スリランカ
スリランカ情勢 (2000年7月4日の講演) 難民事業本部は、世界の難民発生地域の政治情勢と難民状況についての最新情報を提供するためパリナック・ジャパンフォーラムの協力を得て、1998年から「難民情勢講演会」を開催しています。第7回目の今回(7月4日)は、外務省南西アジア課宮田事務官を講師として、「スリランカ情勢」の講演会を行いましたので、概要を紹介します。 ●講演要旨 1. 民族紛争を巡る最近の動き 本年3月下旬からスリランカ北部のジャフナ半島において、政府軍とLTTE(タミル・イーラム解放の虎:タミル人の中で武装闘争によって分離独立の実現を求めているグループ)との戦闘が激しくなっていたが、5月中旬以降は膠着状態となっている。今回の一連の戦闘で約16万人(ほとんどがタミル人)が避難民となり、一部はインド南部へも逃れた。 スリランカ政府は北部での戦闘に備えるため緊急事態令を強化し、また増税等により新たな武器の調達を行っている。 2. 民族紛争の経緯 (1)シンハラ優遇政策 スリランカ(注)は、1948年2月に独立した。56年にはスリランカ自由党バンダラナイケが政権を獲得し、シンハラ語だけを公用語とする公用語法を成立させ、またシンハラ人をタミル人居住地域へ入植させる事業を推進するなどのシンハラ優遇政策を実施した。これに対しタミル人が反発し、全国的な大暴動事件が多発した。タミル人はその時々の政権政党に協力し、政治的権利の拡大を図ったが、それもかなわず武力闘争しかないと考える若者のグループが70年代始め頃からあらわれ、LTTEもそのようなグループのひとつである。 (注)スリランカの人種構成は、シンハラ人(74%)、タミル人(18.2%)、スリ・ランカ・ムール人(7.1%)。2000年6月10日現在外務省資料より。 (2)大騒擾事件 1983年7月、ジャフナ半島でシンハラ人兵士がタミル人過激派に殺害された後、全国的にシンハラ人がタミル人を殺害し、その家屋・商店等を焼き討ちする事件、いわゆる大騒擾事件が発生した。この事件を契機に民族紛争が悪化したといわれている。 (3)インド・スリランカ和平合意 1987年にはインド政府はスリランカのタミル人支援に乗りだし、同年7月インド・スリランカ和平合意が結ばれた。スリランカ政府はこの合意を受けて憲法改正し、タミル語を公用語とするなどタミル人側に譲歩した。しかしLTTEはこれを認めずあくまでも武力闘争を続けた。 (4)クマーラトゥンガ現政権の対応 1994年8月に政権を獲得したクマーラトゥンガ大統領は民族問題解決にむけて、軍事的にはLTTEの壊滅を目指し、同時に平和的解決策として現憲法を改正し、地方への大幅な権限委譲を目指している。 3. 難民・国内避難民 1998年末のUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の資料によると、インド南部のタミルナドゥ州に約10万人が逃れ、同州の120の難民キャンプに6万7,000人が滞在し、3万5,000人がキャンプ外に分散して住んでいる。 今回ジャフナ半島で国内避難民となった人々は、同半島の政府軍支配地域や北部州南部へ逃れている。親戚等の家に避難している人が多いようだが、学校、寺院、政府の福祉センター等に避難している人もいる。 日本政府はUNHCR及びICRC(赤十字国際委員会)等を通じて数年にわたって避難民支援を続けている。また、草の根無償資金を通じても支援を実施している。 4. 今後の見通し スリランカ政府とLTTE双方の要請で和平合意を目指しノルウェー政府が仲介を始めたが、今年秋に予定されているスリランカ総選挙を視野に入れた動きや、LTTEの真の意図も不明であり、戦闘終結、和平合意の見通しは必ずしも明るくない。
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