「カンボジアのお正月

カンボジアコミュニティー
「カンボジアのお正月
祝いの演技「チャイヤム」
祝いの演技「チャイヤム」
在日カンボジア人調整委員会は、2003年4月13日(日)に神奈川県相模原市の「相模原けやき会館」にてカンボジアのお正月を開催しました。在日カンボジア人調整委員会(難民子ども会代表) 西村 オールさんの感想を紹介します。 本会は、日本で暮らすカンボジア難民定住者のコミュニティー団体(カンボジア親善の会、カンボジア青年交流会、難民子ども会、カンボジアのお正月協力ボランティア団体等)が共同して組織したもので、毎年お正月の行事を実施しています。 会場となった「相模原けやき会館」は、結婚式場としても使用されている施設で、設備も非常に充実していました。参加予定者は450名でしたが、会場の前評判もよかったことから800名もの参加者がありました。会場使用料は予定していた予算を超えてしまいましたが、なんとか参加者からの寄付で賄えました。また、駐車場も併設されていたので、車での来場にも支障はなく、違法駐車などで近隣に迷惑をおかけするようなことはありませんでした。 日本で暮らすカンボジア難民定住者は、普段は仕事に追われており、日ごろ仲間と交流ができません。このお正月の行事は、年に1回、多くの仲間と会える貴重な場でもあります。在日カンボジア人と地域の人々との文化交流を深めるとともに、母国の伝統文化を次世代に継承することができました。 プログラムは、カンボジアから僧侶を招いてのお正月の仏教儀式、来賓挨拶、歓迎の踊り、カラオケと続き、カンボジアの民族舞踊や母国の料理を食べながら歓談をしました。参加者はおのおのとてもきれいな伝統衣装を着て、母国に思いをはせながら歌い、踊り、お正月を祝いました。最後は、お互いの健康と頑張りをたたえ合い、今後の日本での生活がより一層安定するよう、参加者全員でさらなる活躍を誓い合いました。 今年のお正月行事は、おかげさまで非常に盛況で、また、大勢の参加者が集まることによって会場周辺に迷惑をかけることもなく終了することができました。この成功を参考にして今後も継続していきたいと思っています。

シンポジウム「日本の難民受け入れ」

シンポジウム「日本の難民受け入れ」

難民事業本部関西支部では、「私たちにできることは何か」をテーマにセミナー「私たちの難民問題」を97年より神戸YMCAと共催しており、この一環として2003年3月15日(土)に日本のインドシナ難民、条約難民の受け入れについて考えるシンポジウムを開催しました。 パネリストとして、ビルマ民主化同盟書記長のミョー・ミン・トウッさんに条約難民の立場から、日本在住ベトナム人協会関西支部代表のグェン・バン・コーイさんからはインドシナ難民の立場でご自身の経験を中心としたお話を、また、外務省人道支援室事務官の山本格さん、特定非営利活動法人難民支援協会事務局長の筒井志保さんには、難民を支援する立場から今後の課題等についてお話しいただきました。 80名を超える参加者からは「難民問題はマスコミ情報でしか知らなかったので、当事者である2人のパネリストの話はとてもインパクトがあった」「難民問題を自分の仕事(教員)や地域住民としての立場で身近に考えることができた」などの感想が寄せられました。

ミョー・ミン・トウッさん(ビルマ民主化同盟書記長)

日本のビルマ人難民の状況は、法務省に12年間で200人以上難民認定の申請をして、その内39名が認定されました。条約難民として認定されるメリットは、面倒な毎月の入国管理局への出頭がなくなったことや、ハローワークで求職ができる、海外に渡航できるようになったぐらいで、生活はあまり変わりません。 在日ビルマ人難民は、政治的な理由による国外脱出がほとんどで、現在も故郷にいるビルマ人の支援など政治的な活動を続けており、日本社会から支援してほしいとはなかなか言いにくいです。また、いつかは国に帰るから日本社会からの支援はいらないという考えもあります。 在日ビルマ人難民たちのキャリアが日本社会で役立つとともに、本人たちの生活も進歩的に変わってもらいたいので、その人たちのキャリアに関しての日本語と資格を学べるプロジェクトを外務省人道支援室や国際救援センター(以下、センター)に作ってほしいです。 そうすれば、いろいろな国からきた難民たちの人材が日本の社会でお互いに役に立つでしょう。センターのプログラムはインドシナ難民には合うかもしれませんが、多少日本語が解る在日ビルマ人難民には合わないというわけではありませんが、これまでの生活と活動のリズムが崩れるかもしれません。

グェン・バン・コーイさん(日本在住ベトナム人協会関西支部代表)

定住者が抱える問題はさまざまです。ひとつは、センターで受ける3ヵ月(現在は約4ヵ月)の日本語教育が十分でないことです。日本語能力が不十分なまま暮らすには困難が多く、勤務先でのトラブルや行政手続き、子供の教育などに支障が起こる原因となります。また、日本で育った子供たちがベトナム語やベトナムの文化を忘れてしまうという問題もあります。さらに、高齢者の老後の不安も大きいです。言葉の問題を克服できるよう、地域・公民館・市役所などでもっとたくさん日本語教室を開いてくれるといいと思います。市役所、入国管理局などの行政機関での手続きに翻訳や通訳のサービスがあると、時間も節約でき、内容も理解しやすくなりますし、自分たちも解決にむけて努力することができます。私たちベトナム難民も、少しでも日本社会に貢献していきたいと思っています。 私の場合、日本の貨物船に救助された恩を非常に感じており、個人的にはこれ以上何も要望することはできないと思います。しかし、定住者全体には生活上の困難、トラブルが多いのが実情です。日本語教室の充実や行政機関の多言語対応など、言葉の問題を中心に取り組んでほしいと思います。また、仕事に関しては、できるだけ外国人を採用してほしいと思います。

山本格さん(外務省国際社会協力部人道支援室事務官)

日本では難民認定後の生活支援が全くなく、条約難民自身の自助努力に頼っていました。今後は条約難民の方々へもインドシナ難民と同じような定住支援をしていきます。6ヵ月間センターに入所し、主に日本語教育(生活日本語−読む、聞く、話す、書く)を約4ヵ月間・572時限受けます。この数字は、インドシナ難民受入れのとき、当時の文部省で検討した結果決められ、そのまま運用されています。条約難民は日本である程度生活の基盤がある人も多く、合宿形式で6ヵ月の研修を受けられるか分からないので、平成15年度は20名の入所を予定しています。出身国や日本語習得度もばらばらであるため合宿形式がふさわしいかどうかは分からないところでもありますが、インドシナ難民受入れのノウハウを生かし、今後実施しながらニーズを確認するなどして検討していきます。 今日は質問などを通じて、皆さんの関心のある点を知る大変いい機会になりました。皆さんの声をよく聞いて、今後も難民・難民認定申請者の支援に取り組んでいきたいと思います。

筒井志保さん(特定非営利活動法人 難民支援協会事務局長)

1999年「難民認定申請者、難民と認定された者への支援を専門的に行う」ことを目的に難民支援協会を立ち上げました。当協会では現場の声を伝えなければならないということで、2001年に条約難民25名・申請者75名合わせて百名へ難民事業本部の委託を受け、聞取り調査を行いました。結果、1経済的困窮、2公的扶助、3医療、4日本語などの問題が浮き上がってきました。 このような状況を、どのように改善していけるかは、 1 情報提供体制の充実:専門の相談員を養成する。地域での窓口を充実させる。 2 申請者へのケア:現状では申請者への支援がないため、認定を受けるまでの間に困窮してしまいます。最悪の場合はホームレスとなり路頭に迷ったり、病院へ担ぎ込まれたりします。申請中から認定を受けた後まで、一貫性のある支援のスキームを考えていくべきではないかと思います。 3 政策提言、世論喚起:私たちの支援は、目の前の現場(ケース支援)に追われて終わるのではなく、問題を社会全体で共有していく必要があります。ただ問題があると言うだけでなく、どのように変えていけるか、今日のように難民の人からの体験を聞いた機会に、もし近くに難民や外国人がいたらどのように接するか、支援をするかを考えてもらえること。また彼らの姿を多くの人に伝えていくことも大切なことであると思います。また、政府にも難民の現状の改善を働きかけていくなど、総合的に考えていく必要があると思います。

「定住者の声 No.21」今の私

「定住者の声 No.21」今の私 カンボジア出身のサン ナンさんは、家族と共にタイの難民キャンプを経て日本に定住しました。神奈川県大和市にあった大和定住促進センター(98.3閉所)で日本語等を学習した後、現在は、JALスカイサービス(株)に勤務しています。
私は8歳までタイの難民キャンプで育ち、日本の生活は13年になります。日本に来てから今の私があるのは父母のおかげでもあります。大和定住促進センターで6ヵ月間勉強し、すぐに日本の社会に出たということは、ものすごく言葉に苦労をし、コミュニケーションを取ることが大変だったと思います。でも父母は頑張っていました。そんな父母は私に専門学校まで進学させてくれました。そのおかげで私は希望していたエアライン業界に入社することができました。会社に入社してから1年が経ちました。仕事は頭を使うことはたくさんあって大変ですが、その分楽しいことがたくさんあります。 私の入社した会社は“JALスカイサービス(株)”といいます。JALとJASとが統合し、2004年にはあの鶴のマークがなくなってしまうのが寂しいです。でも新しい会社も楽しみです。私が出会ったお客様、それはもう数えきれないほどたくさんいます。日本人のお客様も外国人のお客様も、チェックインの短い時間の中で、“君はマレーシア人?”とか“君はタイ人?”とか“日本語うまいね”と声をかけてくれます。短い時間の中ですが、私はお客様とのコミュニケーションを大切にしています。8月は出国ラッシュでたくさんの観光客が日本を出発していきました。今でも毎日8千人から9千人の出国が続いています。そんな中いろんなお客様がカウンターの前に並んでいます。私は飛行機に乗り遅れのないように円滑にチェックインをさせなければなりません。出発が迫っているお客様もいれば、荷物が多くて超過料金がかかる人もいて、その交渉でもめるときもあります。そいうときはマニュアルなんて頼りになりません。言葉に気をつけて、お客様に説明して納得をしてもらわなければなりません。私は今この仕事が大好きです。何か魅力かというと、やっぱり世界中のお客様と出会えて、出発を見送ることができるからです。私たちは見送るだけでなく、無事現地に到着してほしいと願っています。これからもたくさんのお客様と出会えるのが楽しみです。 「2002.12 アジア福祉教育財団機関誌『愛』」より転載

