難民情勢講演会シリーズ「インドネシア情勢−その後」
難民事業本部は、世界の難民発生地域の政治情勢と難民状況についての最新情報を提供するためパリナック・ジャパンフォーラムの協力を得て、「難民情勢講演会」を開催しています。第8回目として、昨年12月19日(火)、外務省南東アジア第二課の田子内事務官を講師として「インドネシア情勢−その後」と題する講演会を行いましたので、その概要を紹介します。
1 アチェ特別州の分離独立の動き
(イ)背景
インドネシア独立後、アチェでは中央政府の対アチェ待遇について不満が高まり、1953年、当時インドネシア国内で起こったイスラム建国運動と連携する形で、インドネシア・イスラム共和国を唱えて反乱を決起した。この反乱はアチェの分離独立を目指すものではなく、インドネシア国内で然るべき地位を獲得することが目的であった。これに対して、1976年以降「独立アチェ運動(GAM)」が主導する運動は分離独立を目指したものである。
GAMの闘争は1998年までは散発的で大きな動きではなかったが、スハルト政権崩壊後、国軍によるアチェ住民に対する人権侵害が暴露されるに及んで、アチェ住民がGAMの独立運動に同情を示し、独立運動は大きなうねりとなった。現在まで、GAMとインドネシア治安当局との間で武力紛争が続いている。
2000年5月12日、インドネシア政府とGAMとの間で「アチェのための人道的戦闘休止に関する共同了解書(MOU)」が締結されたが、治安状況はあまり改善されていない。
(ロ)避難民
UNDP(国連開発計画)が2000年7月に発表したアチェの州内における避難民の数は約三万人で、避難民の多い地域は、大アチェ県、ピディ県、北アチェ県、東アチェ県である。
インドネシア政府及び地方のNGOは避難民に対して積極的に支援を実施し、日本政府も、毛布、文房具、食料品(ミルク等)等の配布や小学校などの修復を実施している。
(ハ)今後の見通し
インドネシア政府はGAMとMOUを結び治安回復の実現を目指したが、効果が上がっていない。MOUは2001年1月15日まで有効であるが、延長するかどうかは流動的である。
また、同州は天然資源が豊富でありながら開発が進んでいないことに対する住民の不平不満がある。2001年5月1日より広範囲な自治を認める特別自治法が施行される予定で、これがアチェ住民に受け入れられれば、今後の経済的効果も期待できるであろう。
2 マルク州及び北マルク州の住民(宗教)間抗争
マルク州は1999年に分割され、南半分がマルク州で北半分が北マルク州となった。
(イ)発生の背景
●マルク州
1999年1月に些細な事件をきっかけに住民間抗争が発生し、これがイスラム教徒とキリスト教徒の大規模な宗教間抗争に発展している。これまで千人以上の犠牲者が出ているが、抗争の理由・背景は、政治的経済的要因が複雑に絡んでおりはっきりしていない。
ワヒッド大統領とメガワティ副大統領は何度か現地を訪問し、双方の宗教指導者などに対し和解を呼びかけているが、和解の目処はたっていない。
最近の状況は、沈静化傾向にあるものの状況は依然予断を許さない。
●北マルク州
直接の原因はハルマヘラ島の行政区割を巡るトラブルであるが、これにマルク州での住民間抗争が波及して抗争は一気に全州に広がった。北マルク州の抗争はイスラム教徒同士の争い及びイスラム教徒とキリスト教徒との争いの二つの側面がある。現在の状況は沈静化してきている。
(ロ)避難民
OCHA(国連人道問題調整事務所)の出したマルク州避難民支援のアピールによると、避難民数はマルク州で二十一万五千人、北マルク州で二十万七千人である。北マルク州の避難民は隣州である北スラウェシ州に避難している。
●マルク州
避難民はアンボン島で主に発生し、南東スラウェシ州のブトン島等の隣州内の島や州内の海軍基地などに避難している。
避難先が分散しているため、支援物資の輸送手段の確保が重要であるが、海上輸送は必ずしもうまくいっていない。
●北マルク州
インドネシア政府は1人当たり1日千五百ルピア(約18円)の現金を支給している他、食糧としては米等の現物を支給している。
避難民の大部分はキリスト教徒であり、必ずしも北マルク州へ帰還することを望んでいない。したがってインドネシア政府は個々の地域に定住させざるを得ないと判断し、住宅建設を進めているが、十分ではない。
このほかにも現在分離独立の動きが起こっている地域は、リアウ州及び最東端のイリアン・ジャヤ州。リアウ州は平穏であるが、イリアン・ジャヤ州の動きには今後注意を要する。