト記録集ができました

第7回 日本語スピーチコンテスト記録集 2001年5月13日(日)に横浜市で開催した、第7回「インドシナ難民定住者日本語スピーチコンテスト」の記録集ができあがりました。

 記録集には、A部門(在日5年未満)最優秀賞のスアー チャン サニさん(カンボジア)、B部門(在日5年以上)最優秀賞のサン ナンさん(カンボジア)のスピーチをはじめ、10人のベトナム、ラオス、カンボジアの難民定住者とその家族の人たちのスピーチを掲載しています。また、スピーチ終了後に行った会場との意見交換の様子や、あーすフェスタかながわ2001に参加したインドシナ難民定住者コミュニティー団体の活動も紹介しています。巻末の資料編には、簡単な難民やインドシナ三カ国についての説明や、ベトナム・ラオス・カンボジア語の日常用語集を載せました。
 難民理解、インドシナ三カ国理解のために、この冊子を活用していただければ幸いです。ご希望の方は、送料(200円切手)同封の上、下記までお申し込みください。
問い合わせ:難民事業本部本部事務所 援護課

地震(じしん)で仕事(しごと)がなくなったら〜失業(しつぎょう)保険(ほけん)の給付(きゅうふ)について〜

地震(じしん)仕事(しごと)がなくなったら〜失業(しつぎょう)保険(ほけん)給付(きゅうふ)について〜



失業(しつぎょう)保険(ほけん)給付(きゅうふ)について、日本語(にほんご)、やさしい日本語(にほんご)英語(えいご)、ベトナム()、タイ()などで紹介(しょうかい)しています。

多言(たげん)語(ご)による地震(じしん)情報(じょうほう)案内(あんない)

多言(たげん)()による地震(じしん)情報(じょうほう)案内(あんない)



多言(たげん)()(ベトナム()、カンボジア()、ミャンマー()、ラオス()、タイ()中国語(ちゅうごくご)(とう))による地震(じしん)情報(じょうほう)のサイトについて紹介(しょうかい)しております。

平成22年度雇用促進協議会(西日本地区)を開催しました

平成22年度雇用促進協議会(西日本地区)を開催しました



 2010年11月12日(金)、兵庫県姫路市の西播地域地場産業振興センターにおいて雇用促進協議会を開催しました。本協議会は、難民定住者の雇用の安定を図ることを目的に、難民が集住する大阪府八尾市、兵庫県神戸市、姫路市で年に一回順番に開催しています。今年は姫路市近辺の難民定住者を雇用している事業所2社をはじめ、職業安定機関、事業主団体、住宅供給機関、姫路市役所より計11名の出席を得て開催しました。

 職業安定機関や事業主団体からは、姫路地域が強みとしている製造業が業績を回復しつつあるという明るい話題がある一方で、一昨秋の世界同時不況の影響が依然続いている中、新たに円高も影を落としているとのことから予断は許せないという慎重な声が聞かれました。外国人求職者に関しては、事業所の求める日本語レベルやニーズが高いため、求職活動が長期化する例が多いとの報告がありました。

 難民雇用事業主は2社ともに製造業種で、業況は昨年よりは緩やかに回復しているものの、9〜10月頃から受注減、減産傾向にあり、回復の動きの弱さを実感しているとの意見がありました。それぞれの会社が、20年にわたり継続勤務する難民定住者や、質の高い瑕疵検査業務を行う女性難民定住者を評価しながら、彼らが日本語能力の向上にさらに励み、更なる戦力として働いてくれることを期待するとのことでした。

 住宅供給機関からは、難民定住者世帯は比較的家賃納入率が高いこと、今後の課題は日本人入居者との共生であるなどの意見が挙げられました。また、福祉機関からは、生活保護世帯の子が日本語の苦手な親の通訳を担い、行政窓口との潤滑油の役割を果たしていること、一方で子の世代に対する就労支援や生活保護からの卒業を意識づけしていく必要性についてお話をいただきました。

