アフガニスタン
アフガニスタン ─ タリバーンを巡る情勢 ─ (2001年1月31日の講演) 難民事業本部は、世界の難民発生地域の政治情勢と難民状況についての最新情報を提供するためパリナック・ジャパンフォーラムの協力を得て、1998年から「難民情勢講演会」を開催しています。第9回目の今回は、外務省中東第二課の緒方事務官を講師として、「アフガニスタン ─ タリバーンを巡る情勢 ─」の講演会を行いましたので、概要を紹介します。 1. 現状 アフガニスタンから難民が多数流出したのは1979年のソ連のアフガン侵攻以降である。難民数が最大に達したのは1980年前半と1990年で600万人を超えたとも言われる。 1994年頃からイスラームへの回帰と治安回復をスローガンとするタリバーンが勢力を伸ばし始め、1996年には首都カブールを制圧し、その後も勢力を伸ばし続け、2000年10月には反タリバーンの北部の拠点タロカーンを陥落させた。現在、国土の大半(8〜9割)をタリバーンが支配し、反タリバーンの北部同盟が同国北東部を拠点としている。 反タリバーン派はソ連撤退後主導権争いをしていた勢力が反タリバーンの旗の下に結束した同盟で、強固な組織を有していない。また、派内での利害関係もあり、タリバーンを押し返すほどの大規模な反撃にでる力はないと思われる。 国連安保理は、タリバーンがオサマ・ビン・ラーデン(在ケニア、タンザニアの米国大使館を爆破した人物といわれる)を国内に庇護しているとして、1999年10月の制裁決議1267(内容はタリバーンの資産凍結、タリバーン支配地域への航空機乗り入れ禁止等)、更に2000年12月に追加制裁決議1333を採択した。 2. アフガニスタン国内の状況 国際社会は、アフガニスタン国内における、タリバーンの人権侵害、特に女性の人権制限を問題にしている。このような人権問題、地雷が多く埋設されていること、最近2〜3年の干ばつ等が、パキスタン北部への難民流入の理由と思われる。 3. アフガン難民の状況 パキスタンに流入している難民の多くはパシュトゥーン人で、主にパキスタンとアフガニスタンの国境沿いの難民キャンプに滞在している。一方、イラン国内の難民はハザラ人が多いと言われているが、イラン国営の難民キャンプに滞在している難民は全体の3〜5%である。その他はイラン国内各地に住んでいる。アフガニスタン国内のハザラ人はイスラム教シーア派が多く(同国の多民族はスンニー派)、また、モンゴロイド的な外見も他民族との相違を際だたせ、迫害の対象になりやすいとされている。 UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)はイラン及びパキスタンから毎年10万人の帰還を目標としているが、達成できる状況ではない。日本政府は国際機関に資金を拠出して難民の自発的帰還促進プロジェクト(アズラ計画・拡大アズラ計画)を実施し、既に5〜6万人が帰還し、定住している。
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