「センター祭2002」

「センター祭2002」 ─インドシナ難民との相互理解増進と共生─ 昨年(2002年)11月24日(日)、国際救援センターにおいて「センター祭2002」を開催しました。これは1999年から毎年7月下旬に開催してきた「サマーキャンプ」の企画をリニューアルし、今回は秋に開催したものです。 インドシナ難民についての理解増進、参加者同士の交流の場とする、などの開催目的はこれまでと同じですが、今回は、企画の段階から難民定住者によるコミュニティー団体、難民定住者を支援するボランティアグループ等と共に作り上げる形としました。 センターの出入りは、難民のための施設という性格上、普段は入所者への面会など限定された入門しか許可していませんが、今回は特別に出入り自由の「一日開放」としたところ、寒風吹きすさぶ曇天の中にもかかわらず、一日で600名以上の参加がありました。 コミュニティー団体のメンバーやセンターの退所者たちは久し振りに旧友と会い、民族舞踊のステージや模擬店で作られた母国料理を前にして、母国文化の懐かしさに包まれ、尽きぬ話を語り合っていました。 また、日本人の参加者も、ベトナム・ラオス・カンボジアの民族舞踊を目にし、各国の料理を味わうことで、異文化の雰囲気に触れ、一様に感動を得た様子でした。
【ステージプログラム】
民族舞踊 (クメールボランティア協会)
(国際交流協力ボランティア難民こども会)
(在日本ラオス協会)
参加者との交流ゲーム(YYCC(横浜青年国際人倶楽部))
【模擬店メニュー】
揚げ春巻き、フォー(うどん)、カレー、焼き鳥、バンセオ(お好み焼き)、焼きビーフンなど (在日ヴェトナムカトリック共同体、在日本ラオス協会、カンボジア全世代青春交流会、クメールボランティア協会、在日カンボジア親善の会、インドシナ難民の明日を考える会、条約難民退所者グループ、国際救援センター入所者有志)
【展示・出展】
・夜間学級紹介(大田区立糀谷中学校夜間学級) ・日本語教育・定住状況展(協力:神奈川県インドシナ難民定住援助協会) ・ベトナムコーヒー店、ベトナム文化展示(かながわベトナム親善協会) ・ラオス物品の展示即売(在日本ラオス協会) ・カンボジア物品の展示即売(インドシナ難民の明日を考える会、在日カンボジア親善の会) ・国際電話のフリーコール(日本在住ベトナム人協会)
【難民理解入門講座】
「難民とは?」 講師:大原 晋(難民事業本部職員) 「インドシナ難民の歴史」 「迫害・出国・・・メコン川を越えて」<体験談> 講師:新岡 史浩(国際救援センター職員、ラオス出身)
このセンター祭は、一般の方々への難民問題の広報も目指しています。「展示・出展」は、内容が多肢にわたり、パネル展示や団体の活動紹介などを通じて参加者同士の相互理解の増進につながる場となりました。 「難民理解入門講座」では、難民問題の基本的な知識の習得として、難民定住者の脱出に至る経緯や状況等の体験談、また、難民の定義から世界の難民の現況報告まで、問題全般への理解から始めました。参加者からは「本やインターネットなどからは知ることのできない有意義な情報を得ることができた」、「難民定住者の方々のお話は印象的で日本での生活が想像以上に難しいものだと再認識した」などの感想がありました。
【討論会】 「定住コミュニティの現状と展望」─ 共に生きる社会をめざして
討論者: 日野 肇氏(かながわベトナム親善協会)
伊佐 リスレン氏(カンボジア人調整委員会代表)
ポンサワット ヌアントン氏(在日本ラオス協会副会長)
櫻井 ひろ子氏(神奈川県インドシナ難民定住援助協会会長)
司 会: 国際救援センター次長 水島 幸夫
討論会で意見をのべるコミュニティーの代表
討論会では各コミュニティーの代表から、難民定住者本人の日本語力の問題を皮切りにさまざまな定住上の問題点が挙げられました。コミュニティー団体では、それらの問題に対し、相互扶助活動に奮闘し、また二世世代への母国文化継承などの活動を行っています。しかし、コミュニティー団体の抱える問題点として、人材の確保と財政的な限界について触れられました。 話題が「若い世代を育てる場、年配者の集いの場となるような拠点の確保」などに及ぶと、会場の参加者からも「若い世代の役割について」や、「グループホームの方式を取り入れてはどうか」、「センターなどの公的な支援の継続の必要性について」など、活発な討議が繰り広げられました。 最後には参加者を含め、共に生きる社会を目指す、より深い相互理解のための「共に活動する機会と場所を持ち続けることの必要性」を確認し合いました。 センター入所者は、来場者に自分たちの母国語を教える「母国語講座」や、来場者との交流を図る「アオザイ(ベトナムの民族衣装)試着」、「ファッションショー」を行いました。これらは、この日のために何日もかけて準備したもので、母国語講座では、センターの日本語講師の熱心な指導のもと、教える側の日本語を習得するために特訓を重ねました。また、ファッションショーには、来場者からの予想を超える大反響があり、皆紅潮した面持ちながら充実感を味わい、自らの持つ母文化を披露することに自信を得たようでした。
センター入所者によるファッションショー
この行事の評価はただ一点、難民定住者への支援の一助になったかどうかですが、この行事が参加者の心に一粒の種を撒き、やがてコミュニティー内における相互扶助の増進にもつながっていくことを期待しています。 また、今回の「センター祭2002」は、外部の団体からの参加があって成立したものです。インドシナ難民のより安定した定住生活のため、日本が彼らにとってより豊かに住みよい国となることを目指した開催趣旨に理解を示し、実に多くの方々がボランティアで参加してくださいました。この場をお借りして深く感謝申し上げます。

「支援者の声 No.18」株式会社エヌ・テックの取組み

「支援者の声 No.18」株式会社エヌ・テックの取組み 株式会社エヌ・テックは、(財)アジア福祉教育財団主催の「平成14年度定住インドシナ難民とのつどい」において、難民雇用事業所として表彰されました。式典での代表取締役社長の秦野龍介さんの挨拶を紹介します。
表彰者代表の挨拶をする秦野社長
(財)アジア福祉教育財団主催の「定住インドシナ難民とのつどい」において表彰者代表の挨拶をする秦野社長
本日は、「定住インドシナ難民とのつどい」がこのように盛大な開催を迎えたことに、心よりお慶び申し上げます。本席にお招きいただき、定住インドシナ難民の雇用事業主として感謝状を賜ったこと、身に余る光栄と感謝し、厚く御礼申し上げます。 ご指名をいただきましたので、せん越ではございますが雇用事業主のひとりとして一言挨拶を申し上げます。 当社の事業内容と、インドシナ難民の皆さんとの出会いなどをご披露させていただきます。私共の本社は、神奈川県大和市にあり、創業8年と比較的歴史が浅く、工場が2ヵ所にあり、従業員120名の会社で、古河電工の子会社として、エレクトロニクス機器に使用される部品の組立・加工を主たる事業としており、コンピューターや通信機器の接続用の電線・ケーブルの端末加工とか、パソコンやゲーム機の内部に使用されている放熱部分の製作、さらに高速道路などに採用されているETC通行システム用の車載用アンテナの組立などをメインに行っており、人手(労働力)が頼りの会社といえます。 このような事業を進める過程で、平成10年7月に求人募集をした際に、国際救援センターの相談員の方から、当社の近くにある「いちょう団地」の県営住宅にお住まいのベトナム人4人の紹介を受け、相談員の誠意と熱意ある説得から、少々の戸惑いを持ちつつも初めて外国人労働者の受入れを決意しましたが、採用は2〜3ヵ月経つにつれ、真面目で勤勉さらに忍耐強い就業態度に、当初の不安は払拭され、逆に大いに感心させられたことを昨日のことのように覚えております。 その後、4名の方々の友人、知人、そのご家族の紹介などにより雇用の輪は広がって、平成12年度のピーク時には外国人就業者が40名を超える月もあり、現在では、33名の外国人就業者の中、18名のベトナム、カンボジアの人たちが元気に働いており、その方々の力と頑張りが、会社の発展を支えているものと感謝しております。 今年に入り、ISO9001の認証取得や、現場の作業者を中心とした小集団活動や生産性向上活動等の推進を行っておりますが、言葉や文字に対するハンディキャップを克服し、日本人と変わることなく、相互に理解しあいながら、安全で働きやすい職場を目指しております。その小集団活動のグループのひとつに、ベトナム人が中心のサークルで「ニヨン ムイハイ ウオイ(12人の仲間)」と名付けたメンバーたちも、多大な成果をあげております。 長引く景気の低迷とグローバル化による企業の海外転出等が加速する今日、国内産業として雇用を守り、生きぬくためには、働く者が力を結集する必要があります。そのためにも、難民の皆さんとはいえ、日本で一緒に仕事をする仲間として、自信と勇気をもって、明日の夢(目標)の実現に向けて頑張りましょう。 結びに、難民救援事業に対し、奥野理事長様をはじめ、国際救援センター関係者の方々のご尽力に心から敬意を表すものであります。 これからも、微力ではありますが、定住インドシナ難民の方々に雇用機会のお役立ちができるよう、心掛けてまいります。 本日はどうもありがとうございました。 「2002.12 アジア福祉教育財団機関紙『愛』」より転載