 各関係機関の皆様から頂いた御意見を、今後の難民定住支援に役立たせて頂きます。

平成21年度日本定住難民雇用促進懇談会を開催しました

平成21年度日本定住難民雇用促進懇談会を開催しました



 2010年2月17日(水)、JICA地球ひろば(東京都渋谷区)において標記懇談会を開催しました。本懇談会は東日本地区における難民定住者の雇用状況の安定を図るため、年に一度開催しています。厳しい雇用失業情勢の中、依然、就職難や雇用調整が続いており、難民定住者の安定した雇用を目的に、①新規就職先の確保、②就労中の者の雇用継続、③解雇者への支援について、難民定住者を雇用する事業所、公共職業安定機関、外国人支援団体等関係者、合わせて15名による意見交換を行いました。
 前半の部では、各団体から、活動概要や外国人相談の受付状況等について紹介があり、また、事業所からは、難民定住者の雇用状況などについて話がありました。後半の部では、「雇用実現のためには〜事業主、支援者の立場から〜」をテーマに活発な意見交換が展開されました。公共職業安定機関からは、経済不況の中、外国人に対して求められる日本語能力がより高度になっていること、全般として短時間労働の求人が増加している等の話がありました。事業所からは、外国人労働者との文化風習の相違から起こる問題とその解決方法、また雇用を維持していくために今後も難民定住者、事業所、支援者の三者間の交流の機会を増やす提案など、実際に難民定住者を雇用している立場からお話しいただききました。また、外国人支援団体からは、日本語教育支援について、就職に必須の履歴書の作成支援の方法等について情報交換がされました。
 こうした雇用情勢が厳しい状況下、一層、関係者間が密に連携し、行動が伴った支援をしていくことの必要性を再認識する貴重な場となりました。


平成21年度雇用促進協議会(西日本地区)を開催しました

平成21年度雇用促進協議会(西日本地区)を開催しました



 2009年11月27日(金)、兵庫県神戸市男女共同参画センターにおいて標記協議会を開催しました。本協議会は、難民定住者の雇用状況の安定を図るため、難民が多く住む大阪府八尾市、兵庫県神戸市、姫路市で毎年順番に開催しています。今年は、神戸周辺の職業安定機関、難民雇用事業主、住宅供給機関、福祉行政機関の担当者計9名に参加頂き、現状の問題などについて意見交換を行いました。
 職業安定機関からは、昨秋の世界同時不況を受け、完全失業率が一時、過去最悪の5.7%を記録する厳しい雇用失業情勢を受け、政府の緊急雇用対策が各種とられているとの説明がありました。外国人求職者の状況としては、新規求職登録者の大幅な増加と日本人求職者との高い競争率の点で、日本語能力の不足している外国人求職者は求職活動が長引いているとのことでした。
 難民雇用事業主からは、介護福祉施設にベトナム難民定住者2名の派遣実績を持つヘルパー派遣・雇用管理請負会社から、彼女ら難民定住者のホスピタリティの高さから、ヘルパーとして定着し受入れ施設からも高評価を得ている、ベトナム難民定住者1名を雇用する介護福祉施設からは、日本語はまだおぼつかないものの、真面目な勤務態度や関係の資格を取得するなど向学心が高く、今後の活躍に期待しているなどのお話がありました。5名のベトナム難民定住者を雇用する靴の材料加工会社では、近年の生産拠点の海外流出と不況により零細企業との取引が増え、細かい内容の仕様書を読解する日本語力が求められており、難民定住者の日本語能力向上に対する必要性は以前にも増して高まっているとのことでした。
 また、行政の現場においては生活保護相談・申請が増加する中で、日本語能力が不十分なために手続きを進める上で様々な問題が生じる難民定住者もいるとの話がありました。


用例付語彙集(ミャンマー語/CD-ROM版)ができました。

用例付語彙集(ミャンマー語/CD-ROM版)ができました。


 難民事業本部発行「用例付語彙集」のミャンマー語/CD-ROM版が完成しました。
 この教材は、日常生活や職場でよく使われる日本語(約5700語)を選び、そのミャンマー語訳と例文を豊富に掲載しています。日本語にはルビが付いています。同書のベトナム語、ラオス語、カンボジア語版は、これまで長年にわたりインドシナ三国出身の難民定住者の方々に愛用されてきました。
 本教材の配布対象は、日本に定住するミャンマー出身の条約難民とそのご家族、および難民定住者への日本語指導を行う日本語教室など、当本部に申請された方です。難民定住者の日本語学習にお役立てください。

