地域で活躍する難民定住者

「念願のラオスの物産店オープン」コンシハラート マニボン(ラオス)

インドシナ難民

私は家族とタイのキャンプに10年間暮らしていました。

タイでは家族で食べる食料の割り当ても少なく、またキャンプの外へ自由に出ることもできず不自由な生活でした。

日本に来ることが決まった時は踊るような気分でした。

豊かな国とは思っていましたが、日本の国へ着いて大和定住促進センターで日本語の勉強をして6ヵ月間を過ごしている間、自由に町を歩いたり店を回ったりしている時は天国と地獄の差のように感じました。

センターを出て、新しい住居はアパートも会社から借りてもらえ、保育園に子どもを預けて自分も働くことができました。

キャンプにいた時資格を取っていた縫製の仕事をしました。 しかし、団地住まいになって子どもが大きくなるにつれて、経済的に大変だったので電機部品のパートの仕事をしました。

タイのキャンプ生活が長く、その間ミシン関係以外にタイのお菓子作りの勉強もしていましたので、会社の仕事以外ラオス人たちの集まりがある毎にお祝いのお菓子を作ったり、料理を作ったりしてきました。

次第に私のお料理好きはラオス人たちに知れ渡り、お店を持ってはどうかと勧められました。

運よく住まいのある団地のそばに貸し店舗があり、 そこで手始めに物産店を 始めることにしました。

本当は物産を置きながら食堂として軽食を出したかったのですが、調理場スペースが狭く、まだ食堂経営には至っていません。

しかし将来3人の子どもたちの応援を受けて2階を住まいにして1階スペースを食堂にして息子の嫁たち女性群でラオス料理を出す店を出そうと計画を練っています。

実現できるかどうかわかりませんが、それが日本での私の最大の夢です。

現在の店(プーマショップ)で私の手作りの肉団子やキャッモウ(豚の皮を油で揚げたお菓子)はラオス人に好評です。

また、私の故郷ではラオス固有の草木染の織物を村人が手作りしています。

そういう物も店に置いて日本人に知ってもらい、着てもらいたいと夢を膨らませています。

1995年大和定住促進センター退所 タイ難民キャンプを経て来日 ラオス物産店経営