日本の難民受け入れと支援

インドシナ難民の発生と日本の対応

1975(昭和50)年ベトナム戦争終結後、インドシナ三国(ベトナム・ラオス・カンボジア)では相次いで政変が発生し、新しい体制に移行しました。しかし、新しい体制の下で、迫害を受けるおそれや、国の将来に不安を抱く人々が続出し、小舟でベトナムを脱出した人々(ボート・ピープル)や、陸路でタイ領に逃れたラオスやカンボジアの人々(ランド・ピープル)が発生しました。
これらの人々はインドシナ難民と呼ばれます。 日本には、1975(昭和50)年5月、最初のボート・ピープルが上陸し、一時滞在を認められました。
その後も、ボート・ピープルの到着が相次いだため、1978(昭和53)年、日本政府は閣議了解で、一時滞在中のベトナム難民の日本への定住を認め、翌1979(昭和54)年には、アジア地域の難民キャンプに一時滞在中のインドシナ難民や政変以前に日本に住んでいた元留学生などの定住を認めたほか、500人の定住枠を設定しました。 政府は、定住枠を徐々に拡大していきましたが、1994(平成6)年12月にはそれまで10,000人であった枠をはずし、以後、枠を設けることなく受け入れることとしました。

インドシナ難民定住許可数の推移

国内 海外 元留学生 ODP 合計
1978年 3 0 0 3
1979年 2 92 0 0 94
1980年 50 346 0 0 396
1981年 48 393 742 20 1203
1982年 216 217 0 23 456
1983年 395 248 0 32 675
1984年 738 229 0 12 979
1985年 484 240 0 62 730
1986年 129 149 0 28 306
1987年 262 291 0 26 579
1988年 164 193 0 143 500
1989年 152 194 0 115 461
1990年 171 321 0 242 734
1991年 263 370 0 147 780
1992年 239 411 0 142 792
1993年 97 300 0 161 558
1994年 84 165 0 207 456
1995年 30 85 0 116 231
1996年 1 4 0 146 151
1997年 1 4 0 152 157
1998年 5 5 0 122 135
1999年 1 5 0 152 158
2000年 0 9 0 126 135
2001年 0 40 0 91 131
2002年 0 15 0 129 144
2003年 1 9 0 136 146
2004年 0 18 0 126 144
2005年 0 19 0 69 88
3536 4372 742 2669 11319

(2005年12月31日をもって終了)(出典:法務省資料)

インドシナ難民定住許可数

(2005年12月31日をもって終了)(出典:法務省資料)

インドシナ難民定住者の帰化人数(累計)

出身地域 合計
ベトナム 709 498 1,207
ラオス 98 125 223
カンボジア 191 185 376
998 808 1,806
姫路定住センター 432
大和定住促進センター 555
国際救援センター 544
その他 149
1,680

(2022年3月31日現在 難民事業本部調べ)

姫路定住促進センター(’79.12~’96.3)

大和定住促進センター(’80.2~’98.3)

大村難民一時レセプションセンター(’82.2~’95.3)

国際救援センター(’83.4~’06.3)

インドシナ難民の定住受入れを決定した日本政府は、1979(昭和54)年7月、内閣にインドシナ難民対策連絡調整会議事務局を置いて、定住促進のための諸施策を推進することとしました。
同年11月、財団法人(現・公益財団法人)アジア福祉教育財団に事業を委託し、財団内に難民事業本部が設置されました。
難民事業本部は、本部事務所に加え、日本へ定住を希望する人への日本語教育、健康管理、就職あっせんを目的として、同年12月、兵庫県姫路市に「姫路定住促進センター」を、翌1980(昭和55)年2月、神奈川県大和市に「大和定住促進センター」を開設しました。
また、日本に上陸したボート・ピープルの一時庇護のため、1982(昭和57)年2月、長崎県大村市に「大村難民一時レセプションセンター」を、そしてボート・ピープルの流入増と滞留の長期化に対処するため、1983(昭和58)年4月、東京都品川区に「国際救援センター」を開設しました。

1986(昭和61)年以降、主として出稼ぎ目的のボート・ピープルが増加するなどの状況の変化があったことを踏まえ、1989(平成元)年6月、国連主催のインドシナ難民国際会議において包括的行動計画(CPA:Comprehensive Plan of Action)が採択されました。同計画により、新たに流入するボート・ピープルに対しては難民審査(スクリーニング)が実施され、認められなかった人には本国帰還が奨励されました。
以後ボート・ピープルは激減し、インドシナ三国の政情が安定したことなどから、難民事業本部は1995(平成7)年3月末に「大村センター」を、1996(平成8)年3月末に「姫路センター」を、さらに1998(平成10)年3月末に「大和センター」を閉所しました。
他方、西日本地域に居住している多くのインドシナ難民定住者のアフターケアをはじめ、関係団体との連絡調整等を目的として、1996(平成8)年6月兵庫県神戸市に「関西支部」を開設しました。

国際救援・大和定住促進・姫路定住促進センターの入所の変遷

年度 国際救援センター 大和定住促進センター 姫路定住促進センター
1979年 17 56
1980年 288 244
1981年 228 217
1982年 218 216
1983年 745 194 226
1984年 444 187 237
1985年 341 147 95
1986年 196 120 159
1987年 179 135 123
1988年 125 165 185
1989年 1,319 131 169
1990年 308 172 182
1991年 232 136 155
1992年 306 134 148
1993年 321 66 139
1994年 207 79 64
1995年 105 96 25
1996年 102 93 96年3月閉所
1997年 163 35
1998年 172 98年3月閉所
1999年 124
2000年 140
2001年 141
2002年 162
2003年 164
2004年 139
2005年 107
6,242 2,641 2,640