 教材の申請手続きについて、詳しくはこちらをご参照ください。
 http://www.rhq.gr.jp/japanese/profile/bus/bus_19.htm

難民認定申請者支援非常勤職員(有期雇用職員)募集要項

難民認定申請者支援非常勤職員(有期雇用職員)募集要項

 (公財)アジア福祉教育財団難民事業本部は、日本政府の委託を受けて、日本に定住するインドシナ難民、条約難民、第三国定住難民及び難民認定申請者に対する支援事業を実施している機関です。
  この度、難民認定申請者支援に携わる非常勤職員(有期雇用職員)を募集いたします。

募集人数

若干名

業務内容

難民認定申請中の外国人に対する面接調査、報告書作成、保護費支給業務など

資格

学歴不問。ビジネスレベル以上の英会話力を有する方(それ以外の語学もできれば尚可)。パソコン能力(ワード、エクセル等)を有する方。

給与

日給月給制、日額8,100円〜(超過勤務手当、通勤手当あり。退職手当なし。健康保険、厚生年金、雇用保険、労災保険加入)

勤務地

(公財)アジア福祉教育財団難民事業本部 本部事務所
(最寄駅:東京メトロ日比谷線 「広尾駅」4番出口前)

勤務時間

月〜金 9:30〜17:00(土日祝休み)
(休憩1時間 必要に応じて超過勤務有)

応募方法

履歴書(顔写真添付、「難民認定申請者支援スタッフ希望」と明記)、職務経歴書、志望動機書、IELTSやTOEFLなどの証明書複写(所持していない場合はご相談ください)を郵送またはE-mailにてご送付下さい。

勤務開始日

平成29年4月(採用が確定次第相談の上決定)

雇用形態

有期雇用(非常勤)契約(3ヵ月間の試用期間有)。
雇用期間 平成29年4月〜平成30年3月末まで
       (延長の可能性有)

選考

・書類通過選者のみ面接。面接後に選考結果を通知。
・選考に関するお問い合わせには応じかねますのでご了承ください。
・応募書類は当方にて責任を持って廃棄いたします。返却のご要望には応じかねますのでご了承ください。

問い合わせ・応募先

(公財) アジア福祉教育財団難民事業本部
106−0047 東京都港区南麻布5−1−27

担当

企画調整課 秋葉 幸代
TEL:03−3449−7012 FAX:03−3449−7016
Email:akiba-s@rhq.gr.jp Web:http://www.rhq.gr.jp

 

日本語教育相談員(委嘱)募集要項

日本語教育相談員(委嘱)募集要項

(公財)アジア福祉教育財団難民事業本部は、日本政府の委託を受けて、日本に定住するインドシナ難民、条約難民、第三国定住難民及び難民認定申請者に対する支援事業を実施している機関です。
この度、日本語教育相談員(委嘱契約)を募集いたします。

募集人数

1名

業務内容

難民の方に対し日本語学習に関する情報提供や専門的な指導・助言を行う
定住難民についての日本語能力及び日本語使用状況等の調査・分析を行う

資格

大卒以上。
日本語教師資格を有し3年以上の実務経験がある方。日本の学校制度に精通し、国内の教育機関、自治体等との調整業務経験を有する方。パソコン能力を有する方。

給与

時給制、1時間1,500円(交通費実費、社会保険なし)

勤務地

東京都内(山手線の内側)
(注)難民の方々の立場に配慮して、場所は非公開としています。

勤務時間

1週間につき2日勤務
1日あたり4.5時間程度勤務(原則土日祝休み)

応募方法

履歴書(顔写真添付、「日本語教育相談員希望」と明記)、職務経歴書、志望動機書を郵送またはE-mailにてご送付下さい。

勤務期間

平成27年9月〜平成28年3月

募集期間

平成27年7月27日(月)〜(充足次第終了)