第23回「定住インドシナ難民とのつどい」

第23回「定住インドシナ難民とのつどい」 2002年10月20日(日)、「第23回定住インドシナ難民とのつどい」が、品川区立総合区民会館(きゅりあん)にて行われました。この催しについては、大勢の方々のご協力をいただいております。
奥野誠亮理事長より表彰を受ける模範難民定住者
奥野誠亮理事長より表彰を受ける模範難民定住者
第一部式典は、品川区助役(区長代理)、品川区議会議長、外務省国際社会協力部長、法務省入国管理局審議官ほか、90名近くのご列席を頂いて行われました。雇用主・協力団体・個人を含めて10名に感謝状が、また、カンボジア3名・ラオス3名・ベトナム8名の合計14名に模範難民として表彰状が授与されました。雇用主代表として、神奈川県大和市の(株)エヌ・テック 代表取締役社長 秦野龍介氏より、平成10年に初めてベトナム人4名を採用、当初多少の戸惑いがあったが2〜3ヵ月経つにつれ、真面目で勤勉、さらに忍耐強い就業態度に大いに感心させられた。その後、その4名の紹介などにより雇用の輪が広がって、現在では33名の外国人就業者中18名がベトナム、カンボジアの方々であり、彼らの力と頑張りが会社の発展を支えているものと感謝している、との挨拶を頂きました。続いて協力者代表として兵庫県姫路市で活動中の「がんばろう日本語」代表 神村正氏より、難民の方々の日本語が上手になりたいという熱心な希望に対する私たちの本当にささやかなボランティア活動を今後も引き続き行い、輪を広げて難民の方々が日本社会の中で安心して暮らしていくためにお役に立てればうれしいと思っている。しかし、活動を行っていく上で、我々だけでは解決できない問題があり、その一つは、指導者の数が足りないが、なかなか指導者が得られないこと、もう一つは、日本語を学習する必要がある人が、生活に追われ、勉強に来なくなってしまう、又は、来られなくなってしまうという現実があるので、関係行政が彼らに勉強のできる環境を整えてあげてほしい、とのお願いもありました。次に、模範難民代表から、日本に来るまでの経緯、職場や地域社会の日本人との交流によって幸せな生活を送っていることへの感謝と、将来は日本で学んだことを母国のために役立てたいとの決意を聞かせていただき(詳細は次頁に紹介しています)、緊張の中にも和やかな雰囲気の内に第一部式典は無事終了しました。
カンボジアの民族舞踏と歌
カンボジアの民族舞踏と歌 「マッツ・トゥーン」 香水売りの女性と農夫の出会いから結婚までの物語
第二部のアトラクションは、品川女子学院の学生たちによる明るく躍動感あふれる吹奏楽の演奏・演技が、また、当財団奥野誠亮理事長の挨拶に続いて、WiZ(ウィズ)による華麗なイリュージョンに会場は、驚き、楽しみ、不思議な世界を満喫した様子でした。 次に、雰囲気をがらりと変えて、難民定住者の中からカンボジアの代表がアンコールワットの背景で優雅な民族舞踊と歌を、ラオスの代表からは王族等の身分の高い人に捧げられる民族舞踊をはじめ寸劇と歌を、ベトナムの代表は女性3名による太鼓の歌に続き、子供によるピアノ演奏や歌を披露しました。毎年いろいろな工夫を凝らし、アイディアを出し合って、日々忙しい中で精一杯練習をした成果を存分に発揮できたことと思います。 最後にインドシナ難民定住者の出演者全員が舞台に立ち、来年の再会を約束しました。 模範難民定住者として、どのような方が表彰されたのでしょう。各出身国の代表の挨拶をご紹介します。

国際協力フェスティバルに参加しました

地域社会との交流
国際協力フェスティバルに参加しました 難民事業本部では、国際協力フェスティバル(2002年10月5日、6日 於:東京都千代田区日比谷公園)、及び彩の国POWER FESTIVAL(2002年10月12日、13日 於:埼玉県さいたま市さいたまスーパーアリーナ)に参加しました。 国際協力フェスティバル
国際協力フェスティバルに参加
国際協力フェスティバルに参加
国際協力フェスティバルは国際協力に対する理解と関心を高め、国際協力推進に貢献することを目的に毎年開催されており、今年も200を超える国際機関、NGO等の団体が参加し、各団体の活動、関係国の食べ物等を紹介しました。 難民事業本部のブースではインドシナ三国の団体に協力していただき、難民理解講座の開催、民族衣装と民族音楽による出身国の文化紹介、さらにインドシナ難民クイズ等により、インドシナ難民定住者の紹介をしました。 ブース来場者は両日で200名を超え、来場者からは「1万人を越えるインドシナ難民が日本に定住していることを知らなかった」、「日本にいる難民の状況についてあまり知らず良い勉強になった」等の感想が多く寄せられました。 彩の国POWER FESTIVAL
彩の国POWER FESTIVALに参加
彩の国POWER FESTIVALに参加。茶色の服が援助物資の袋から作ったものです。
彩の国POWER FESTIVALは、埼玉県が進めている彩の国700万人突破記念事業のメインイベントとして開催されました。国際交流をはじめ、音楽、ダンス、歴史、文化、特産などさまざまな分野の展示、舞台での演奏・公演の催し物があり、多くの来場者の下、活気のあるフェスティバルでした。 難民事業本部の参加は今年で2年目になります。国際協力フェスティバル同様多くの方がブースに来場し、難民理解講座、インドシナ難民クイズなど当事業本部の企画を楽しみました。 難民理解講座では、難民定住者が自分の体験、日本での生活などの話をしましたが、参加者が興味深く話を聞いていたのが印象的でした。 また、ブースに展示していたコンゴ民主共和国のアンゴラ難民が援助物資の袋で作った服(写真参照)に多くの人が興味を示し、良くできているととても感心していました。

第23回「定住インドシナ難民とのつどい」

第23回「定住インドシナ難民とのつどい」

 2002年10月20日(日)、「第23回定住インドシナ難民とのつどい」が、品川区立総合区民会館(きゅりあん)にて行われました。この催しについては、大勢の方々のご協力をいただいております。

奥野誠亮理事長より表彰を受ける模範難民定住者
奥野誠亮理事長より表彰を受ける模範難民定住者
 第一部式典は、品川区助役(区長代理)、品川区議会議長、外務省国際社会協力部長、法務省入国管理局審議官ほか、90名近くのご列席を頂いて行われました。雇用主・協力団体・個人を含めて10名に感謝状が、また、カンボジア3名・ラオス3名・ベトナム8名の合計14名に模範難民として表彰状が授与されました。雇用主代表として、神奈川県大和市の(株)エヌ・テック 代表取締役社長 秦野龍介氏より、平成10年に初めてベトナム人4名を採用、当初多少の戸惑いがあったが2〜3ヵ月経つにつれ、真面目で勤勉、さらに忍耐強い就業態度に大いに感心させられた。その後、その4名の紹介などにより雇用の輪が広がって、現在では33名の外国人就業者中18名がベトナム、カンボジアの方々であり、彼らの力と頑張りが会社の発展を支えているものと感謝している、との挨拶を頂きました。続いて協力者代表として兵庫県姫路市で活動中の「がんばろう日本語」代表 神村正氏より、難民の方々の日本語が上手になりたいという熱心な希望に対する私たちの本当にささやかなボランティア活動を今後も引き続き行い、輪を広げて難民の方々が日本社会の中で安心して暮らしていくためにお役に立てればうれしいと思っている。しかし、活動を行っていく上で、我々だけでは解決できない問題があり、その一つは、指導者の数が足りないが、なかなか指導者が得られないこと。もう一つは、日本語を学習する必要がある人が、生活に追われ、勉強に来なくなってしまう、又は、来られなくなってしまうという現実があるので、関係行政が彼らに勉強のできる環境を整えてあげてほしい、とのお願いもありました。次に、模範難民代表から、日本に来るまでの経緯、職場や地域社会の日本人との交流によって幸せな生活を送っていることへの感謝と、将来は日本で学んだことを母国のために役立てたいとの決意を聞かせていただき(詳細は次頁に紹介しています)、緊張の中にも和やかな雰囲気の内に第一部式典は無事終了しました。

カンボジアの民族舞踏と歌
カンボジアの民族舞踏と歌
「マッツ・トゥーン」
香水売りの女性と農夫の出会いから結婚までの物語
 第二部のアトラクションは、品川女子学院の学生たちによる明るく躍動感あふれる吹奏楽の演奏・演技が、また、当財団奥野誠亮理事長の挨拶に続いて、WiZ(ウィズ)による華麗なイリュージョンに会場は、驚き、楽しみ、不思議な世界を満喫した様子でした。
 次に、雰囲気をがらりと変えて、難民定住者の中からカンボジアの代表がアンコールワットの背景で優雅な民族舞踊と歌を、ラオスの代表からは王族等の身分の高い人に捧げられる民族舞踊をはじめ寸劇と歌を、ベトナムの代表は女性3名による太鼓の歌に続き、子供によるピアノ演奏や歌を披露しました。毎年いろいろな工夫を凝らし、アイディアを出し合って、日々忙しい中で精一杯練習をした成果を存分に発揮できたことと思います。
 最後にインドシナ難民定住者の出演者全員が舞台に立ち、来年の再会を約束しました。

