難民事業本部について

難民事業本部(Refugee assistance headquarters)は、政府(外務省・文化庁・厚生労働省)から委託を受けて、難民が日本で自立定住していくための支援を行う組織として、アジア福祉教育財団の中に設置されています。

難民事業本部の沿革

1979年11月
1979年11月政府の委託を受けアジア福祉教育財団に難民事業本部を発足、インドシナ難民定住促進事業開始
1979年12月
兵庫県姫路市に定住促進センターを開設
1980年2月
神奈川県大和市に定住促進センターを開設
1982年2月
長崎県大村市に難民一時レセプションセンターを開設し、一時庇護事業開始
1983年4月
東京都品川区に国際救援センターを開設
1995年3月
大村難民一時レセプションセンター閉所
1996年3月
姫路定住促進センター閉所
1996年6月
兵庫県神戸市に関西支部を開設
1998年3月
大和定住促進センター閉所
2003年4月
条約難民の支援を開始
2006年3月
国際救援センター閉所
2006年5月
RHQ支援センター開所
2008年12月
閣議了解により、第三国定住による難民(タイの難民キャンプに滞在するミャンマー難民等)の受入れに関するパイロットケースの実施を決定
2008年12月
難民対策連絡調整会議において、第三国定住による難民の受入れに関するパイロットケース実施の具体的措置を決定
2010年 9月
RHQ支援センターで第三国定住難民(ミャンマー難民)第1陣5家族27名に対する定住支援プログラムを実施
2011年 9月
RHQ支援センターで第三国定住難民(ミャンマー難民)第2陣4家族18名に対する定住支援プログラムを実施
2012年 3月
難民対策連絡調整会議において、3年間としていた第三国定住による難民受入れに関するパイロットケース実施を2年間延長することなどを決定
2012年 4月
アジア福祉教育財団が公益財団法人格を取得
2013年 9月
RHQ支援センターで第三国定住難民(ミャンマー難民)第4陣4家族18名に対する定住支援プログラムを実施
2014年 9月
RHQ支援センターで第三国定住難民(ミャンマー難民)第5陣5家族23名に対する定住支援プログラムを実施
2015年 1月
閣議了解により、第三国定住による難民(マレーシアに滞在するミャンマー難民等)受入れの実施を決定
2015年 9月
RHQ支援センターで第三国定住難民(ミャンマー難民)第6陣6家族19名に対する定住支援プログラムを実施
2016年 9月
RHQ支援センターで第三国定住難民(ミャンマー難民)第7陣7家族18名に対する定住支援プログラムを実施
2017年 9月
RHQ支援センターで第三国定住難民(ミャンマー難民)第8陣8家族29名に対する定住支援プログラムを実施
2018年 9月
RHQ支援センターで第三国定住難民(ミャンマー難民)第9陣8家族29名に対する定住支援プログラムを実施
2019年 9月
RHQ支援センターで第三国定住難民(ミャンマー難民)第10陣6家族20名に対する定住支援プログラムを実施
2020年 6月
RHQ支援センターにおける条約難民に対する定住支援プログラムにオンライン授業を導入

インドシナ難民の発生と日本の対応

1975(昭和50)年ベトナム戦争終結後、インドシナ三国(ベトナム・ラオス・カンボジア)では相次いで政変が発生し、新しい体制に移行しました。しかし、新しい体制の下で、迫害を受けるおそれや、国の将来に不安を抱く人々が続出し、小舟でベトナムを脱出した人々(ボート・ピープル)や、陸路でタイ領に逃れたラオスやカンボジアの人々(ランド・ピープル)が発生しました。
これらの人々はインドシナ難民と呼ばれます。 日本には、1975(昭和50)年5月、最初のボート・ピープルが上陸し、一時滞在を認められました。
その後も、ボート・ピープルの到着が相次いだため、1978(昭和53)年、日本政府は閣議了解で、一時滞在中のベトナム難民の日本への定住を認め、翌1979(昭和54)年には、アジア地域の難民キャンプに一時滞在中のインドシナ難民や政変以前に日本に住んでいた元留学生などの定住を認めたほか、500人の定住枠を設定しました。 政府は、定住枠を徐々に拡大していきましたが、1994(平成6)年12月にはそれまで10,000人であった枠をはずし、以後、枠を設けることなく受け入れることとしました。