雇用形態

委嘱契約(四半期毎)

選考

・書類選考通過者のみ面接。面接後に選考結果を通知。
・選考に関するお問い合わせには応じかねますのでご了承ください。
・応募書類は当方にて責任を持って廃棄致します。返却のご要望には応じかねますのでご了承ください。

応募・問い合わせ先

(公財)アジア福祉教育財団難民事業本部
〒106−0047 東京都港区南麻布5−1−27

担当

大原 晋
TEL:03−3449−7011 FAX:03−3449−7016
E-mail:ohara-s@rhq.gr.jp Web:http://www.rhq.gr.jp/

 

日本語教育ボランティア連絡会議を開催しました(東日本地区・西日本地区)

日本語教育ボランティア連絡会議を開催しました(東日本地区・西日本地区)



 難民事業本部は、3月3日(火)に本部事務所にて、5日(木)に関西支部事務所にて、 「平成20年度日本語教育ボランティア連絡会議」を開催し、合計11団体の参加がありました。

 同会議では、難民定住者とその家族等に対して日本語学習支援を行う日本語教育ボランティア 団体から、それぞれの活動状況についての報告がありました。不況のため就労が不安定となり、 日本語再習得の必要に迫られた難民定住者の学習希望者が増える一方、指導者の確保はさらに困難に なっているといった現状が共有されました。また、難民認定申請者の急増に伴い、申請者への日本語 学習支援の必要性についても意見が交わされました。当本部からは、平成21年度の事業方針や日本語 教室支援の変更と手続きについての説明を行い、また当本部の実施する教育訓練援助金や、その他の 機関等の奨学金制度等に関する情報提供を行いました。各教室代表者と活発な意見交換ができ、難民 定住者の日本語学習支援において問題意識を共有する上で貴重な機会となりました。

当本部の日本語学習支援事業につきましては、業務課(TEL:03-3449-7013,E-mail:gyoumuka@rhq.gr.jp ) までお問い合わせ下さい。


平成20年度日本定住難民雇用促進懇談会を開催しました

平成20年度日本定住難民雇用促進懇談会を開催しました



 2009年2月12日、東京都渋谷区のJICA地球ひろばにおいて、標記懇談会を開催しました。昨今の経済不況の影響により 就職難や非正規労働者の解雇等の雇用調整が問題となる中で、難民を含む外国人の就労支援について支援者として出来 ることを話し合い、関係者間の協力体制の強化を図ることを目的としています。会議には、難民定住者を雇用する事業 所5社をはじめ、公共職業安定機関、地方自治体、外国人支援団体等から多数出席いただきました。

 前半の部では、支援者から、団体活動概要や外国人相談の受付状況等について紹介があり、事業所からは、難民定住者 の雇用状況などについて話がありました。後半の意見交換の部では、公共職業安定機関から、経済不況の中、外国人労働 者にも幅広い能力が求められてきているという話(例:飲食店の洗い場の仕事で就職した場合も、繁忙時には接客や調理 補助にも就く等)や、事業所からは、外国人労働者に期待することとして、日本語能力の他に仕事に対する真摯な姿勢等 が挙げられました。また、自治体や支援団体等からは、外国人労働者の日本語教育支援について、地域のボランティア 教室等をコーディネートする専門家の養成や、企業内に講師を招いて日本語を教える方法等の提案がありました。外国人 雇用のニーズはまだまだあることから、関係者間の一層の連携や情報共有の重要性を再確認する場となりました。