 模範難民定住者として、どのような方が表彰されたのでしょう。各出身国の代表の挨拶をご紹介します。

「支援者の声 No.15」微笑との出会い

「支援者の声 No.15」微笑との出会い 兵庫県にはラオス難民定住者約80人とその家族が暮らしています。ラオス難民定住者の生活相談や、日本語学習の支援に関わられている乾美紀さんは、「在日ラオス系住民の定住と教育に関する研究」、「アメリカに定住するモン族(ラオス)難民の異文化適応に関する定性調査」などについても研究されています。長年のラオスと関わりについて、お話を伺いました。
ラオスの人たちとの出会いを思い出すとちょうど10年前になる。当時日本語教師として働いていたアメリカ・ウィスコンシン州の高校にたくさんのラオス系難民の学生がいた。彼らは、命からがら辿り着いた多民族社会アメリカで、ラオスの文化を静かに守っていた。アジアの文化を共有する私にだけは、ラオスの生活、食事、習慣、言葉などを笑顔でこっそり教えてくれた。その控えめながら強い心にたちまちとりこになり、私は日本語よりも英語を教えるようになった。それが、彼らにとっての一番の生活手段だったからである。 日本に帰っても急にラオスの味が恋しくなった。神戸の近くにもラオスの人たちが住んでいると聞いて、思い切って姫路の「ラオスの家」を訪ねてみた。残念ながら、畑の中にあったその家は今はもうなくなってしまったが、毎週日曜日になるとラオスの方々が集まる様子は、まるで「小さなラオス」そのものであった。 そこを訪ねるたびに、ラオス語が下手な私を、上手な日本語で迎えてくれた。彼らの微笑みには不思議な魅力が溢れていた。「ラオスの家」ではたくさんの料理に舌鼓を打ち、伝統的なラオスの踊りを教わった。 私はますますラオスのとりこになり、いつしかラオスを行き来するようになった。 ラオスでいつも私を歓迎してくれるのは、姫路やアメリカに住むラオスの方々の親戚だ。彼らは、いつも懲りずに笑顔で私をもてなしてくれる。そこはもう、「小さなラオス」ではなく、ラオスそのものである。本場の料理に賑やかな音楽、風がとおる水田、静かに流れるメコン。そして、ラオス語しか通じない世界。いつも身振り手振りで気持ちを通わせた。日本で生まれ育った私にとってラオスの環境は厳しく、病気を患ったこともしばしば。しかしそんな時でも、ずっと笑顔で支えてくれた。彼らの笑顔に何度助けられたことだろうか。 国境を越えて家族も分散されたという苦難の歴史を持つにもかかわらず、その苦労を全く感じさせない笑顔。なぜそんな笑顔を見せることができるのか、いつも不思議に思い、頭の下がる気持ちでいた。私は今もっとラオスという国について理解したいと思う。彼らがとおり過ぎたさまざまな経験を共有することはできないが、今後ラオスの人たちと共に過ごす時間をもっと持てたらそれが幸いである。 「かんさいレポート 2002年秋の号」より転載

インドシナ難民雇用の現状について

テレビ基板の組立を行うベトナム出身の定住者インドシナ難民雇用の現状

難民事業本部では、国際救援センターに入所した人のうち就職を希望する人に対して職業相談、就職あっせんを行っています。2001年1月1日から12月31日の入所者数は141名で、うち就職したのは52名でした。この数年センターへの入所時期は4月と8月の2回となっており、退所の時期はその6ヵ月後の10月と3月になっています。入所者は退所後の生活がかかっていることから、退所の2ヵ月前から必死に就職活動を行っています。この他に、既に定住している人たちの再就職者の相談、あっせんもあり、年間相談件数413件、就職者数35名でした。やはり、現在の雇用環境の厳しさから、相談件数は多く、就職者数は少ない難しい状況にあります。しばらく前までは日本語力が十分でない人たちでも雇用の機会がありましたが、最近は少なくとも伝票の記入ができる程度の能力が要求されるようになっており、センターで約4ヵ月間の日本語教育と約20日間の社会生活適応指導の課程を修了したとはいえ就職活動は難しさを増しています。 インドシナ難民の雇用の促進を目的として、雇用促進月間を2001年11月に設け、労働局、公共職業安定所、商工会議所、雇用主の方々との懇談会等を開催するほか、インドシナ難民を雇用する7企業と5公共職業安定所を訪問して情報交換をしました。企業からは、親類の冠婚葬祭のために母国に帰ると、1ヵ月も2ヵ月も日本に戻らないなど、宗教的、文化的行事のために長期休暇をとる人がいて困っているという意見がある一方、クリスマスに全員が無断欠勤したため、その後通訳をとおして就業規則を説明し、日本語が分からないとの言い訳を許さない態度をとっているという発言や、規則が守れない場合は解雇すると最初に伝えているという発言もありました。(有限会社日昇企画の取組みを紹介) 現状では再就職しようとしても厳しい状況にあり、いかに現在の職場に定着するかが重要となっています。再就職にも定着にも日本語力の向上は欠かせませんが、日本語力は周りに支援者がいるかいないかでセンター退所後の伸びに大きな差が出ます。各地のボランティア団体では日本語教育のほかに、生活や仕事をするための習慣などを教えることも多く、その活動は好評です。また、二世三世は言葉の障害がないので、事務関係の職でも力を発揮できるようになっているのは心強いことです。しかし、引き続きアフターケアの必要性があり、地域社会での連携が不可欠ですので、関係者に一層のご協力をお願いしました。

定住難民日本語学習援助委員会の開催

定住難民日本語学習援助委員会の開催

当難民事業本部では、インドシナ難民に対する日本語教育アフターケア事業である日本語学習援助事業の適切な実施を目的に、有識者による検討を行うための標記委員会を、2002年3月7日(水)に開催しました。 平成13年度の委員会は、内閣官房インドシナ難民対策連絡調整会議事務局内閣参事官補佐 伊東勝章氏、久留米大学法学部教授 大家重夫氏(委員長)、社会福祉法人日本国際社会事業団事務局長 大森邦子氏、独立行政法人国立国語研究所日本語教育部門長 杉戸清樹氏、社団法人国際日本語普及協会理事長 西尾珪子氏、文化庁文化部国語課日本語教育専門官 橋本祥介氏、財団法人海外技術者研修協会研修部日本語課 春原憲一郎氏(五十音順)の7名の委員で構成されました。 委員会では、平成14年度日本語教育アフターケア事業の実施方針の検討及び同方針の承認がなされました。14年度の事業実施方針は、(1)ボランティア団体等へ当事業本部が開発した教材を配布する日本語学習教材援助事業、(2)ボランティア団体へ日本語専門家を派遣して指導・教授法の向上を図る日本語教育ボランティア育成事業、(3)ボランティア団体を通じてインドシナ難民に直接日本語教育を行う日本語通信教育事業について、13年度に引き続き同様の内容で実施することとなりました。また、日本語教育副教材「定住新聞こんにちは」の発行及び日本語教育相談員の配置についても、引き続き実施することとしました。

日本語教育ボランティア育成講座の開講

日本語教育ボランティア育成講座の開講

講師の解説を受けながらの実習
インドシナ難民定住者の多くは、センターで4カ月の日本語教育を受けて退所した後も、職場や学校などで言葉の問題にぶつかることは少なくありません。また、家庭の主婦でも家事や育児によりなかなか日本語学習の機会が得られないのが実情です。こうした難民定住者の多くは、地域のボランティアなどの支援を受け日本語学習を継続しています。 難民事業本部では、これら日本語ボランティアの拡充及び日本語指導法の研修を目的として、インドシナ難民定住者に対し日本語教育を行っているボランティア団体と共催で「日本語教育ボランティア育成講座」を実施しています。 2002年度は神奈川県で3講座、兵庫県で1講座の計4講座を開講したので、その概略をご紹介します。

● 海老名日本語教室さくら会

神奈川県海老名市の海老名日本語教室さくら会では、日本語を学習している外国籍の方に実際に学習者として参加していただき、本講座の受講者が指導を行い、それについて講師が解説を加えるなどして実践的な研修が行われました。

● 神奈川県インドシナ難民定住援助協会

神奈川県大和市の神奈川県インドシナ難民定住援助協会では、外国籍児童・生徒の学習日本語の習得を目的に、講師が外国籍児童・生徒に対して、実際に教科指導を通じて学習の中で使われる特別な日本語についての指導を実演しました。 もう1つの講座では、元大和定住促進センター主任日本語講師を招き、外国籍児童・生徒に対する日本語教授法について講義を開催しました。

● 城東町補習教室

兵庫県姫路市の城東町補習教室では、日本語と国語の違いなどを演題にした講義を行いました。受講者にとって、改めて国語という教科を外国人や日本語教育の視点でとらえ直す内容となりました。 このように、それぞれの講座で工夫を凝らしながら、特徴のあるボランティアの日本語指導者の育成が行われました。

