マケドニア・旧ユーゴスラヴィア共和国
マケドニアの国内避難民について (2002年3月2日〜6日の現地調査)
スコピエ市内の収容施設に滞在しているマケドニア系の国内避難民家族
旧ユーゴスラビア連邦はマケドニアとボスニア・ヘルツェゴビナ等の6つの共和国で構成されていましたが、1991年のスロベニアとクロアチアの独立宣言で始まった旧ユーゴスラビア連邦の崩壊の中で、それぞれの共和国は異なった道を歩みました。 当事業本部は1999年のコソヴォ紛争、2001年の戦闘後のマケドニアの状況を把握するため、現地調査を実施しました。 (1)マケドニアの状況 マケドニアは1991年に旧ユーゴスラビア連邦から独立しました。1999年のコソヴォ紛争の時に85万人の難民が隣国に流出し、マケドニアはその内の約25万人を受け入れました。その後、多くの難民はコソヴォへ帰還しましたが、現在でもその一部の難民約5千人がマケドニアに滞在したままで、その多くはロマ(注1)と南部セルビア出身のセルビア人です。 また、2001年2月にマケドニア北部のコソヴォとの国境地域で、アルバニア系武装集団とマケドニア治安部隊との間で戦闘が起こり(注2)、マケドニア人及びアルバニア人双方の14万人が避難民となり、その内の9万人がコソヴォとセルビア南部に逃れ、5万人が国内避難民となりました。同年8月には停戦合意が成立し、2001年末には10万人が国内に帰還を希望していましたが、多くの人は国内避難民として、収容センターや親戚等の家庭に滞在しています。また、現在でもマケドニア難民はコソヴォに2万5千人、セルビア南部に1万人滞在しています。 このような状況の中で、UNHCRのマケドニア国内の支援対象者は、2002年で国内避難民及び戦闘被災者14万人とコソヴォ紛争の時から滞在している難民5千人です。 (注1)自称ロマで、ジプシーと呼ばれてきた民族。現在はロマが一般的である。 (注2)今回の調査でインタビューをしたマケドニア人の国内避難民の話では、戦闘をしたのは外から流入してきたアルバニア武装勢力で、彼らの隣人であるアルバニア住民ではないとのこと。コソヴォ紛争では住民自身が戦闘に加わったといわれている。 (2)国内避難民収容施設 今回調査団は主にマケドニア人の国内避難民の状況調査及び日本NGOの活動を見学しました。 マケドニア人は、親族等のホストファリミーの家庭に長期滞在するケースは少ないため、マケドニア人の国内避難民の多くは収容施設に滞在しており、出身地においてもともと少数派であること、自宅が破壊されていること、現時点で安全面で不安に感じていること等の理由から出身地に帰還できない状況で、新しい所へ移住することを望んでいる人もいます。 訪問した収容施設は、学生寮やホテルを改造した施設で、1家族が1部屋で生活し、3食とも調理された食事が提供されています。入所者は、居室が狭いこと、プライバシーが保持できないこと、生活時間が管理されていること(食事時間、洗濯時間が決められている)等でストレスが多いと話していました。 一方、アルバニア人は家族・親族間の絆が強く、保護を必要とする家族は親族の家に同居する人が多いため、アルバニア人の国内避難民は、ほとんどが親戚等のホストファリミーに滞在しており、詳しい状況はつかめていません。 (3)日本NGOの活動 マケドニアは失業率が高く(公式統計は40%)、経済状況が厳しく、公共サービスも滞りがち(被災地における学校・病院の再建が進まず、また公務員給与及び年金の遅配等)であるため、日本NGOの支援活動は非常に歓迎されていました。 現在、難民を助ける会及び日本救援行動センターが支援活動を実施しており、難民を助ける会はクリニックの管理運営(生活困窮者へ無料の医療と薬を提供)、社会的弱者への生活必需品及び補助食糧の配布、ロマ及び生活困窮の大学生への奨学金提供、障害者施設の施設修復及び設備提供を、日本救援行動センターは、スコピエ国立病院感染症科への医療機器の提供、女性の職業訓練支援(縫製機材の供与)、ボランティア清掃活動の支援(車両及び清掃用具の提供等)を行っていました。
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