難民の第三国定住に関するシンポジウムが開催されました

難民の第三国定住に関するシンポジウムが開催されました



 2009年2月5日、外務省が主催(IOM共催)する難民の第三国定住に関するシンポジウムが開催され、当難民事業本部から軽部洋本部長がコメンテーターとして出席しました。
 このシンポジウムは、2010年からアジアで初めてとなる第三国定住難民(注1)の受け入れを開始することを決定した日本政府が、日本がかつて1970年代より受け入れたインドシナ難民の定住支援の経験を踏まえ、日本に相応しい難民の定住支援策の策定の参考とするために開催しました。
 シンポジウムの第1セッションでは「世界における第三国定住の現状」について、既に大規模な第三国定住による難民受け入れを行っているカナダ政府の実務担当者、キャンプなどに避難している者を難民として認定及び受け入れを表明している国への推薦を行っている国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の駐日事務所担当者、また、難民の渡航準備、健康診断、文化・言語研修、受入国への移送を行っている国際移住機関(IOM)の東南アジア地域担当者から発表が行われました。
 第2セッションでは、「日本におけるインドシナ難民受け入れの経験:今後の展望」について、日本政府の難民受け入れ・支援を担当している外務省人権人道課長、インドシナ難民定住支援を実施した難民事業本部からは軽部本部長、インドシナ難民としてタイの難民キャンプを経て日本定住した経歴を持つ元カンボジア難民定住者が、それぞれの立場から、経験に基づき第三国定住政策に対する提案を行いました。
 軽部本部長は、インドシナ難民の定住・定着状況として、

アジア福祉教育財団設立40周年・難民事業本部設置30周年記念式典を開催しました

アジア福祉教育財団設立40周年・難民事業本部設置30周年記念式典を開催しました


感謝状及び記念品を贈呈する綿貫理事長(左)と、ハリー神父(右)

 2008年12月12日、アジア福祉教育財団は設立40周年、難民事業本部は設置30周年を迎えるに当たり、これまで当財団の事業にご支援、ご協力をいただいた関係者の皆様に感謝の意を表わすため、記念式典を開催しました。
 当財団は、ベトナム戦争によって生じた孤児、母子等救済のため1969年12月12日に設立され、現在はアジア地域の福祉事業の向上と交流を目的に福祉関係者の日本への招へい事業を行っています。また、1979年11月、日本政府からの委託を受け、インドシナ三国の難民の定住促進の事業を行う目的で、難民事業本部を設置し、現在まで難民、難民認定申請者の事業を継続して行っています。
 式典では、難民支援事業の功労者であるカトリック淳心会司祭のヘンドリックス(通称ハリー)・クワードブリット神父に対し、感謝状及び記念品を贈呈しました。ハリー神父は、インドシナ難民の受け入れを開始した当初、姫路定住促進センター名誉所長として、地域住民に難民支援の重要性を説いて回り、地域社会の理解を得ることに努められ、また子どもの進学や就職先の確保に東奔西走され、現在も自立困難者の精神的支えとして、難民の生活安定に寄与されています。
 受賞したハリー神父は、「当時は難民を受け入れることが大変だったが、今は難民が呼び寄せた家族が同じよう問題に直面している。これからも共生社会の実現を実践していきたい」と答辞を述べられました。
 主催者挨拶として、当財団綿貫民輔理事長より、アジア福祉教育財団と難民事業本部の設立、設置の経緯と、今後果たしていく責務について決意表明がありました。当日は麻生総理大臣より祝電を頂き、また、来賓を代表して中曽根弘文外務大臣(西村康稔外務政務官代読)と西川克行法務省入国管理局長よりご挨拶を賜ったほか、関係省庁、協力機関、多数の難民支援関係者にご列席頂きました。


綿貫民輔理事長の挨拶(抜粋)