第87期入所者の日本語教育 日本語学習発表会

第87期入所者の日本語教育 日本語学習発表会
 2002年1月29日(火)と30日(水)の両日、国際救援センターにおける日本語学習の修了を目前にして、生徒(第87期入所者)の会話力を披露する発表会が行われました。この発表会に際しては生徒がこれまでに習得した日本語力を十分に発揮できるよう担当講師がいろいろと工夫を凝らしたこともあり、各クラスとも特色のある発表会となりました。
児童クラスの生徒は手作りの紙人形を使って自分の創作した話を芝居っ気たっぷりに発表しました。また、比較的日本語力の高い成人クラスの生徒は自国の地理・歴史、自分自身のこと、将来の夢などについて要領よく文章をまとめて話しました。そして、高齢者クラスの生徒は自分で描いた家族の絵や母国の風景画を発話の材料として懸命な中にも心温まる姿が見られました。 この発表会に向けて生徒は、限られた時間の中で表現内容を必死で考え、それを何度となく練習して覚えたり、自発的に作成した招待状をセンター内の人たちへ日本語で説明しながら配って歩きました。また、講師も生徒の日本語学習成果を最大限引き出そうと、生徒一人一人に熱心な指導を行いました。 今回の発表会は、冒頭でも触れたように生徒の日本語力に応じた発表・表現方法が工夫されていて、大変個性豊かなものとなりました。生徒たちは、自己表現のために必要な日本語を覚えて表現することによって、日本語学習の成果を実感できたことに喜びを感じ、また、日本語表現の自信にもなったようでした。聴衆に回った講師やセンター職員からは、生徒が緊張しつつも原稿に頼らず、しっかり前を向いて堂々とスピーチできたことに驚いた、個性的な自己表現を見られて生徒一人一人への理解が深まった、生徒の努力とひたむきさには感動した、など多くの感想がありました。 日ごろ、受け身の立場で学んできた生徒たちが、聴衆を前にして自分の考えを発表できたことは、これから社会に出ていく彼らにとって大きな自信になったと思われ、今後も発表会を続けていきたいと考えています。

難民支援活動ワークショップ「スフィア・プロジェクト」

難民支援活動ワークショップ「スフィア・プロジェクト」

難民事業本部では、日本の難民支援NGOのスタッフの難民支援活動に関する専門性の向上のため、パリナック・ジャパンフォーラム*に協力いただき、「難民支援活動ワークショップ」を実施しています。今回は、2002年1月23日(水)、24日(木)の2日間、スフィア・プロジェクトに関するワークショップを開催しました。講師はアメリカの同プロジェクトトレーナーのジム・グッド氏です。 スフィア・プロジェクトは、1994年のルワンダ難民支援の際、NGOの援助内容にばらつきが生じ難民の人権をも侵す事態が発生した反省から、欧米の大手人道支援NGOが作成した人道憲章と災害援助に関する最低基準書です。その内容は、援助活動における難民・被災民の人権保護が明確にうたわれた「人道憲章」にはじまり、「給水と衛生」、「栄養」、「食糧」、「シェルター」、「保健」という主要5分野に関する援助内容の最低基準の詳細を説明しています。 ワークショップでは、まず、「人道憲章」に記されている人権法、人道法、難民法の内容、背後にある基本的な考え方、これらの国際法が援助活動に与える影響を学習した後、スフィア・プロジェクトに記されている「最低基準」を実際の活動にどのように反映させていくかの概念を学びました。その後、前述の分野ごとに5つのグループに分かれ、スフィア・プロジェクトを利用した緊急時におけるプロジェクトの評価・分析方法に関するケーススタディを行い実践的な力を身につけました。それぞれのグループでは活発な議論がされ、また講師へ多くの質問が出されるなど、参加者が大変真剣にワークショップに参加しているのが印象的でした。 参加者からは、「人道憲章」の重要性を理解することができた、スフィア・プロジェクトを利用したケーススタディを行うことで実践的な力を身につけることができたといった感想が寄せられるなど、参加者にとって大変有意義なワークショップになったようです。世界の緊急人道支援の現場ではスフィア・プロジェクトの有用性が認識され、スフィア・プロジェクトを知らないではすまされない時代が来ています。現場に行く前の実務者のトレーニングとして、今回のワークショップが大きく寄与するものと期待しています。 * 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)日本・韓国事務所と日本NGOとの対話会合

日本におけるインドシナ難民の立場

日本におけるインドシナ難民の立場

インドシナ難民と日ごろ交流のある方々や、在日外国人支援を行っている団体等の方々に「日本におけるインドシナ難民の立場」を理解していただくため、次のようなお知らせを配布しています。

2001年12月20日(木)には外務省が開催した「都道府県政令指定都市国際交流実務者会議」で配布されました。お知らせについての問合せは難民事業本部援護課までご連絡ください。
日本におけるインドシナ難民の立場
1. インドシナ難民とは

1975年、インドシナ三国(ベトナム、ラオス、カンボジア)では、相次いで政変が発生しました。社会主義体制への変革に伴い、新体制下で迫害を受ける恐れがある、あるいは新体制になじめずに、難民となって周辺国へ流出した人々を総称してインドシナ難民といいます。

2. 我が国のインドシナ難民の受入れ
 1975年5月、我が国へも初めてベトナムからボート・ピープルが到着しました。当初は一時的な滞在のみを認めていましたが、人道上の国際協力という面のみならず、アジア地域の安定という面からも重要と考えられたため、1978(昭和53)年4月の閣議了解により、日本への定住を認めることとしました。翌年からは、東南アジア諸国のキャンプからの定住も認めています。
なお、我が国へのボート・ピープルの到着は1994年以降ありませんが、現在も日本に定住している家族との統合を目的とした受入れを行っています。

3. インドシナ難民の立場
(1) インドシナ難民の定住受入れは、日本が難民条約に加入する以前から実施しているもので、難民条約に基づいて認定を受けた難民とは異なり、「難民認定証明書」を交付されていません。
また、本国から脱出してきたという立場上、パスポートも所持しておらず、また、多くの場合には、在日の大使館から婚姻や永住・帰化の手続きに必要な「国籍に関する証明書」や「婚姻要件具備証明書」の交付を受けることができません。
同様に、難民の両親から産まれた子供は、在日の大使館に出生届が出されていないため記録が作成されず、本国から出生や婚姻などの証明書の入手ができないこともあります。
(2)インドシナ難民の中には、既に永住の資格を取ったり、日本国籍に帰化した人もいますが、依然上記のように各種証明を得るのが困難な人も多いのが実情です。
なお、インドシナ難民については、政府内の合意により、難民条約に基づいて認定を受けた難民に準じた取扱いをすることとされています。

●公益財団法人アジア福祉教育財団難民事業本部
当事業本部は、我が国に受け入れられたインドシナ難民に対して、各種の支援を行っており、その一環として、本人からの申し出により、インドシナ難民であることを確認できる証明書を発行しています。詳しくは援護課までお問い合わせください。

難民支援活動ワークショップ「入門編」を開催しました

▲第3回「難民を助ける」で参加者が考えた支援プロジェクトの例

援助内容 健康面のケア、食糧の援助、子供の教育(現地で活動しているNGOの支援)
援助対象人数 1000人
援助期間 難民が自国に戻れる状況になるまで
予算と予算の調達方法 募金、会費、国際機関、ジャパン・プラットフォームより500万円から1000万円程度
想定される問題 食糧が治安面などの問題により難民まで届かない。不公平な分配。難民たちの依存心。

難民支援活動ワークショップ「入門編」を開催しました

難民事業本部は、2001年11月1日(木)、8日(木)、15日(木)の3日間、学生から社会人まで約20名の参加を得て、「難民支援活動ワークショップ(入門編)」を開催しました。参加者は、4グループに分かれて、第1回から第3回まで合計6つのグループワークを行いながら、難民問題についての理解を深めていきました。 ワークショップ第1回目のテーマは「難民を知る」です。この回では、難民とはどのような人のことをいうのか、どこにどのくらいの難民がいるのか、難民発生から解決までどのような経緯をたどるのかなど、難民問題の基礎を学びました。 第2回目は、特定非営利活動法人難民を助ける会の前マケドニア事務局長の藤崎整雄氏を招き「難民になる」をテーマに、難民がどのような状況に直面し逃げなければならなかったのか、逃げた先ではどのような生活を送るのかをビデオを観て疑似体験しました。参加者はビデオを参考にしながら「何が原因で難民になるのか」、「どのような場所へ逃げるのか」、「避難した場所での1日の生活」についてグループで話し合いました。その後、藤崎講師からマケドニアの国内避難民を例に、難民の生活の実情などを話してもらい、自分たちが想像した生活と比べることで理解を深めていきました。ワークショップの最後には、藤崎講師からの呼びかけにより、マケドニアの子どもたちに励ましのメッセージを書くことで、実際に難民支援を体験しました。 第3回目は、特定非営利活動法人ピース ウィンズ・ジャパンでシエラレオネのプロジェクトを手がけた明城徹也氏を講師に「難民を助ける」をテーマに行いました。ここでは、参加者がシエラレオネの帰還民に関するバックグラウンドペーパーを読み、NGOのスタッフになりきって支援プロジェクトを作成・発表するというグループワークを行いました。続いて、明城講師からシエラレオネにおけるピース ウィンズ・ジャパンのプロジェクトを実際に見聞きすることで、支援活動のイメージを具体化していきました。 ワークショップは、楽しく、明るい雰囲気の中で進められていきました。参加者のグループワークへかかわる姿勢も積極的で、講師が予想もしなかったような質問、意見が聞かれました。参加者からは、現場で活動するスタッフの話を聞くことができ、難民についての理解が深まった、これからもっと難民問題に関心を持っていきたいなど好評でした。

