タンザニアの難民キャンプを視察して
(2000年3月17日〜21日の現地調査)
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が援助している世界の難民・避難民は現在約2,200万人いますが、その3分の1はアフリカ大陸に住んでいます。3月下旬、アフリカの中でも最大の難民受入れ国の一つであるタンザニアの難民キャンプを訪問しましたので、その概要を報告いたします。
難民の流入状況
タンザニアはタンガニーカ湖を挟んで西にコンゴ民主共和国、北西にブルンジ、ルワンダ、ウガンダ、また、南にモザンビークといった難民発生国と国境を接しており、1961年の独立以来難民を受け入れてきています。今年2月末現在、UNHCRが支援している難民は約46万8,700人、主な出身国は、ブルンジ(72%)、コンゴ民主共和国(22%)、ルワンダ、ソマリアなどですが、タンザニア政府によればUNHCRが支援の対象としている人達以外に各地に定住している難民がおり、タンザニア国内の難民総数は80万人を超えるということです。
昨年1月から今年1月の間に、ブルンジから新たに3万人を超える難民が、また、コンゴ民主共和国からは1万6,000人を超える難民が流入しましたが、今年の2月になって若干の減少をみせたようです。
キャンプの概要
タンザニアには、北西部のカゲラ州、キゴマ州と北東部のタンガ州に13の難民キャンプがありますが、今回訪問したキャンプは、キゴマ州にあるキャンプのうち南側にある、ニャルグス、ムタビラ、ムヨボシ、ルグフの4つのキャンプです。ニャルグスとルグフにはコンゴ民主共和国からの難民、ムタビラとムヨボシにはブルンジ難民が生活しています。
キゴマの町から北東約60キロの所にブルンジと国境を接しているカスルという町があります。このカスルに流入したブルンジ難民のために94年4月にムタビラ・キャンプが開設されました。当初1万3,000人であったのが増え続けたため、その隣に開設されたのがムヨボシ・キャンプです。2月末現在の難民数はムタビラに5万3,838人、ムヨボシに3万6,980人です。
ニャルグスとルグフは、96年秋に発生したザイール(97年5月にコンゴ民主共和国に改称)での内戦によりキゴマに流入した難民のために開設されたキャンプです。2月末現在の難民数は、ニャルグスに5万3,128人、ルグフに4万9,460人です。
キャンプのくらし
各キャンプともUNHCRが全体の責任をもち、食糧の調達は世界食糧計画(WFP)が、食糧の配給、水、衛生、医療、コミュニティ・サービス等の分野はNGOがそれぞれ担当して支援に当たっています。タンザニア政府が、UNHCRの経費負担により警官を派遣してキャンプの治安維持にあたっていますが、難民自身もスングスングという自警団を組織してキャンプの治安維持に当たっています。
キャンプで生活する上で一番の悩みはやはりマラリアなどの病気の心配のようです。ルグフ・キャンプで難民代表の人々は、病気治療のための施設や設備を充実してほしいと言っていました。キャンプでは、穀物の一種であるメイズ、豆、植物油、塩等が配給され、栄養状態の特に悪い子供、妊婦、授乳中の女性には高蛋白ビスケット、ミルク、魚の缶詰等が支給されます。配給されるメイズを地元で採れるキャッサバ芋と交換したりすることも広く行われています。タンガニーカ湖辺で暮らしていた難民は、湖で獲れる魚を好み、地元市場で干した魚(ダガーと呼ばれる鰯のような魚)を手に入れ食べていました。
課 題
タンザニアは、政治的には安定していますが、一人当たりの国民総生産が210ドル(97年世界銀行統計)の後発開発途上国です。特に難民が流入する西部は、最も開発が遅れている地域の一つといえるでしょう。その地域に何十万人という難民が居住するのですから、地域の経済や住民の暮らしに大きな影響を与えざるを得ません。地域住民の間に、難民だけが援助を受けているといった不満が出てきます。国連機関やNGOもキャンプの中の医療施設や教育施設等を周辺住民に開放するなどの努力をしていますが、キャンプ内の難民と周辺住民との摩擦はなかなか避けられないようです。難民支援を行うに当たっては、受入れ国の事情、特にキャンプ周辺住民への配慮が必要であるとともに、難民援助と開発援助を調整し、援助が最大限効果的に行われるよう各方面の調整が行われることが望まれます。