綿貫民輔理事長

 (財団設立の経緯)当財団設立当初を振り返りますと、インドシナ半島を旅行して帰国された元衆議院議長の松田竹千代先生が「南ベトナムには戦争で親を失った孤児が沢山いる。悲惨な状態だ。我々も何らかの役割を果たすべきではないだろうか」と訴えられたのがきっかけとなり、国会議員の歳費から一定期間にわたり所定の金額を拠出して財団法人を設立することが決まったのでした。続いて財団の活動の方向を探るため、奥野誠亮先生、桜内義雄先生を代表に、それに社会福祉の関係者も加わって、南ベトナムの視察が行われました。その結論は孤児のための入所施設をつくり、ここで職業を身につけさせ、自立出来るようにすることになったのであります。
 (アジア福祉関係者支援事業の経緯)当時の奥野誠亮理事長は今後の対応を考えるため財団事務局長を伴って東南アジアの視察に向かい、さらにタイの難民キャンプを訪れました。その結果、さしあたりの活動として新たにアジア諸国の福祉や教育のための助成、またアジア各国で福祉に携わる方々をわが国に招へいする事業を開始いたしました。福祉関係者の招へい事業は昭和53年10月にタイの一行6名が来日して以来、今では17カ国を対象に毎年4回に分け20名ずつ計80名がわが国を訪れるまでに充実が図られております。
 この方たちには社会福祉だけではなくわが国の政治、歴史、文化、伝統その他の事情にも触れていただき、日本の国柄に対する理解を深めてもらっております。世界とまでは言わない、少なくともアジアが安定するため日本も何がしかの役に立ちたい、それが私たちの責任ではないか、という話し合いから始まったわけでありますが、財団の力には限りがあり社会福祉の関係者に限定しているわけでございます。たとえ小さな事業であっても長く続けることによって成果がえられるものと考えております。
 (難民事業本部設立の経緯)昭和53年2月、衆議院予算委員会での奥野理事長(当時)の園田直外務大臣に対する「日本に逃れてきたインドシナ三国の難民に対し、同じアジアの国民として保護の手を差し伸べるべきである」との発言が契機となって、政府がインドシナ三国の難民定住促進センターを設置し、閣議了解を経たのち、その運営を当財団に委ねられました。そのため昭和54年11月、当財団に難民事業が設置されました。
 爾来これまで日本に定住したインドシナ難民は1万1000人余りになり、地域社会や、企業において真面目な人材として評価され、それぞれ自立し活躍しております。
 インドシナの政情も安定したことから、インドシナ難民の受け入れは平成17年末をもって終了しましたが、他方、平成14年8月からは「難民条約」に基づき法務大臣が認定した難民、いわゆる条約難民に対しても定住支援の対策が講じられることになり、今日に至っております。
 (今後の決意)当財団は国益や人権ときわめて結びつきの強い公益事業を実施しております。国際情勢の変化を常に視野に置き、当財団が果たすべき役割を見極めながら、業務のより一層の推進に励んでまいりたいと決意を新たにしておりますので、倍旧のご指導、ご鞭撻を賜りますよう宜しくお願いいたします。


中曽根弘文外務大臣の祝辞


中曽根弘文外務大臣の祝辞を代読される西村康稔外務政務官

 本日ここに、アジア福祉教育財団設立40周年を、また、難民事業本部設置30周年を迎えられたことを心からお祝い申し上げます。
 今から40年前、このアジア福祉教育財団はベトナム戦争による戦災孤児等の救済を目的として設立され、まだ戦闘の激しい最中、サイゴン市郊外に職業訓練所の建設・運営に着手し大勢の戦災孤児や母子の方々の救済に取り組まれました。その後、アジア各国の福祉関係者の招へい等を実施するなどして、アジア地域内の社会福祉の向上に多大な貢献をされてこられました。また30数年前、インドシナ三国では相次いで政変が発生し社会主義体制となり、新しい体制の下で迫害を受ける恐れのある人々や新体制になじめない人々が周辺国への流出を始めました。これにより我が国では、インドシナ難民の受け入れが課題となっていたところ、貴財団は政府からの難民定住支援事業の委託を快く引き受けていただき、貴財団内に難民事業本部を設置し、以来、貴財団は国内に受け入れのためのセンターを開設するなどして、1万人を超えるインドシナ難民の受け入れ、定住支援のための最善の努力を果たしてこられました。
 その後、政府が貴財団に委託する事業は、難民認定申請者の保護や条約難民に対する定住支援へと、順次拡大してまいりましたが、このような活動が、これまで素晴らしい実績を挙げてこられたのは、貴財団のシンボルマークである「愛」の文字のとおり、奥野誠亮名誉会長、綿貫民輔理事長をはじめ、役員の方々、職員一人ひとりの皆様の献身的なご尽力によるものであり、さらには国連難民高等弁務官事務所、関係団体並びに各方面の、貴財団に対するご理解と大きなご支援の賜物であると思います。
 我が国が、国際社会において一層責任ある役割を果たしていく上で、貴財団が培われた実績、知見は貴重な財産であると確信しております。今後とも引き続き、我が国の国際協力の場面で、ご協力をお願い申し上げますと共に、貴財団並びに関係者の皆様の今後益々のご活躍、ご発展を心からお祈りしつつ、私からのご挨拶とさせて頂きます。