第22回「定住インドシナ難民とのつどい」 (2001年)

第22回「定住インドシナ難民とのつどい」 (2001年)

第二部の最後にインドシナ難民定住者の出演者全員と観客が来年の再会を約束しました 2001年10月28日(日)第22回「定住インドシナ難民とのつどい」が、品川区立総合区民会館(きゅりあん)で行われました。この催しには、毎年、ジャパンタイムズ社をはじめとして大勢の方々のご協力をいただいています。

 第一部式典は、外務省国際社会協力部長、法務省入国管理局審議官、品川区議会議長、品川区企画部長ほか、百名近くのご列席をいただいて行われました。難民定住者の雇用に協力していただいている事業所8社と日常物心両面にわたって支援をいただいている協力者7名に感謝状が贈られ、また、ベトナム8名・ラオス4名・カンボジア4名の方々に模範難民定住者として表彰状が授与されました。事業所代表として、ベトナムの難民定住者を10名雇用されている須永鉄工(株)専務取締役須永由美子氏より、初めは日本人従業員から日本語を教わりながら努力して働いていた彼らが、今では会社の貴重な戦力となっているとのご挨拶を、また、協力者代表として浅井清子氏より、日本語教育ボランティアとしての豊富な経験談と、この活動をとおして教え子たちのより一層の活躍を祈念するご挨拶をいただきました。次に、模範難民定住者代表より、職場や地域の日本人との交流によって幸せな生活を送っていることへの感謝と、これからも日本社会の一員として頑張っていくとの決意があり(挨拶は次頁に紹介しています)、緊張の中にも和やかな雰囲気のうちに式典は無事終了しました。

 第二部のアトラクションは、武蔵野中学・高等学校マーチングバンド・ソングリーダー部による明るく躍動感あふれる演奏、演技で幕を開け、奥野誠亮当財団理事長の挨拶に続いて、GOTHICKS【ゴシックス】による神秘的なイリュージョンマジックあり、スリリングな綱渡りありのバラエティーに富んだエンターテイメントに会場から拍手喝采が挙がりました。次に、雰囲気をがらりと変えて、難民定住者からはカンボジアの代表が、アンコールワットを背景にして優雅な宮廷舞踊と、男女10名によるココナッツの殻を使った民族舞踊を紹介し、ラオスの代表が、日本で育った子供たちによる民族舞踊と、大人による民族楽器を使った演奏を披露しました。最後のベトナムの代表からは、民族衣装のアオザイを身にまとった女性たちの歌と、元気の良い子供たちの民族舞踊があり、日々忙しい中での練習の成果を存分に披露しました。
また、今年は、ふだん難民定住者との接触が少ない日本人の方々にも彼らと和やかに対話ができるよう「定住者との交流の場」を設け、短い時間でしたが、つかの間の交流を楽しんでいただけたと思います。

 模範難民定住者として、どのような方が表彰されたのでしょう。各出身国の代表の挨拶をご紹介します。

地域社会との交流

地域社会との交流 サマーキャンプ2001
サマーキャンプ2001「若者世代による討論会」
7月28日(土)、29日(日)の両日、国際救援センターにおいて「サマーキャンプ2001」を開催しました。今回で三回目となる「サマーキャンプ」ですが、開催の意図はインドシナ難民定住者が日本社会で自立に向け一生懸命努力しているものの、まだまだ周りからの支援を必要としている状況を踏まえ、定住者と日本人が一堂に会し、相互理解を深め、信頼関係を築くことによって定住者の円滑な社会生活につなげたいというものです。 プログラムとしては参加者にインドシナ難民について理解を深めてもらうものとして、(1)難民問題ワークショップ、(2)若者世代による討論会、(3)難民関係のパネル展示等がありました。また、インドシナ三国(ベトナム、ラオス、カンボジア)と日本の文化交流ということで、インドシナ三国の文化として(1)母国料理デモンストレーション、(2)民族衣装等の展示、(3)ベトナムの遊び(羽根けり)が、また、日本の文化として、(1)書道教室、(2)日本の遊び、(3)武道(少林寺拳法)デモンストレーション等が行われました。この他にも、定住者の子供(中・高校生)を対象とした日本人ボランティアによる学習指導と教育相談、定住者の子供(小学生)と日本人ボランティアによる小学生とのふれあいというプログラム、また、定住者の親と子の世代間にカルチュラル・ギャップ(文化的隔たり)が生じていることを考慮して、子供たちに対し母国文化について講話をするなどの母国文化継承教室が行われました。28日の夕刻には屋外広場で参加者交流として、民族衣装のファッションショー、民族舞踊、盆踊り等がバーベキューを交えて行われました。 特に、難民問題ワークショップでは難民の母国脱出から日本定住までの当時の記録映像を上映するなどし、参加者の難民に対する理解を深める上で役立ったと思われます。また、若者世代による討論会では、若い定住者と同世代の日本人により活発な討論が行われましたが、いわば日本育ちともいえる定住者といえども、日本社会に壁を感じていること、また、二つの母国のはざまで揺れている姿がにじみ出ていました。 今回のサマーキャンプの一つの特色としては、これまでと比べ参加者の多くは若者世代であったことが挙げられます。この理由としては、日本語能力の高い若者世代は日本人との交流にもそれほど大きな抵抗感がないため参加を容易にしていると考えられます。参加者数も一日半の日程で延べ約900人に上り、定住者がかなりの部分を占めました。定住者の人々は日ごろ同胞間での交流は比較的限られた範囲になっているようで、年に一度国際救援センターのような広い場所で多くの同胞と会し、思い切りエネルギーを発散させることがストレス解消につながるとして、この「サマーキャンプ」をとても楽しみにしているようです。

第86期入所者の日本語教育 戸外学習

第86期入所者の日本語教育 戸外学習
戸外学習で品川水族館を訪れる高齢者クラス
2001年7月18日(木)国際救援センター第86期入所者は、日本の交通 機関の利用方法等を学ぶため、品川水族館行き(高齢者クラス、児童クラス)と東京タワー行き(成人クラス)に分かれて戸外学習を行いました。入所者のほとんどは日本に来て間もない人たちです。バスの乗り方や電車の切符の買い方、レストランでの注文の仕方等は教室で繰り返し練習していますが、戸外学習はこれを実際に体験するものです。 当日は、30度を超える暑さの中センターを出発し、品川水族館へはバスを乗り継ぎ、また、東京タワーへはバスや地下鉄、モノレールを乗り換えて向かいました。バスの乗車の際は生徒の一人が後ろの生徒へ母国語で乗車料金を伝達したお陰で全員が問題なく乗車できました。児童クラスでは、切符販売機に片手を精一杯伸ばし、一人で切符を購入する姿が、成人クラスでは、生まれて初めてモノレールに乗り、揺れて落ちるのではないかと心配をする姿も見られました。 生徒たちは日本の交通機関を実際に利用し、また、日ごろ教室で学んでいる日本語を使用する機会を持つことができ、貴重な一日を過ごしました。

定着指導・雇用状況調査の実施

トミタテクノス(株)で働くインドシナ難民定住者定着指導・雇用状況調査の実施

難民事業本部では、例年数回、定着指導・雇用状況調査としてインドシナ難民定住者を雇用している企業や管轄の公共職業安定所などを訪問し、状況を伺っています。2001年6月に大阪府及び兵庫県の企業並びに所管の布施及び姫路公共職業安定所を訪問しました。 訪問した企業では、現在特に問題はなく良好に定着しているとのことであり、定住者も元気で就労している状況がうかがえました。公共職業安定所では、管内の外国人労働者の雇用状況という面 で話を伺い、不況下で求人件数そのものが少ない中、企業側からは日本語能力の重要視があるほか、安全な作業を行うための管理等の面 で不安があること。また、定住者に対しては、社会情勢に関する情報不足や職業能力の自己評価ができていないなど、定住者の求職に関する意識の問題も指摘されました。 今後とも、企業には定住者に対する認識と理解が、定住者には社会環境の理解や日本語能力の向上が不可欠であると思われました。 定住者を雇用する企業の状況として、訪問企業のトミタテクノス(株)の冨田会長のお話を紹介します。この企業は、金属プレス加工による車のスピーカーフレームやOA部品の製作、金型設計等を行っていて、姫路定住促進センター開設以来多数の定住者が雇用されており、現在26名が日本人と共に就労しています。 「いわゆる3K作業の職場であり、日本人の若年労働者が育ちにくい中にあって、定住者は多忙時の残業や休日出勤等にも快く応じてくれ、職場になじんでもらえているし、言葉の面での多少の悩みはあるものの、標準作業や機械操作等仕事の習熟は良いと思われる。一方、終業時間の割り切りは敏感で、作業があっても終業時間には止めてしまうとか、長期に里帰りをしてしまう、といった日本人従業員から見ると不満がでる部分もあるが、幸い、定住者である製造部次長が、仕事上の管理や調整を行うことで全体的には良好な関係である。今後、日本が少子高齢化する中で、定住者を雇用し活躍してもらうことは、技能の伝承の面 でも必要なことと思っている。」