1996(平成8)年以降、合法出国計画(ODP:Orderly Departure Program)により、ベトナムからの呼び寄せ家族が中心に受け入れられ、難民事業本部は、「国際救援センター」で日本語教育、就職あっせん等を行いました。
なお、難民対策連絡調整会議は2003(平成15)年7月、インドシナ難民の受入れを2005(平成17)年度末をもって終了することを決定し、それに伴い2006(平成18)年3月末「国際救援センター」を閉所しました。
1995(平成7)年度より、日本で難民申請をしている者のうち生活に困窮している者に対する保護事業を開始しました。
2003(平成15)年には、難民認定申請者に対する援助事業の一環として、生活困窮度が高く宿泊場所確保が困難な難民認定申請者のために、難民認定申請者緊急宿泊施設「ESFRA:Emergency Shelter For Refugee Applicants」の提供を開始しました。

難民認定申請及び認定者数の推移

年度 申請数 認定 人道配慮
1982年 530 67
1983年 44 63
1984年 62 31
1985年 29 10
1986年 54 3
1987年 48 6
1988年 47 12
1989年 50 2
1990年 32 2
1991年 42 1 7
1992年 68 3 2
1993年 50 6 3
1994年 73 1 9
1995年 52 2 3
1996年 147 1 3
1997年 242 1 3
1998年 133 16 42
1999年 260 16 44
2000年 216 22 36
2001年 353 26 67
2002年 250 14 40
2003年 336 10 16
2004年 426 15 9
2005年 384 46 97
2006年 954 34 53
2007年 816 41 88
2008年 1,599 57 360
2009年 1,388 30 501
2010年 1,202 39 363
2011年 1,867 21 248
2012年 1,545 18 112
2013年 3,260 6 151
2014年 5,000 11 110
2015年 7,586 27 79
2016年 10,901 28 97
2017年 19,629 20 45
2018年 10,493 42 40
2019年 10,375 44 37
2020年 3,936 47 44
2021年 2,413 74 580
2022年 37,772 202 11,760
合計 91,664 1,117 5,049

(令和4年12月31日)(出典:法務省資料)

条約難民に対する定住支援

また、「難民条約」に基づいた「出入国管理及び難民認定法」により、法務大臣が認定した難民に対して、定住支援の対策がとられることとなり、2003(平成15)年度から、これら条約難民とその家族等に対してもインドシナ難民と同様、「国際救援センター」において、日本語教育や就職あっせん等を行うこととなりました。

2006(平成18)年4月からは、条約難民を対象に日本語教育、生活ガイダンス、職業相談・紹介等を行う施設として、「RHQ支援センター」を東京都内に開設し、定住支援事業を行っています。

第三国定住難民の定住受け入れ

さらに、2010(平成22)年9月からは、政府がパイロットケースとして受入れを決定したタイのミャンマー難民キャンプからの第三国定住難民の受入れと定住のための支援事業を「RHQ支援センター」において実施しています。
2010(平成22)年には5世帯27名が第一陣として来日し、1週間程度のオリエンテーション実施後、日本語教育、生活ガイダンス、就職あっせん等を行いました。
2011(平成23)年9月には4世帯18名が第二陣として、2013(平成25)年9月には4世帯18名が第四陣として、2014(平成26)年9月には5世帯23名が第五陣として来日し、第一陣と同様にオリエンテーション及び定住支援プログラムを行いました。 (注:第三陣については受入れを予定していましたが、来日を辞退) さらにパイロットケース終了後、政府はマレーシアに一時滞在しているミャンマー難民の第三国定住難民としての受入れを決定し、2015(平成27)年には6世帯19名(第六陣)が来日し、2016(平成28)年には7世帯18名(第七陣)、2017(平成29)年には8世帯29名(第八陣)、2018(平成30)年には5世帯22名(第九陣)が来日して定住支援プログラムを修了し、2019(令和元)年には6世帯20名(第十陣)が来日し、定住支援プログラムを実施しました。2019(令和元)年6月の閣議了解により、受け入れ対象の難民はマレーシアのミャンマー難民から、アジア地域に一時滞在する難民へ変更になり、単身者の受入れが追加され、合わせて年2回年間60名の受入れとなりました。新型コロナウイルス感染拡大の影響で受入れが一時中断していたため、年2回受入れは水際措置緩和された2022(令和4)年度から実施され、2022年度前期に4世帯6名(第十一陣)、後期に16世帯29名(第十二陣)、2023(令和5)年前期に20世帯21名(第十三陣)を受け入れました。第三国定住難民は2023(令和5)年3月までに90世帯250名を受け入れました。

第三国定住難民受入数

第1陣 2010年 5世帯27名
第2陣 2011年 4世帯18名
第3陣 2012年 辞退
第4陣 2013年 4世帯18名
第5陣 2014年 5世帯23名
第6陣 2015年 6世帯19名
第7陣 2016年 7世帯18名
第8陣 2017年 8世帯29名
第9陣 2018年 5世帯22名
第10陣 2019年 6世帯20名
第11陣 2022年 4世帯6名
第12陣 2022年 16世帯29名
第13陣 2023年 20世帯21名
※2023(令和5)年3月までに90世帯250名が定住