西川克行法務省入国管理局長の挨拶


西川克行法務省入国管理局長

 本日、アジア福祉教育財団が設立40周年、また難民事業本部が設置30周年を迎えられたことを心からお祝い申し上げます。
 ここに、「財団法人アジア福祉教育財団設立40周年・難民事業本部設置30周年記念式典」が開催されるに当たり、一言御挨拶を申し上げます。
 まず最初に、財団法人アジア福祉教育財団の奥野誠亮名誉会長並びに綿貫民輔理事長を始めとする職員の皆様方の、難民関係事業における長年にわたる御努力に対し、心から敬意と感謝の意を表したいと思います。
 アジア福祉教育財団におかれましては、昭和44年、ベトナム戦争によって生じた大勢の孤児、母子などの救済を目的に「ベトナム孤児福祉教育財団」の名称で設立され、以後、長年にわたって、アジア諸国の社会福祉施設への援助事業や福祉関係者の我が国への招へい等を通じて各国の社会福祉の発展に御尽力されてこられました。
 また、貴財団の難民事業本部につきましては、昭和54年、当時、我が国の課題となっていましたインドシナ難民の方々に対する各種支援事業を行う目的で設置されております。我が国はインドシナ難民や条約難民の方々を1万人以上受け入れておりますが、今日まで難民の方々の定住が進展いたしましたのは、難民事業本部が実施する日本語教育や就職の斡旋など、同本部の職員の方々による暖かい対応の賜物であると存じております。
 昨今の国際社会を見ますと、世界の様々な地域で、紛争が多発しており、多くの人々が平穏な生活を脅かされ、その生活を放棄せざるを得ない境遇に追い込まれていることは、誠に残念なことであります。この様な結果、我が国においても近年、難民認定申請者は急増しており、我が国が責任を果たしていく上で、貴財団の御協力は、ますます重要性を増しております。
 今後とも引き続き御協力をお願いいたしますと共に、アジア福祉教育財団を始めといたします関係者の皆様の、なお一層の御発展と御活躍をお祈り申し上げ、私の祝辞とさせていただきます。

難民問題に関する講座等へ講師を派遣しています

難民問題に関する講座等へ講師を派遣しています

難民事業本部では、皆さんの講師派遣のご依頼に応じて職員や難民定住者の方々が、学校、公民館などに出向き、参加者の皆さん(教員、教官、学生グループ・リーダー、ボランティア団体などの方々)と難民問題について一緒に考える難民理解講座を開催しています。ご関心のある方は、下記までご連絡ください。


問合せ先 03-3449-7012 企画調整課企画第二係
       これまでに開催された難民理解講座はこちら

群馬県伊勢崎市における「婚姻届を受理していない証明」の発行について

群馬県伊勢崎市における「婚姻届を受理していない証明」の発行について

 群馬県伊勢崎市はこれまでインドシナ難民の婚姻手続に必要とされる「婚姻届を受理していない証明」を発行していませんでしたが、今後は発行することになりました。この証明書を 必要とする方は伊勢崎市役所市民課に申し出てください。


日本語ボランティア団体の活動を支援しています

日本語ボランティア団体の活動を支援しています

 

 難民事業本部では、難民定住者等(インドシナ難民および条約難民ならびにそれらの家族)に対し日本語教育を行っているボランティア団体の活動を支援しています。
平成20年度は下記のとおり援助の申請を受け付けています。

目的
 難民定住者等に対して日本語の学習指導を行っているボランティア団体の活動を支援することにより、難民定住者等の日本語学習の機会拡充の促進と学習環境の整備を図る。

対象
 難民定住者等に対し日本語指導を活動の目的としている団体で、難民事業本部の設けた基準を満たす団体。かつ、その活動は非営利であること。

内容