第86期入所者の日本語教育

第86期入所者の日本語教育
センターだより「第86期の日本語教育」 2001年5月現在、国際救援センターでは第86期入所者のうち69人が日本語教育90期生として日本語を勉強しています。年齢は6歳から79歳までで、教室は年齢や能力に応じて8クラスに分かれています。
日本語の授業は月曜日から金曜日までの週5日間、午前9時30分から午後3時40分までです。これが約4ヵ月続きます。センター退所後生徒たちは今後ずっと日本で生きていかなくてはなりません。日本語は第二の母語となるわけですから、日本で暮らしていくために必要な生活の言葉としてその基礎を学びます。 4ヵ月の日本語の学習期間は日常生活に必要な最低限の教育のための期間です。最近は、既に定住している子供に呼び寄せられて来日した高齢者も増えています。高齢者の中には健康に問題があったり、母語の読み書きができなかったりする人もいます。どのクラスでも講師陣は限られた期間内に成果を上げようと、さまざまな工夫を重ねています。 8つのクラスは成人クラス、高齢者クラス、そして児童クラスに分かれています。中でも10代から50代半ばまでの成人クラスは人数も多く、センターの日本語教育の主要部分を占めています。このクラスの生徒はセンターを退所後、生活を支えるため働かなくてはなりません。職場でできるだけ困らないように、また日本人社会の中でうまく意思疎通ができるように、日本語の基礎をコミュニケーション重視の実践的な練習を取り入れながら学習しています。日本語力の土台をつくる初級文型の学習、職場や病院、買物など場面別会話の練習、挨拶や感謝、謝罪、依頼など機能別表現の練習などが、その主な内容です。 高齢者クラスでは、高齢者のための特別なカリキュラムで授業が行われています。高齢になってから異国で暮らすことになった人たちですので、日本での生活にできるだけスムーズに慣れることができるような工夫が日本語の学習を通してされています。例えば毎日行う体操は、数や位置を表す言葉、高齢者にとって欠かすことのできない身体部位を表す言葉の学習であると同時に、健康を維持し気分転換を図るのに役立っています。 児童クラスは、学齢期の児童が対象です。生徒はセンター退所後、日本の小学校へ通 うことになるので、学校生活への適応を目標とした日本語教育が行われています。聞く、話す、読む、書く練習を、子供のために選ばれた語彙や文型で楽しく学習するとともに、小学校1、2年で配当されている漢字の学習や九九の練習など、学校での教科学習もある程度念頭に入れた授業が行われています。 4ヵ月の学習期間の間には、戸外学習や「会話の日」など特別な行事も予定されています。戸外学習では成人クラスは東京タワーに、高齢者クラスと児童クラスは水族館に行き、公共交通機関の利用の仕方やレストランでの注文の仕方などを実地体験します。「会話の日」では大学生やセンター職員など、日本語教師以外の日本人の協力を得て、生徒たちができるだけ多くの日本人と日本語で会話する機会をもてるよう努めています。 日本語の学習は決してセンターにいる間だけのものではありません。センター退所後も努力は続きます。どうぞ応援をお願いします。

国際救援センター入所者による自治会活動

国際救援センター入所者による自治会活動
自治会スタッフとセンター職員は入所者がよりよい共同生活を過せるよう話し合いを重ねています。 国際救援センターの入所者は約6ヵ月間にわたって共同生活をします。この間の生活を円滑にするため入所者で組織する「自治会」がさまざまな活動を行っています。自治会は代表、副代表、安全係(施設内の安全管理、清掃指導)、生活係(食堂ホールの管理)、郵便係(入所者への郵便物の配布)、レクリエーション係(スポーツ用具、談話室の管理)の6人のスタッフが中心となって運営されています。
自治会によるいろいろな発案を具体化するに際しては、主に6人のスタッフがセンター職員と話合いをしながら進めています。これまでに食堂ホール内への自炊設備の設置、カラオケルームの開設、バレーボールや卓球等のスポーツ大会の実施、親族のセンター内泊許可等が自治会の発案により実現しています。 また、先ごろは女性入所者の希望により新たにスポーツ用品の補充が行われました。今まであった卓球用具は、使用している人のほとんどが男性でした。そこで、女性でも楽しめるスポーツとしてバドミントン用具を増やすことになりました。自治会を通じ、入所者は自分たちの意見が具体的にセンター生活に反映されている実感が持て、自治会への信頼、また、協力の機運も高まる結果となっています。スタッフは自治会活動に時間を取られることにもなりますが、入所者のために役立とうと積極的に取り組んでいます。

ふれあいは挨拶から(国際救援センター警備室より)

ふれあいは挨拶から(国際救援センター警備室より)
国際救援センターの警備室前では警備員と入所者のふれあいが多く見られます 皆さんご存知でしょうか。国際救援センターに居住しているインドシナ難民入所者、また、彼らに面会に来る定住者等を含め、難民と一番多く接触があるのは年中無休・24時間体制で勤務をしている警備員といえるでしょう。
外出や外泊及び面会の際、彼らは必ずセンター正門にある警備室の窓口に立寄ることになっています。(少ない日で40〜50人、多い日は100人以上、センターの大きい行事がある時は400〜500人の入出門があります。)従って、とりわけ常時在住している入所者とは自然と対話の機会が多く、初めはほとんど話せなかった日本語も学習が進むにつれて警備員とも徐々に意思が通じるようになります。警備員は彼らと顔を合わせる度、また巡回ですれ違う度、「おはようございます」、「今日は」、「今晩は」といった簡単な挨拶をゆっくりとした口調で話し掛けることにしています。なぜなら彼らにとっては早い、切れ口の良い言葉は、初めのうちどうしても聞き取れないようで、何か悪いことをしてしかられていると受け取ることもあるようです。 誰しも知人や同胞には親近感が持てても、共通点の少ない他国の人を最初から素直に受け入れるのはなかなか難しいということでしょう。警備員は彼らがなるべく理解しやすいように優しい口調、易しい言葉で接するように心掛けています。それが彼らに安心感と親しみを与えることになると思っています。皆さんも、もしセンターや町で彼らと話す機会がありましたらできるだけゆっくりとした話し方で接していただければと思います。

社会生活適応指導

社会生活適応指導 「先輩定住者の講義」
先輩定住者の講義
国際救援センターの社会生活適応指導では、「社会人との懇談」という授業の中で、センターを退所した先輩定住者を講師に招いて、入所者に対し日本で生活する上で大切なことや体験談などを話していただいています。今回は2001年2月22日(木)に行い、10年前にベトナムからボートピープルとして来られ、現在、埼玉県戸田市のエムアイ工業に勤務しておられるホー・ゴック・バオさんのお話を伺いました。 バオさんの話の要点は、『外国人が日本で生活するためには、日本語が話せることはもちろんですが、日本人の気持ちや日本の生活習慣を理解するとともに、自分たちのことを理解してもらうことが大切です。日本人は法律や秩序を守り、静かに暮らすことを好む人が多いです。地域社会にもルールがあり、そのルールを守らなければその地域に住むことはできません。例えば、大きな音でカラオケをしたり、大勢でパーティをするのは日本の住宅事情では近所迷惑になりますし、ごみの出し方なども地域ごとで異なります。また大掃除やお祭りなどの行事にも積極的に参加して近所の人と仲良くなりましょう。職場でも自分を理解してもらうよう努力しながら、上司に従い規則を守ってまじめに働いてください。やがては認めてもらえるようになりますから。学校でもPTAの活動などに参加して先生や他の父母とも仲良くすることが子供たちのためになりますよ。』等々で、これまでバオさんが努力し、実践して来た多くの事柄について具体例を挙げながらわかりやすく話してくださいました。 このバオさんの貴重な講話は、センター退所を間近にひかえた60名の人たちに日本に定住するための多くの知恵と励ましを与えてくれたことでしょう。

第85期入所者の日本語教育 会話の日

第85期入所者の日本語教育 会話の日
「会話の日」 2001年1月11日(月)、国際救援センター第85期入所者のうち、日本語を学習中の89期生を対象に「会話の日」を実施しました。
「会話の日」は、学習した日本語を生徒が日本人を相手に実際に使って、会話力の向上を目指すことを目的にしたものです。外部からも日本人学生等の参加を得て、小人数のグループに分かれて会話をすることは、生徒にとって刺激にもなり、楽しみでもあります。 今回は、日本語教育ボランティア4名、大学生3名の参加がありましたが、ベトナムでの生活、また日本との文化の違いなどの話題で盛り上がり、特に外部からの日本人参加者は生徒たちの日本語を話そうとする意欲に驚かされたようです。

地域社会との交流

地域社会との交流 共生共走マラソンで完走
マラソン風景
2000年10月8日、品川区八潮で第4回共生共走5時間リレーマラソンが開催されました。この行事は地域の人々とインドシナ難民を含む在日外国人との交流を目的として毎年行われるもので、国際救援センターに入所中の難民の人たちも第2回大会から参加しています。来日して間もないベトナム人、カンボジア人の難民とその家族40名ほどがリレーマラソンやゲーム、踊りを通して多くの日本人と交流するとともに模擬店での買い物などを楽しみました。

定住インドシナ難民とのつどいの開催 (2000年)

定住インドシナ難民とのつどいの開催 (2000年)

表彰式の模様 2000年10月22日、品川区立総合区民会館(きゅりあん)にて、第21回「定住インドシナ難民とのつどい」を行いました。第1部式典は、招待者90名以上のご列席をいただき、当財団の事業に日頃多大のご協力、ご支援をいただいている9事業所と7支援協力者に対して感謝の意を表するとともに、日本に定住し真面目に日々努力をして他の模範になる難民定住者17名に表彰状及び感謝状を贈りました。表彰された方の内、難民定住者代表3名の挨拶を紹介します。
 また、第2部アトラクションでは800人の参観者を迎え、マーチングバンド、マジックショー、インドシナ三国代表団体による民族舞踊等の演技が披露され、来年の再会を約束して拍手喝采の中、無事終了しました。

