地域で活躍する難民定住者

「さらなる未来へ」(ミャンマー)

第三国定住難民

【ミャンマー~マレーシア~日本へ】

今から 6 年前の秋、マレーシアを夜に発ち、日本に到着した日はとても眠かったことを覚えています。

家財を全て処分して限られた荷物を持って、自宅からクアラルンプール空港に移動したときも、疲れていてぼん やりしていたため、記憶が曖昧です。初めての飛行機に緊張しながら、期待と不安の気持ちで到着した成田空港は、9 月の終わりで、空気がひん やりしていたことを思い出します。

RHQが用意してくれた空港から宿泊施設に向かうバスの窓から見える日本の街並みはコンパクトで、小さなお店がたくさん並んでいるのがかわいらしいと思いました。同時に、知らない国、言葉が違う国に来た心細さを感じていたせいか、街並みや足早に歩く日本人はよそよそしく感じられました。

でも今は、同じ風景を見ても、心細さはなく、むしろ日本の街並みに安心感を覚えます。

ミャンマーを出たのは、私が 7 歳の時です。ミャンマーは危険だという両親の言葉で、家族 3 人でマレーシアに逃げました。

マレーシアでは私たちミャンマー人は、正規の学校には入学できませんでしたが、親切な先生がいて、私はその先生のおかげで 2 年間小学校に通学することができました。それから、コミュニティが支援する学校で勉強を続けました。

両親は慣れないマレーシアの生活の中で働いて、私を学校に通わせてくれました。

働きづめで私を支えてくれた両親の姿に、いつも感謝していました。

私たちミャンマー人は、マレーシアの警察に捕まる危険が常にありました。近しい人たちが捕まったという話を聞く度にとても恐くて、いつもびくびくしていました。

ある日、両親が突然「日本に行くことを 決めた」といいました。

そのときの私にとっての日本は「知らない国」でした。

アニメや日本車のこと、そして日本人は優しいと聞いたことはありましたが、私自身は日本人に会ったこともなければ、知り合いもいませんでした。でも両親は、私の将来のことを考えてくれて、日本行きを決心しました。

正規の教育を受け、仕事に就き、安全な暮らしをしてほしい。そんな両親の気持ちを知り、日本でチャレンジして、 両親に恩返ししたいと思うようになったのです。

 

【日本語との出会い~大学~大学院へ】

日本に到着してからの半年間、一緒にマレーシアから来たミャンマー人の仲間と一緒に、RHQ 支援センターで日本語を学び、日本で生活するために必要なオリエンテーションを受けました。

この間は日本政府から生活費が支給され、用意された家に住んでいました。

私は、年齢が高く、なかなか日本語を覚えられない両親の代わりに、良い学校に行き、いい仕事に就いて恩返しをしたいと思い、毎日、夜まで一生 懸命に日本語を勉強しました。同時に、UNHCR の難民高等教育プログラムで日本の大学に入る準備を進めていきました。

定住支援プログラムを修了した後、私たち家族は、RHQ が用意してくれた住居に転居しました。

両親 は RHQ から紹介された別々の会社で仕事を始めました。私は神戸の大学に進学することになり、神戸で両親とは離れて暮らし始めました。

初めての一人暮らしに、家を出るときは寂しい気持ちでしたが、大学の寮では 4 人のルームメイトがいたので、寂しさはなく、毎日楽しく勉強することができました。

神戸の街はきれいで好きな街です。

人もとても親切でした。友達にも恵まれ、勉強にも集中できました。

卒業論文のテーマは「ミャンマーにおけるフードセキュリティ」です。ミャンマーは良質な農地や水資源が豊富ですが、これらがうまく活用できていません。

ミャンマーの人々が健康的で栄養価の高い食料を安心して手に入れられるようにするには、ボトムアップ型のアプローチが不可欠だと考えたのです。

この論文を書きながら、大学を卒業した後の将来について考えていました。就職するか、進学するか、とても悩みました。両親とも一緒に暮らしたい。

自宅から通える大学院に進学することにしました。この4月から 大学院で東南アジアの国際関係を学んでいます。

具体的な研究テーマを担当教官と相談しながら決めているところです。

大学院を卒業したら、教職か社会福祉職に就きたいと考えています。かつての自分のように学ぶ機会がない人、困っている人の役に立つ仕事をしたいと考えたからです。

 

【さらなる未来へ】

私は、ミャンマーのチン族です。

ミャンマー連邦は 135 民族がいる多民族国家です。

チン族の私が、子供時代の 10 年をマレーシアで過ごし、現在は日本に住んでいます。

私の特別な経験から、今ではチン 語、ミャンマー語、マレー語、インドネシア語、英語、日本語を話すことができます。

自分のアイデンティティは、チン、ミャンマー、マレーシア、日本のミックスだと感じています。異なる言葉や異文化に身を置いて生活することで、子供時代の自分と現在の自分が結びついていると感じています。

ミックス・アイデンティティの私が、日本に来て、未来を見つけました。ミャンマーやマレーシアにいた頃は、いくら頑張っても未来が見えることはありませんでした。

政治的に不安な思いをし、異国で危険で怖い思いもたくさんしました。でも今は、安全な日本で、安心して暮らすことができています。

今の私には、これからチャレンジできることがたくさんあり、その数だけ可能性があります。

チャレンジが自分自身を成長させてくれることを日本で知りました。

大学院を修了して、日本人に、日本社会に恩返したい、そんな決心をした私は、未来に向けて、勇気を持って歩んでいきます。