カナダ
バンクーバーにおける難民のメンタル・ヘルスに関するシンポジウムに参加して (2002年10月24日、25日) 10月24日、25日にカナダのバンクーバーで行われた多文化間(Cross Cultural)メンタル・ヘルスをテーマにした会議に参加する機会を得ました。 シンポジウムはPTSD(Posttraumaticstressdisorder:外傷後ストレス障害)治療の現在の動向についての基調講演から始まり、難民認定申請者を交えてのパネル・ディスカッションや、政治的虐待の犠牲者に対するコミュニティーを基盤とした治療モデルについての講演などがありました。 ここでは、現在バンクーバーの病院でPTSDのプログラムに関わっている心理学者のInna Vlassev博士と、虐待犠牲者のケアに取り組むVancouver Association for theSurvivors of TortureのCarmen Bellows氏による「難民のPTSDに対する文化的背景に配慮したアセスメントについて」の講演の中で、特に感じたことを取り上げてご紹介します。 まず、正確なアセスメント(事前評価)のためには、時間や社会的、法的なサービスの後押しが必要ですが、発症の原因をたどるためには家族全体に目を向ける必要もあります。PTSDは、往々にしてその当事者だけの問題やその当事者だけが経験したものではなく、家族全体、ひいてはそのコミュニティー全体に拡がっているものだからです。そして、その家族、コミュニティーと不可分なものが「文化」です。文化は、陰に陽に私たちの生活の中に存在し、個々人の言語や生活様式をつかさどるばかりでなく、“Protective”(保護的)であったり“Healing”(癒し)であるという側面もあります。例えば、自分の感情を外に向かっていかに表現するか、苦しみの経験をどのように解釈し、消化していくのか、ということはその個々の文化の文脈に沿って行われていくものです。 また、文化的に多様な社会においてアセスメントを行う場合、標準化されたテストを使って診断をするにも留意が必要です。そもそもそのテストが適切に翻訳・通訳されているのか、被験者の文化にとって意味のとおるものなのか、あるいは、テストされること自体に不慣れで、かえって恐怖をあおるようなケースもあります。既存のテストやいわゆる西洋文化内で発達したPTSDの概念に頼ることなく、当事者の話を聴くことだけに集中するのもひとつの方法です。 文化的背景に配慮した実践的な対応には、幾つかのポイントがあります。物理的・社会的な距離の取り方、視線を合わせるか否か、声の抑揚、特定の仕草がそれぞれの文化における「意味」を持っていると理解することが必要です。さらにアセスメントをできるだけ正確に行うには、沈黙や言語外の訴えに注意を払うこと(文化的に訴えを言語化しない者もおり、またPTSDに苦しむ者の中には言語能力が落ちている場合もある)、その症状の意味するところ、またその文化的な背景についてクライアントに直接聞くことも有効であること(クライアントとの「距離」が縮まるなどの効果も見込める)などが挙げられていました。そして、ここにたどり着くまでに非常に複雑な過程や背景が存在すること、アセスメントをする者、クライアント共にバイアス(偏り)があること、そしてそれゆえに「常識」といえるものはないことなどを、心に留めておく必要があるということです。 今回のシンポジウムに参加して、特に注目したこととして、まず、メンタル・ヘルスに関する医療や社会サービスの受け手をPatientやClientと呼ばず、Consumer(消費する者)と呼んでいたことです。その背景にあるものを詳細に尋ねる機会はなかったのですが、サービスの受け手がサービスの提供者側とより対等な関係を目指していることがうかがわれます。また、その背景にもなっていると思われますが、会議には難民としての経験を持つ人々、移民家族の出身である人々がConsumerとしてだけではなく、サービスの提供者としても多く参加していたことが印象に残りました。カナダはいうまでもなく移民の国ですのでこれは当たり前のことではありますが、自らの難民としての経験や難民や移民としてのルーツを持っていることから生まれる視点、感受性は、メンタル・ヘルスのサービスを構築・提供する上で大きなエネルギーになっていることを感じました。実際、この会合の中心となっているのは、ベトナムで小児科医としての経験を持ち、フランスを経てカナダに難民として定住した精神科医Soma Ganesan氏(広報誌『ていじゅう』84号及び85号に同氏の略歴と98年に来日された際の講演について紹介がありますので、ご参照ください。)で、難民コミュニティーのadvocate(主唱者)として、政策提言を行ったり新しい社会サービス機関の立ち上げに尽力するなど、リーダーシップを発揮しておられました。なお、今回のシンポジウムでは大正大学人間学部教授野田文隆氏が中心となり、大バンクーバー病院の精神科医近藤伸介氏と私も参加し、日本の難民の受入れとメンタル・ヘルスについてのワークショップを開きました。参加者からはインドシナ難民の受入れの仕組み、PTSD発症率など、具体的な質問が出ました。こうした機会を捕らえて、今後も海外を含めた難民支援団体とのネットワークを構築していければと思います。 難民の受入れに大きく貢献してきた移民国カナダにあっても、多文化間メンタル・ヘルスや社会サービスについて「王道」が築かれているわけではありません。カナダのこの試行錯誤の過程から私たちが学ぶことは大きいのではないでしょうか。
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