ワークショップセミナー「難民支援の立場から」

セミナー風景ワークショップセミナー「難民支援の立場から」

2000年9月22日、兵庫県青少年交流プラザにて、アフリカ、アジア、ヨーロッパ各地の難民支援の第一線で活躍してきたパトリシア・ガルシアさん(99年より豪・サウスウェールズ大学難民研究センター研究員)を招いて難民支援を考えるセミナーを開催しました。前半のワークショップでは4ヵ国の難民の状況をビデオで見て、どのような支援が必要なのかを参加者がグループごとで考え、セミナーでは講師の現場での経験と支援を向上させるための基準作りについて聞きました。 参加者からも援助現場の安全性、スタッフの健康管理等について質問も数多く飛び出し、4時間のセミナーが短く感じられるほどでした。

定住促進のための活動

定住促進のための活動

インドシナ難民の人たちが生活する上で、日本語習得と就職はとても重要なことです。これらを効果的に支援するための検討・情報交換の場として、それぞれのテーマに関係する有識者や機関等の方々を招いて2つの会議を開催しました。 2000年6月22日定住難民日本語学習援助委員会では、難民事業本部で開発した日本語教材を公開し自由に使用できるようにするため図書館に寄贈するなど、今後は20年間の実績を積極的に広報していくことについて意見が交わされました。 2000年23日雇用促進連絡協議会では、一般外国人を含めた難民定住者の就職あっせんの状況や、公営住宅入居中に関する諸問題(宿舎管理、共同生活、自治会関係など)、ボランティアの就職援助活動について報告や意見交換が行われました。

日本語教育相談員レポート

「難民定住者等の日本語教室の設置運営コーディネーター」レポートvol.1 −特別日本語教室−

特別日本語教室は、難民認定申請の結果を待っている人(申請者)たちを対象に、これらの人たちが一時的に住んでいる難民事業本部の施設で開かれています。教室は1回2時間、1カ月に6回、ボランティアの日本語指導経験者が指導しています。 生徒の中には、既に簡単な日本語でコミュニケーションできる人から、全く日本語がわからない人まで様々なレベルの人がいます。そのため日本語のレベルによって大まかに4つぐらいのグループに分けられています。 クラスでは、コミュニケーション能力の向上に加え、平仮名・片仮名の読み書きも学習しています。病気の表現、病院での医師とのやりとり、住居探し、求人広告を読むことや就職の面接の練習などは、教室内だけでなく、教室外で実際の場面での体験学習を行っています。たとえば、災害時の緊急避難のための場所に行ってみたり、防災訓練教室に参加したりしています。 また、文字の読み書きは就職活動で大きな力を発揮します。就労資格を持つ生徒に対しては、ハローワークに行き、求人情報を得たあと電話で雇用主に面接の交渉をするなどの就職活動の体験学習も行いました。この体験学習のあと、日本人に頼らず自分の力だけで求人広告に応募し、面接までこぎつけた人もいます。 本教室のボランティア教師は、生徒が少しずつでも自分の力で日本語でコミュニケーションがとれるよう工夫しています。 このように、地域に根ざし活動するボランティアの方々の思いやりと熱意が多文化共生を支えているのだと改めて実感させられました。

「支援者の声 No.16」日本語教室だより

「支援者の声 No.16」日本語教室だより  泉の会 代表 中山恵子
日本語
泉の会は、兵庫県内で外国人定住者の子供たちへ日本語教育及び教科教育の支援をしているグループです。数年前から各小中学校に入り個々に活動していたメンバーが集まって、この春、会を発足しました。 今のところ神戸市・尼崎市の小中学校での支援です。学習者のほとんどがベトナムの子供たちです。日本で生まれ育った子供たちから、つい数週間前に呼び寄せ家族として来日した子供たちまで、日本語能力はさまざまです。どの子供たちも定住希望で、これから日本の社会の中で生活していこうというわけですから、日本語能力は必要不可欠です。 子供たちの場合、その日本語能力とは日常言語運用能力だけでなく、教科学習のための認知学術言語能力も含みます。例えば、「今日、給食の時食べたパン、おいしかったね。」と流暢に言えても、「角度・底辺・頂点…」等の語彙の算数的意味を理解し、算数の文章題が理解できなければ、学校での教科学習にはついていけません。この点がなかなか理解されず、これまでは日常会話が話せれば日本語はもう大丈夫と考えられて、メンバーの中には学校から支援活動を断られたこともあったようですが、今では学校の要望が多く、支援者が足りないような状況です。 学校での活動ですので、学習環境は整っていますし、子供が学校を欠席しない限り計画性のある指導が可能です。さらに、担任の先生方との話の中から支援の具体的方向性を見い出すこともできます。しかし、子供たちに対する初期日本語教育の教材はかなり揃ってきましたが、教科学習支援に関してはまだまだ手探り状態が続いているのも事実です。 子供たちの笑顔に会いたくて、「わかった、できた。」の声が聞きたくて、メンバーは今日も学校に通っています。子供たち一人一人に合った支援ができるようにこれからも研鑽を積んでいこうと思っています。 定住新聞「こんにちは」第25号より転載

セミナー「わたしたちの難民問題」 (1999年12月15日)

セミナー「わたしたちの難民問題」 (1999年12月15日)

「スリランカの難民・帰還民」 PHD協会・藤野達也さん

スリランカ全人口1,480万人は、土着のシンハラ1,200万人、インドからの移住者が中心のタミル280万人で構成されています。1796年からのイギリス植民地時代にコーヒー栽培が始まり、安い賃金の労働者を雇うためにインドからタミル人が連れて来られました。スリランカ独立後、民族間の対立は徐々に激しくなり、83年7月のシャフナ事件(シンハラ兵士のタミル女性暴行をきっかけに抗争となり、シンハラがタミル300人を暗殺)以降、様々なテロ・爆発事件が横行しました。結局、スリランカ政府とタミルを支援していたインド政府の間で話し合いが持たれ、タミル語の公用語化、タミルの自治権を認めるなどの協定を締結しましたが、紛争は現在まで続いています。 PHD協会ではアジア・太平洋の国々から研修生を招いて農村・漁村のリーダーを育成しています。昨夏、元研修生を訪ねるため、スタディツアーという形で現地を訪れ、スリランカ北部の内戦地帯にある2つの村を案内してもらいました。シンハラの人々中心の両村は、抗争の結果、建物が破壊され、屋根が燃やされた建物等が残っていました。難民キャンプへ避難した住人達が戻り始めていますが、壊された家を今から再建するところでした。私たちの訪問を知り、集まってきた村人達は、表情が固いのが印象的でした。多くのアジアの国々を訪れたこれまでの経験では、モノはなくても人々の笑顔はいつも素敵だったので、このような経験は初めてでした。村人一人ひとりに銃が配られており、常に臨戦態勢にあることが、更に表情を固くしています。この対立の解決はまだまだ難しく、スリランカ人自身が解決しようとしないと困難だろうと思います。

インドシナ難民の定住状況調査

インドシナ難民の定住状況調査

 1992年10月、難民事業本部では、日本に定住しているインドシナ難民が何を考え、どんな問題を抱えているかを知ることにより、今後の定住難民の施策の一助とするため、個人面接によるアンケート調査を実施しました。姫路・大和・国際の3センターを退所した者のうち、16歳以上の5,316人の中から、ベトナム人300人、ラオス・カンボジア人それぞれ100人の計500人を対象としました。
 
<実態調査結果>
 
1.全体
 性別内訳は、男性56%、女性44%となっており、今回の対象者は、在日年数平均が7.3年と比較的長い人が多くなっています。在留資格は「定住者」が87%、「永住者」が8%で、日本に帰化した人も5%いました。
 
2.居住地と住宅
 調査対象としたカンボジア人の82%、ラオス人の64%が神奈川県に居住しています。ヴィエトナム人は各地に散らばり、姫路センターがある関係で関西にも多く居住しています。
住宅は、民間アパートが28%で一番多いですが、公営住宅入居者25%、雇用促進住宅入居も19%います。2DKで1.5万円から3万円の住宅を借りているケースが多いです。
 
3.日本語学習
 日本語会話の程度は、定住者自身の自己評価によると64%が「会話に不自由しない」と答えており、面接調査に携わった調査員の評価では71%が「不自由しない」としています。
 センター退所後の日本語の勉強方法は、複数回答で、「独学」32%、「ボランティアによる勉強」が16%います。しかし、35%が日本語の学習をしておらず、その理由としては、「時間がない」76%、「学校がない」13%、「金がない」13%となっています。
 今後学習を「希望する」は76%、「希望しない」は23%でした。
 
4.職業
 調査対象の男性91%、女性66%が就労しています。勤めている企業の業種では、「製造業」に80%が従事、特に自動車部品20%、電気14%等が多くなっています。
 仕事への満足度は89%の人が「満足している」または「ある程度満足している」と答えています。66%が転職経験がありますが、その86%は3回までです。
 
5.生活状況
 母国の文化、宗教行事を何らかの形で続けている人が76%います。楽しみでは、テレビ、音楽が多く、ドライブ、買い物も多くなっています。在日年数の短い人には読書が多く、日本が長くなると仲間との集いが増え、交際が重要になってくることがうかがえます。
 一方、近所づきあいでは、複数回答で、「挨拶程度」の人が65%、「付き合いなし」は3%、女性は「子供同士」「友人関係」を多くあげ、特にラオス、カンボジアでは「行事参加」、「助け合い、「友人等」がそれぞれ3割以上になっています。