チェチェン情勢 (1999年11月30日の講演)
難民事業本部は、世界の難民発生地域の政治情勢と難民状況についての最新情報を提供するためパリナック・ジャパンフォーラムの協力を得て、1998年から「難民情勢講演会」を開催しています。第6回目の今回(99年11月30日)は、外務省欧亜局ロシア課伊藤課長補佐を講師として、「チェチェン情勢」の講演会を行いましたので、概要を紹介します。
●講演要旨
1. チェチェン紛争の歴史的背景
帝政ロシア時代に、ロシア軍は現在チェチェンの首都であるグロズヌイに要塞を築き、当時浸透していたイスラム勢力との間で、コーカサス戦争を戦った。この戦争は1859年にチェチェン側の降伏で終了し、チェチェンはロシアに併合された。
ソ連時代の1922年にはこの土地は、チェチェン人の自治州となり、34年イングーシ(現在のイングシェチア共和国)と統合されて、チェチェン・イングーシ自治州、36年同自治共和国となった。第二次世界大戦後の一時期には自治共和国の地位を廃止されたが、57年同共和国が復活した。
2. 第一次チェチェン紛争
ペレストロイカ末期の1991年11月、当時のドゥダーエフ大統領が一方的に独立を宣言した。ロシアはチェチェン内の親ロシア政権を支援してチェチェンの分離独立の動きを抑えようとしたがうまくいかず、94年12月ロシア連邦軍がチェチェンを攻撃し武力衝突が起こった。96年8月隣国ダゲスタンのハサビュルト市で政治合意が締結された(ハサビュルト合意:チェチェンの法的地位を5年間棚上げする内容のもの)。チェチェンのマスハドフ政権は武力勢力を抑えることができず、テロ、誘拐事件が多発し情勢は不安定であった。
3. 第二次チェチェン紛争
事態の発端は、1999年8月7日チェチェンの武力勢力が、隣国ダゲスタン共和国のワッハーブ主義勢力を支援する名目で同共和国へ進入したことである。これに対し、ロシア連邦軍はミサイル攻撃等で反撃し、武力衝突が再発した。8月に就任したプチン首相はこれに断固とした姿勢を示し、同連邦軍は2回にわたり武装勢力をダゲスタンからチェチェンに押し戻した。その上で10月1日頃連邦軍は北部からチェチェンに進攻し、同5日テレク河までを制圧、チェチェン共和国領の3分の1を占拠した。11月中旬にはチェチェンの第2の都市グデルメスを制圧し、11月末現在グロズヌイの約8割を包囲している。
4. 難民問題
チェチェン紛争により全体として約22万人の避難民が発生しているようであり、そのほとんどは西側のイングシェチア共和国に流出している。避難先での彼らの生活環境は厳しいと思われるが、現地の詳しい様子は正確には分からない。
今後国際社会は彼らの生活、帰還、帰還後の定着等の面で支援の問題を真剣に考えていかなければならないと思われる。