ミャンマー
バングラデシュから帰還したミャンマー難民 (2000年12月11日〜15日の現地調査)
 90年代の初めにミャンマーからバングラデシュへたくさんの難民が脱出しました。難民事業本部はミャンマー西部ラカイン州に戻った帰還民と、未だにバングラデシュの難民キャンプで暮らす難民の状況を、現地で難民支援を行っている国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)、NGO等の協力を得て調査しました。
ミャンマーのロヒンギャ族 1991年〜92年、ミャンマーのラカイン州北部から25万人ものロヒンギャ族が強制労働や暴力から逃れ、バングラデシュに流入しました。ロヒンギャ族は12世紀頃定着したイスラム教徒の末裔と言われ、バングラデシュ・チッタゴン州の住民と類似した言語、文化を持っています。ラカイン州は約8割の住民がイスラム教徒と言われています。ミャンマー政府は近年居住し始めた住民だとして、ロヒンギャ族を自国の市民と認めていません。 ラカイン州北部 ラカイン州北部は、ミャンマーの中でも辺境に位置し、首都ヤンゴンからは飛行機と船を乗り継いで1〜2日もかかるほどで、地域の開発レベルは高くありません。主要産業である農業の生産性は低く、灌漑施設の不足、土地使用権の問題もあり、改善が遅れています。年間6,000mmの雨(東京は約1,500mm)が雨期に集中するため、道路の崩壊、橋の流失も多く、域内交通も極めて不便な地域です。 人口は約80万人で、ミャンマー国内でも人口密度の高い地域となっています。人々は木・竹などで作られた高床式、または平屋の家に住んでいますが、雨期には多くの家屋が浸水、倒壊してしまいます。煮炊きなどには近隣の森林を伐採した薪を燃料としており、森林破壊が新たな災害の原因ともなっています。 人口の大部分が農業(主に米作)を営んでいますが、土地を持たない人も多く、行商や人夫として生計を立てている人もいます。識字率は低く、特にイスラム教の信仰を背景にした女性の教育に対する理解不足、女性の社会進出への強い抵抗、低い女児の就学率が、社会経済活動を営む上で大きな障害となっています。 難民の帰還 難民は92年から帰還し始め、これまでに23万人が故郷のラカイン州北部に帰還しています。 新たな難民の流出を防ぐために、地域の安定を目的とした開発志向型の協力が1994年よりUNHCR、NGO、ミャンマー政府により行われています。インフラ、教育、地域社会サービス、所得創出、保健、農業の各分野の活動は帰還民だけでなく、地元の人々もその対象となっています。 貧困により子どもが貴重な労働力となっていることから、就学率が低く、特に女児のそれは著しく低いため、UNHCRはWFP(世界食糧計画)と協力し、女児を就学させた家庭に米30kgを毎月配給するなどして状況の改善に努めています。学校の施設や机・椅子などはUNHCRと協力し日本のNGOであるBAJ(ブリッジ・エーシア・ジャパン)が整備しています。BAJは道路や橋などその他のインフラ整備でも活躍しています。 帰還民に対しては、帰還に際し、各世帯に2,000チャット(約550円)、及び各人に2,000チャットが支給されている他、WFPにより、2ヵ月分の食糧が支給されています。その後の経済的な自立のために、UNHCRの支援で小規模の金融グループ(5人一組でUNHCR出資の資金で商売をする)が組織されています。また、寡婦や単身の高齢者、孤児など最弱者層の人々には、職業訓練など自立のための支援が行われています。 BAJの活動やODAの草の根無償資金による支援活動は現地でも高い評価を受けていますが、帰還民への更なる支援が必要とされています。 帰還できない難民 バングラデシュにはまだ2万人の難民が国境に近いコックスバザール近郊の2つの難民キャンプで生活しています。難民のうち1万5,000人は帰還のためのミャンマー政府の許可が出ておらず、その目途もたっていません。解決の見通しが立たないまま長期にわたってキャンプでの生活を強いられていることと、昨年までキャンプ内での活動が制限されていたことなどから、難民の間には絶望感、不安が広がり、一方、労働することなく生活に必要な物資が支給される生活を続けているので、その支援に依存する傾向があるようです。
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