インドシナ難民定住許可数の推移

(2005年12月31日をもって終了)(出典:法務省資料)
国内 海外 元留学生 ODP 合計
1978年 3 - 0 0 3
1979年 2 92 0 0 94
1980年 50 346 0 0 396
1981年 48 393 742 20 1203
1982年 216 217 0 23 456
1982年 216 217 0 23 456
1983年 395 248 0 32 675
1984年 738 229 0 12 979
1985年 484 240 0 62 730
1986年 129 149 0 28 306
1987年 262 291 0 26 579
1988年 164 193 0 143 500
1989年 152 194 0 115 461
1990年 171 321 0 242 734
1991年 263 370 0 147 780
1992年 239 411 0 142 792
1993年 97 300 0 161 558
1994年 84 165 0 207 456
1995年 30 85 0 116 231
1996年 1 4 0 146 151
1997年 1 4 0 152 157
1998年 5 5 0 122 135
1999年 1 5 0 152 158
2000年 0 9 0 126 135
2001年 0 40 0 91 131
2002年 0 15 0 129 144
2003年 1 9 0 136 146
2004年 0 18 0 126 144
2005年 0 19 0 69 88
3536 4372 742 2669 11319

インドシナ難民定住許可数

(2005年12月31日をもって終了)(出典:法務省資料)
フローチャート

インドシナ難民定住者の帰化人数(累計)

(2022年3月31日現在 難民事業本部調べ)
出身地別 合計
ベトナム 698 492 1,190
ラオス 98 123 221
カンボジア 191 183 374
987 798 1,785
姫路定住センター 428
大和定住促進センター 551
国際救援センター 532
その他 148
1659
インドシナ難民の定住受入れを決定した日本政府は、1979(昭和54)年7月、内閣にインドシナ難民対策連絡調整会議事務局を置いて、定住促進のための諸施策を推進することとしました。
同年11月、財団法人(現・公益財団法人)アジア福祉教育財団に事業を委託し、財団内に難民事業本部が設置されました。
難民事業本部は、本部事務所に加え、日本へ定住を希望する人への日本語教育、健康管理、就職あっせんを目的として、同年12月、兵庫県姫路市に「姫路定住促進センター」を、翌1980(昭和55)年2月、神奈川県大和市に「大和定住促進センター」を開設しました。
また、日本に上陸したボート・ピープルの一時庇護のため、1982(昭和57)年2月、長崎県大村市に「大村難民一時レセプションセンター」を、そしてボート・ピープルの流入増と滞留の長期化に対処するため、1983(昭和58)年4月、東京都品川区に「国際救援センター」を開設しました。

1986(昭和61)年以降、主として出稼ぎ目的のボート・ピープルが増加するなどの状況の変化があったことを踏まえ、1989(平成元)年6月、国連主催のインドシナ難民国際会議において包括的行動計画(CPA:Comprehensive Plan of Action)が採択されました。同計画により、新たに流入するボート・ピープルに対しては難民審査(スクリーニング)が実施され、認められなかった人には本国帰還が奨励されました。
以後ボート・ピープルは激減し、インドシナ三国の政情が安定したことなどから、難民事業本部は1995(平成7)年3月末に「大村センター」を、1996(平成8)年3月末に「姫路センター」を、さらに1998(平成10)年3月末に「大和センター」を閉所しました。
他方、西日本地域に居住している多くのインドシナ難民定住者のアフターケアをはじめ、関係団体との連絡調整等を目的として、1996(平成8)年6月兵庫県神戸市に「関西支部」を開設しました。
姫路定住促進センター
('79.12~'96.3)
大和定住促進センター
('80.2~'98.3)
大村難民一時レセプションセンター('82.2~'95.3)
国際救援センター
('83.4~'06.3)

国際救援・大和定住促進・姫路定住促進センターの入所の変遷

年度 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93
国際救援
センター
- - - - 745 444 341 196 179 125 1319 308 232 306 321
大和定住
促進センター
17 288 228 218 194 187 147 120 135 165 131 172 136 134 66
姫路定住
促進センター
56 244 217 216 226 237 95 159 123 185 169 182 155 148 139
年度 94 95 96 97 98 99 2000 2001 2002 2003 2004 2005 合計
国際救援
センター
207 105 102 163 172 124 140 141 162 164 139 107 6,242
大和定住
促進センター
79 96 93 35 98年3月閉所 2,641
姫路定住
促進センター
64 25 96年3月閉所 2,640

大村難民一時レセプションセンターの入所の変遷(1995年3月閉所)

年度 大村難民一時レセプションセンター
79 -
80 -
81 61
82 989
83 764
84 545
85 475
86 255
87 149
88 258
89 3141
90 232
91 384
92 56
93 641
94 15
合計 7,965

 難民事業本部は、1995(平成7)度より、日本で難民申請をしている者のうち生活困窮している者に対する援助事業を開始しました。

1996(平成8)年以降、合法出国計画(ODP:Orderly Departure Program)により、ベトナムからの呼び寄せ家族が中心に受け入れられ、難民事業本部は、「国際救援センター」で日本語教育、就職あっせん等を行いました。
また、「難民条約」に基づいた「出入国管理及び難民認定法」により、法務大臣が認定した難民に対して、定住支援の対策がとられることとなり、2003(平成15)年度から、これら条約難民とその家族等に対してもインドシナ難民と同様、「国際救援センター」において、日本語教育や就職あっせん等を行うこととなりました。
なお、難民対策連絡調整会議は2003(平成15)年7月、インドシナ難民の受入れを2005(平成17)年度末をもって終了することを決定し、それに伴い2006(平成18)年3月末「国際救援センター」を閉所しました。

 一方、1995(平成7)年度より、難民認定申請者に対する援助事業や、セミナー・スタディツアー等広報・啓発事業も行っています。
2003(平成15)年には、難民認定申請者に対する援助事業の一環として、生活困窮度が高く宿泊場所確保が困難な難民認定申請者のために、難民認定申請者緊急宿泊施設「ESFRA:Emergency Shelter For Refugee Applicants」を開設しました。

難民認定申請及び認定者数の推移

2006(平成18)年4月からは、条約難民を対象に日本語教育、生活ガイダンス、職業相談・紹介等を行う施設として、「RHQ支援センター」を東京都内に開設し、定住支援事業を行っています。 さらに、2010(平成22)年9月からは、政府がパイロットケースとして受入れを決定したタイのミャンマー難民キャンプからの第三国定住難民の受入れと定住のための支援事業を「RHQ支援センター」において実施しています。
2010(平成22)年には5家族27名が第一陣として来日し、1週間程度のオリエンテーション実施後、日本語教育、生活ガイダンス、就職あっせん等を行いました。
2011(平成23)年9月には4家族18名が第二陣として、2013(平成25)年9月には4家族18名が第四陣として、2014(平成26)年9月には5家族23名が第五陣として来日し、第一陣と同様にオリエンテーション及び定住支援プログラムを行いました。 (注:第三陣については受入れを予定していましたが、来日を辞退) さらにパイロットケース終了後、政府はマレーシアに一時滞在しているミャンマー難民の第三国定住難民としての受入れを決定し、2015(平成27)年には6家族19名(第六陣)が来日し、2016(平成28)年には7家族18名(第七陣)、2017(平成29)年には8家族29名(第八陣)、2018(平成30)年には5家族22名(第九陣)が来日して定住支援プログラムを修了し、本年2019(令和元)年9月にも6家族20名(第十陣)が来日して定住支援プログラムが実施されています。

第三国定住難民受入数

(2022.3.31 現在)
第1陣 2010年 5家族27名 第7陣 2016年 7家族18名
第2陣 2011年 4家族18名 第8陣 2017年 8家族29名
第3陣 2012年 辞退 第9陣 2018年 5家族22名
第4陣 2013年 4家族18名 第10陣 2019年 6家族20名
第5陣 2014年 5家族23名 第11陣 2022年 4家族6名
第6陣 2015年 6家族19名
※令和4年3月までに54家族200名が定住

関連リンク  ▼日本の難民受入れ

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